プロローグ その4
※※※
ボーダナン大森林は、このクレイスラン大陸で、最も危険で過酷な場所だ。
背後に火山を抱え、天気の良い日は、その頂上でドラゴンが複数舞う姿が見られるだろう。
それが襲い掛かるかも、と思うだけでも恐怖だが、森の中ではむしろ別のモノが強敵だ。
魔獣の危険については言うに及ばず、冒険初心者の良い的当てとすら揶揄されるゴブリンさえ、この森では警戒を怠れない難敵となる。
それも全て、森に蔓延するマナが、余りに濃い為だった。
時に濃すぎるマナは瘴気と呼ばれ、人の身体を害する毒となる。
しかし、魔獣などにとっては、むしろ活力の源となるのだ。
だから他でも見かける魔獣と言っても、同じ様に対応してはならない。
そもそも体躯が一回り以上大きかったりと、外見からもその強大さ、凶暴さが見て取れる。
中級冒険者であろうとも、潰走を余儀なくされる程なので、ギルドからも進入禁止の禁足地として指定される程だった。
しかし、だからこそ、腕に覚えのある者にとっては良い商売になる。
誰も手を付けてない森――。
だからこそ、そこは宝の山だ。
競合相手の居ない狩り場は良い稼ぎ場で、しかもボーダナンで手に入れたとなれば、値段は更に跳ね上がる。
そして今、森の入口に足を踏み入れた”コルテス魔術冒険団”も、そういう手合だった。
五人のパーティで構成される彼らは、魔術士だらけの異色なチームだ。
しかし全員が、ただ魔術を使えるだけでなく、各々得意な武芸を持つ。
そしてそれこそ、“聖鷹の塔”と呼ばれる、魔術士育成機関の基本方針だった。
足を止めて朗々と呪文を唱えるタイプの魔術士とは、根本的に基本設計が違う。
現代魔術の礎を作り、そして今もその名声を轟かせるだけでなく、研鑽著しい“塔”だから、その卒業生の実力は言うまでもなかった。
優秀な成績を収めて卒業した、生徒上位五名。
その生徒は特別に『五鷹』と呼ばれ、尊ばれる。
どこに出しても恥ずかしくない実力を持ち、その証書を差し出せば、冒険者ギルドでも最初から最高ランクを与えられる程だ。
それ程までに、“塔”の権威と信頼は強いものだし、『五鷹』の実力も知れ渡っている。
――聖鷹の塔を旅立つ者よ、世界に羽ばたけ。
これは世界最高峰の魔術学府でもある、“塔”が掲げる信念だ。
そしてコルテス達『五鷹』は、クセの強い塔出身者にしては、珍しく意気投合した五人であり、卒業後も同じパーティとして冒険者になった。
生まれ育った地から羽ばたき、そうしてまた海を越え、遥か遠くの大地へ挑戦する――。
冒険者としては新米だが、実力だけは誰にも文句を言わせない。
“塔”での勉強は多岐に渡り、冒険者としてやって行く方法も学んでいる。
S級冒険者と遜色ないのは実力だけ、などと言わせない。
様々な基礎はしっかり出来ているのだ。
“塔”での実地試験も突破しているので、本でだけ知っている知識、という訳でもない。
だから、コルテス達『五鷹』は相応の自信を持って、ボーダナン大森林へとやって来ていた。
「なぁ、リーダー。本当に、この森なのか?」
「話に聞いた限りでは、そうらしいな。他に間違えられる森もないし、実際……雰囲気あるじゃないか」
コルテスは意気揚々と森の前に立ち、その腕を組んだ。
だが、パーティの斥候を務めるヌゼランは、コルテスほど呑気ではない。
「しかしよ、リーダー……。確かにマナの濃さは感じるが、これぐらいなら俺達の故郷にも……」
「入口だからこそ、かもしれないな。誰もが危険は薄いと感じ……しかし、奥地へと足を踏み入れた者は帰って来ない。ここはそういう森らしい」
「ふぅーん……」
そう言われても、自分だけは警戒を怠るまい、と顔に出していた。
それからまじまじと森の奥を見つめ、顎を何度となく擦った。
「確かに俺の勘が、なんだか嫌な気配を感じてるな……」
「とりあえず行ってみよう、ヌゼラン。実際、踏み慣らした跡なんかも見えない。人の手が入ってないのは確かだろう」
「そして、手付かずだからこそ、薬草だとて溢れるほど手に入るのでしょう?」
回復役を務めるヴィヤが、女性らしい長い髪を後ろに束ねながら言った。
森の中では長い髪など邪魔になるから、今の内に束ねているのだ。
「……上級水薬の材料は、そりゃあ手に入るに越した事はないけどな」
回復役は、何も治癒術を使うだけが役割ではない。
水薬を調合し、不慮の事態に備えて用意するのも、また役目だ。
だから、治癒術だけでなく錬金術もまた、高い技術を修めているべきで、その理想を体現したのがヴィヤだった。
「外で見ているだけじゃ始まらない。どれだけ恐ろしい森か知らないが……、とにかく入ってみるとしようか」
そう言って、コルテスはパーティを引き連れて、森の足を踏み入れた。
そして思ったのは、植生が豊かだが、特別珍しい森ではない、という事だ。
故郷にも……そして、他の何処にでも有り触れていそうな、ごく普通の森に見える。
「この辺の地元じゃ、それなりに恐れられているらしいが……。何て事ない、マナだけは相応に濃い普通の森だな」
「田舎モンは、何にでも怖がるからな。これもそういう類いじゃねぇかな。その昔、この森で嫌な事件でも起きたとかさ」
「……そうかもしれん」
ニヤリと笑って、コルテスは足を進めた。
背後を振り返れば、木々の間から外界が見え、まだ遠くまで歩いていないと分かる。
「十分、注意しろって話だったが……」
「魔物どころか、獣の一匹すら見えやしねぇ。……静かな森だな」
無論、鳥の囀りであったり、虫の音は聞こえてくる。
しかし、敵と言えるものの気配を、コルテスは未だに感じ取れていなかった。
「まぁ、警戒だけは疎かにしないようにな。危険と思われるだけの根拠が、どこかに潜んでいるに違いない」
斥候として気配の読みに長けるヌゼラン、そして魔術の技量に対して抜きん出るユンザが、常に魔術的索敵を行っている。
彼らが力を駆使すれば、攻撃されるより前に、接敵されたか気付けるだろう。
「……おい、見てみろよ」
その時、ヌゼランが巨木の根の間に生えた、キノコを指差す。
「あれ、上級水薬の調合材料になるナームタケじゃないか? 治癒効果を引き上げる……」
「馬鹿にデカいな……。あれほど身の詰まったナームタケは、これまで見た事がない」
「それだけじゃありませんよ、アレ……!」
次にヴィヤが指差したのは、草の間に乱雑に生える薬草だった。
「つむじ草です……! あんな見事なつむじ、見たことありません!」
「つむじを良く巻いているほど、良薬になると言われているが……。確かにあぁした見事なものは初めてだ」
「リーダー、これ宝の山って言われてるの間違いないぜ! 上級水薬の調合材料が、こうも無造作に生えてるんだ! 小一時間も探せば、一財産も夢じゃないぜ!?」
「あぁ、それは確かかもな……」
コルテスの顔にも、欲望に塗れた笑顔が浮かぶ。
噂ばかりが先行する、大したことのない森だと思っていただけに、これは嬉しい誤算だった。
「こうなると欲が出て来るな……。入口付近でコレなら、奥には何が待ってるんだ?」
「入口付近だけでも命からがら、そして、少しだけ持ち帰るのが精々らしい」
「どれだけ腑抜けてんだ、クレイスランの冒険者は……!」
“コルテス魔術冒険団”の全員から、嘲笑の声が上がる。
周囲は静かなもので、やはり魔獣などの気配はない。
いたとしても、“塔”で学び、そして『五鷹』と称される実力を持つ彼ら冒険団だ。
入口付近で臆する冒険者とは違う――。
その思いと自負が、彼らを大胆にさせた。
「奥まで行こうぜ、リーダー。こうなったら、どれだけのお宝があるのか、今後の為にリサーチしとかねぇと!」
「……だな! こっちで一財産作って、拠点に屋敷を構えるのも悪くない」
そうして恐れを知らぬ“コルテス魔術冒険団”は、森の奥へと足を踏み入れる。
途中で何度も立ち止まり、そしてお宝の山を時々頂戴し、どういったものがあるか調査していった。
だから進む速度も、遅々としたものだ。
そして、足を進めようと危険もないものだから、彼らは更に大胆になった。
火を熾し、そこでキャンプを張って、更に奥地を調査しようというのだ。
そうして、やはり危険もなく一夜を過ごし、夜が明けると共に歩き出して、彼らは感嘆の声を上げた。
「あ、あれは……!」
彼らが目にしたのは幻獣だった。
湖の畔で、一匹の白馬が水を飲んでいる。
ただし、ただの白馬ではない。
乳白色の鬣が美しく流れ、その額には真珠色をした、立派な角を生やしていた。
「間違いない……、ユニコーンだ……!」
「幻獣まで、この森には生息しているのか……!」
木々と草の陰から観察していると、もう一匹現れて水を飲み始めた。
どうやら番であるらしく、水を飲み終わった後は互いの頬を擦り付けたり、角同士を合わせたりと仲の良い雰囲気を出していた。
「一匹だけじゃなく、番でか……! 両方捕まえられたら、これ屋敷だけじゃなく、使用人だって雇えるぞ……!」
「ちょっと待って、リーダー!」
そう言って、前衛で主に盾役を担当するユーラピが、森のある一点を指差す。
そこには羽の生えた小人が舞っていて、輝く鱗粉を軌跡に落としながら、森の奥へと消えて行くところだった。
「妖精まで……!? あれ一匹捕獲するだけでも……!」
何しろその鱗粉は錬金材料として価値が高く、また貴族の観賞用にも高値で取引される。
だが一匹売って終わりではなく、鱗粉だけ適宜採取して、それを売り払って暮らすのも良いだろう。
これだけの物を持って帰れば、もう一生食いっぱぐれない。
冒険者として一流の成功を収めたとして、大いに喧伝できる。
「リーダー、なぁ……!」
「あぁ、分かってる」
彼らの顔に、欲望に塗れた笑みが浮かんだ。
――その時だ。
視界の端に、誰かの姿が目に映った。
即座に反応したヌゼランが、弓に魔力の矢を番え……そして、虚を突かれて動きを止めた。
「……女?」
場違いに美しい女だった。
紫銀の髪を腰まで降ろし、その端正な顔立ちは、王族や貴族と言われても納得する。
着ている物は町娘風だが、その布素材は実に見事で、汚れや染みもない。
どこから紛れ込んで来たのかと思うより、幻を疑う程に現実味がなかった。
どう対応するのが良いのか困っている内に、女の方から声が掛かる。
「警告だ。今お前達は森を侵している。早々に立ち去れ」
「は……? ここがお前の持ち物だとでも言うのか?」
「そうではないが、その様なものだ。――今すぐ立ち去るならば、記憶を消すだけで穏便に帰してやろう」
「いいや、断る。俺達は……」
コルテスは、その全てを言い終える事が出来なかった。
紫銀の女が肩の高さに手を挙げて、軽く右に振ったのと同時、ユンザがその場に倒れたからだ。
「な……!? 何をした、おま――」
その言葉もまた、やはり最後まで口に出来ない。
今度は左に振った動きで、ヌゼランが何一つ行動できず昏倒して倒れた。
それで嫌でも理解できてしまった。
身動き一つ、言葉一つ吐くだけで、同じ目に遭わされる。
コルテスは無言のまま、額から滝のように汗を流し、その身体はワナワナと震えた。
「お前達は記憶を消されるだけでなく、非常に怖い思いをして貰う。その記憶も消えてしまうが……、何故だかとても森に忌避感を抱く事になるだろう。二度と近付きたいと思わなくなる程にな」
紫銀の女が更に、手首を左右に動かす。
それだけで、――たったそれだけで、仲間全員がさしたる抵抗も出来ず昏倒した。
コルテスもまた、自分が注意を引こうと動き始めた所だった。
しかし、残っていた二人が、攻撃を仕掛けようとしたから、そちらが先に落とされた。
「馬鹿な……」
注意は怠っていなかった。
なのに、紫銀の女の、魔術体系が全く分からない。
『五鷹』と呼ばれた才媛が、為す術なく――どういう攻撃かも分からぬまま敗れた。
その事実こそが、コルテスには理解出来ない。
「馬鹿な……、“塔”の魔術士だぞ……。世界最高峰の、将来を約束された……」
絶望しながら呟いた言葉すら、最後まで言えずコルテスは意識を喪う。
為す術もなく、身動き一つすら出来ず、敗北を刻まれた。
そして紫銀の女が言った通り、彼らの脳裏には恐怖を植え付けられる事になったのだった。
※※※
かつて、魔の理が今よりずっと薄かった時代――。
火を熾し、風を送る程度の呪いを、魔術と呼ぶ時代があった。
ある時、一人の女性が。とある王国の歴史に姿を表す。
出自が不明で、天から降りてきた者だと、人々は言う。
実際に、そうとしか思えない美貌を持つ、聡明な女性だった。
この者はそれまでの呪いを過去のモノへと変え、魔の理を解き明かし、そして術として体系立てた。
人類の歴史の転換期とも呼べる、偉大な出来事だ。
彼女は後に弟子を取り、魔術をより深く追求、世の為に役立てようと考えた。
いつまでも若いままの彼女には時間こそあったが、人手が足りなかった。
協力を願う弟子はいたが、それにはヒトの時間は短すぎ、極めるには余りに時間が足りない。
そこで弟子の一人にも不老を施したのだが、それが後に時の王の耳に入った。
当然、王もまた不老を手に入れんと、これを要求する。
しかし、彼女がこれを断ったことで怒りを買い、魔女として弾劾された。
徒に人命と、その理を乱した――。
魔の術法が、世に混沌を呼び込んだ――。
そうして悪意と汚泥を浴びせられ、名誉と生きる場所を奪われ、全てを捨てた女性は逃げる様に国を去った。
不老であっても不死ではない彼女は、どことも知れない地で、絶望と共に自ら果てたと伝えられる。
――今より約一千年ほど、昔の話である。