冬への備え その6
収穫が一段落済んだ所で、家の中へ戻る。
別段足音を立てたつもりはなかったが、リルはそれを耳聡く感じ取って跳ね起きた。
もしかすると、独り言の小さな声すら、その耳には届いていたのかもしれない。
リルはアロガを置いて走り出し、私のスカートを掴んだ。
「おかし? おかし、たべれる?」
「何だ、寝てたんじゃなかったのか?」
「ねてたよ! いま、おきたの!」
その『今』については、大いに議論する必要がありそうだが、とにかく笑って頭を撫でた。
リルは嬉しそうに抱き着いてきて、その手が腰の方に伸びた。
途端に歩き難くなって、頭をごく軽く叩く。
「ほら、危ないから止めなさい」
「んぅ……。んぅ?」
しかし、リルは腰に回す手を止めないどころか、むしろまさぐるように動かし始めた。
流石に擽ったくなって、私も身を捩る。
すると、リルは唐突に手を離して、その場で回転し始めた。
いや、回転というのとは、少し違うのかもしれない。
自分の背中を見ようと――正確には、自分の尻尾を見ようと身体を捻り、しかし捻る毎に尻尾も逃げるので、それを追うから回転しているだけだった。
見ていて微笑ましいが、突然の奇行に心配にもなる。
「どうしたんだ、リル?」
足を止めて声を掛けると、リルは追いつけないと悟ってか、憤慨したように肩を怒らせた。
その仕草に口元の笑みを更に深くし、重ねて問う。
「何してるの?」
「しっぽ、見ようとおもって……!」
「うん、そう……みたいだけど。何でまた?」
今さら指の本数を確認しないのと同じで、そこにあるのは自明の理だ。
もしかして六本目があるかもしれない、と思ったりはしない。
リルの尻尾はピンと上を向いた巻き尾で、ゆっくりとカーブを描いて言えるのが特徴だ。
髪と同じ褐色で、小振りな尻尾が可愛らしい。
柔らかい毛皮に包まれ撫で心地も良いのだが、撫でられるのが嫌いらしいので、普段は我慢している。
「アロガもしっぽ、ある」
「そうだね、ある」
剣虎狼にはリルとは真逆の、下へと垂れる大きな尻尾があった。
その太さと毛量に違いがあり、リルが布団代わりに使えるくらいだから、横幅も相当なものだ。
「……なんで、お母さんさんにはないの?」
気付いて当然と思っていたし、今の今まで質問がなかったから、そういうものと受け入れているのだと思っていた。
しかし、どうやらそれは違ったらしい。
それどころか、今更になって疑問を感じるようになったようだ。
「どうして、そんな事を……? あぁ、街に行ったからか……」
そこでリルは人口の坩堝とも思える程の、人間や獣人の姿を目にした。
自分に似た種族や人間などを見て、その比較対象を得たことで、ようやく気付きを得たに違いなかった。
「お母さん、しっぽは? なくしたの? おとしちゃった?」
「ふふっ……、違うよ」
私は思わず吹き出して、リルの頭を撫でる。
「私には最初から、尻尾が生えていないんだ。……そういう人もいる。街でだって、沢山見たろう?」
「うん、みた」
「だから、おかしい事はない」
「そうなの? ……でも、リルにはあるのに……。なんでお母さんにはないの?」
それは答えるに簡単な質問だったが、どう答えるべきか迷う質問でもあった。
「それは多分、リルへの贈り物だからだ」
「おくりもの? だれから?」
「……多分、カミサマって事になるんだろうな。お母さんにはなかったけど、リルにはあった。そういう事だ」
「んぅ……」
そうは聞かされても、リルには納得できないようだ。
不満そうに唇を尖らせて、しゅんと顔を俯けた。
「……リル? どうした?」
「でもリル……、お母さんといっしょがいい……」
「リル……」
私はリルの前に屈んで膝を付き、その身体を抱き締める。
この気持ちが伝わるように……そして、愛していると伝わるように、その頭を仕舞い込むように抱き締めた。
「同じである必要はないんだよ。みんな違って当たり前で、お母さんと同じである必要はないんだ。リルはリルを大事にすれば、それで良いんだよ」
「でもリル……、お母さんみたいになりたい……」
「なれるよ。全く同じじゃなくとも、近いものにはなれる」
「かたてでひょいって、ものもうごかせる?」
私はリルを苦しめないよう気を付けながら、一際強く抱き締めて身体を離す。
「それは分からない。リルはまだ挑戦してないからね。でも、もしかしたら……リルにも出来るようになるかもしれない」
「ほんとっ……!?」
リルは両手を握って喜び、その場で飛び跳ねんばかりだ。
実際、それに近いことをしようとしたが、私が肩に手を置いた事で止まる。
「でも、それにはしっかり勉強しないとね。他にも色々、学ばないといけない事もある。ただ使いたいってだけでじゃ、上手くならないものだ」
「……むずかしい?」
「そうだね、簡単ではない。でも、学ぶ意思があれば、どうにかなるものだ」
「……どうしたら、いいかなぁ」
私は肩から手を離し、その手を握って立ち上がる。
「頑張れば良いってことさ。思いを現実にしたいなら、現実にするだけの努力が必要だ」
「がんばればいいんだ! リル、がんばる!」
「うん、それで良い」
あれこれ難しいことを考えるのは、もっと大きくなってからで良い。
それに、リルであれば出来るだろう、という思いは、何もこの場を収める為だけに言った台詞でもなかった。
「……さ、それよりお菓子の……というより、おやつの時間だ。これから作るから、ちょっと時間掛かるな……」
「じゃあ、はやくつくろ! なに、つくるの?」
「プリンだよ」
私の一言に、リルの喝采が森に響いた。
※※※
牛乳がなければ作れない料理は多いが、お菓子となれば更に多かった。
プリンもその一つで、我が家で他に代用できるものがない。
街へ買い出しに行った時にだけ作られる、スペシャルなメニューだけに、リルの喜びようも他と違った。
作り方それ自体は簡単だが、火加減などに気を付けねばならず、そういう意味では難しい料理だ。
「まず卵を割ってボウルに入れ、甘葛粉も入れるとよく混ぜる。そこに牛乳を少量ずつ加え……」
その時、リルからの視線を感じ取り、斜め下へと顔を向けた。
そこでは得意顔のリルが、腰に手を当てている。
「まぜまぜしょくにんの、でばんはまだ?」
「そうだな、ここは職人さんにお願いしよう」
ボウルをテーブルの方へ移し、その下に大布巾を敷いて滑りづらくさせる。
竹で作った泡立てを渡すと、ぷすぷす、と鼻を膨らませて作業に入った。
「うぅーん、職人の顔だ……」
リル自身もノリノリで、一緒に何かするのが楽しい年頃なのだろう。
微笑ましいばかりで、この瞬間を絵に描いて収めたいぐらいだが、この時間を利用して次の作業をしなければならない。
「カラメル作りだが、これはまぁ、慣れたものだ……」
火加減が難しいカラメルだが、この前のカボチャ団子の時にも作っているし、それ以外でも作る機会はそれななりにある。
これはそう問題にはならない。
手早く作ってカラメルが完成した時には、リルの作業も終わっており、テーブルからボウルを受け取った。
「後はこのプリン液を、茶漉しを使ってコップに移して……」
二人分には多い量を作っているので、コップの数も相応に増える。
全部で六つのコップへ均等に分け、これに蓋をして蒸し器に入れた。
「さ、後は蒸し上がるのを待って、更に冷やせば完成だ」
「すぐたべたい……!」
「なに、洗い物をしている間に終わるよ。……何せ、強力な協力者がいるからね」
リルは首を巡らせ、その誰かを探すが……当然、近くには誰もいない。
首を傾げるばかりのリルに笑い掛け、私は洗い物を済ませる事にした。
※※※
そうして、洗い物が終わった辺りで、プリンは丁度蒸し上がったようだった。
普通に比べても早いものだが、協力者の本気度合いが違う。
私が蒸し器の蓋を開けると、どこからかワッと歓声が上がる。
リルだけではなく、他の声が混ざっていて、それが更にリルを不思議がらせた。
「更にこれを、本来は数時間冷やすんだが……」
「えぇ〜……」
「でも、お母さんなら、ずっと早くなる」
蒸し器から手を触れることなく、コップを取り出す。
空中に浮いた六つのコップは、天井スレスレを飛んでは、ゆっくりと旋回した。
しかし、ただ旋回しているのではない。
より早く冷やす為ではあるのだが、その程度では誤差程度だ。
うっすらと冷気が纏っており、それがプリンを冷却してくれているのだった。
それもただ冷やせば良い、というものではない。
それでは凍り付いて食べられなくなるし、そこから解凍しようものなら、折角の食感がなくなってしまう。
冷やしつつも凍らせない、その絶妙の冷却加減が頭上で展開されていた。
そうして五分ほど待った後――。
頭上からコップが降りて来て台所に並ぶ。
コップの縁に串を入れ、表面に付いた部分をゆっくりと剥がし……お皿を置いてひっくり返した。
コップの底をトントン、と呪いの様に叩き、それからゆっくりとコップを持ち上げる。
そこには果たして、カラメルと黄色部分が綺麗に分かれた、立派なプリンが姿を見せた。
「おぉ〜……!」
リルの口からも感嘆の声が上がる。
そのお皿をテーブルへと飛ばしてやると、スプーンを持ってプリンを置い、勢いよくその席に座った。
「いただきまぁす!」
「はい、どうぞ」
嬉しそうにプリンをつついて、スプーンを沈ませ、こそぎ取って口に運ぶ。
みるみる内に笑顔になり、惜しむように咀嚼した。
「おいしー!」
「それは良かった」
そう言っている間にも、他のプリンを皿に移す。
多めに作って出来上がった四つは、今回の協力者の分だ。
姿は見えずとも、子供の喜ぶ声が幾つも聞こえ、プリンは宙を滑る様に外へと飛んで行った。
最後に残った一つは私の分だ。
それを持ってテーブルに着くと、リルと一緒におやつの時間を楽しんだ。




