冬への備え その3
リルにとって大冒険だった一日は、ようやく終わりを迎えようとしていたのだが、夜になってもその興奮は収まらなかった。
ベッドに入る頃だと言うのに、今日のことを振り返っては楽しそうに笑っている。
これは寝かし付けるのが大変そうだ。
寝間着に着替えさせた後も、尻尾を振って窓辺に食い付き、ふんふんと鼻息荒く息巻いている。
早く明日になれとも、今すぐ満月になれとも、思っている様な雰囲気だ。
「ほら、リル。もう寝なさい」
「んぅ……、もうちょっとっ!」
「どれだけ眺めても、月は今日一日で満ちたりしないよ」
「でも……もう、ほとんどまぁるいよ?」
肉眼で見る限りは、殆ど差がない様に見えるかもしれない。
しかし、だとしても、真円を描いていないのは間違いない事だ。
私はリルを持ち上げてベッドの上に置き、尚も窓辺に寄ろうとするリルを苦笑しながら掴まえた。
「ほらほら……、いい子だから。お昼寝したぐらいじゃ、今日の疲れは取れてないだろう。早く寝ないと、明日の朝が辛いぞ」
そう言って苦笑し、それにもし、と言葉を続ける。
「今すぐ満月になったとしても、もう寝る時間だ。お団子は無理だよ」
「どんなあじかなぁ? つきのあじ?」
「さぁて、どうだろう?」
含み笑いにそう言って、尚も動こうとするリルを、何とか布団の中に入れる。
くるくると寝返りを打つリルを止めて、枕の位置を調整すると、肩までしっかり掛けてやった。
「さぁ、もう寝なさい。温かい布団で黙っていれば、嫌でも眠くなるから」
「でも、ねむくない! アロガもそう言ってる!」
リルの近くのベッド脇で既に丸くなっていたアロガは、リルの事をチラリと見上げたものの、すぐに伏せて目を閉じてしまった。
いつもリルにべったりなアロガでも、心まで一つにはならないようだ。
「アロガは眠いとさ。ほら、リルも眠くなる、眠くなる……」
私も半身を起こしながらリルの横に寝て、布団の上から胸の辺りを優しく叩く。
僅かな間隔を空けて、とんとん、と叩いていると、リルの瞼がとろんと落ちた。
寝たくない、とぐずり始めたものの、子守唄も一緒に歌うと、次第に身体から力が抜けていく。
五分も経つ頃には静かな寝息を立て始め、それでようやく私も眠れるようになった。
しかし、ここで止めたら起き上がるのが、リルという子だ。
慎重に、しばらく手を止めず様子を見守る。
「……相変わらず、寝かし付けるのが大変な子だ」
どうやら本当に寝たようだ、と確認すると、最後に頭を撫でてキスをする。
そうしてようやく、私も布団を被って眠りについた。
※※※
翌日、お昼を過ぎたくらいから、早速お団子を作る事になった。
朝からお団子コールが鳴りやまなかったからだが、食べるのならば出来立てが良い。
しかし、準備するだけなら今からでも出来るから、昼食を食べ終えて少ししてから、準備する事にした。
「さて、まず用意するのは、何だと思う?」
「わかんない!」
「ちょっとは考えなさい」
即答したリルの頭を撫でながら、食糧庫に向かう。
リルとアロガも後を付いて来て、入口で立ち止まると、改めて問うた。
「さて、お団子はこの辺では馴染みがない。もっと東……大陸の端で好まれるお菓子だ。その団子には、いくつも種類があるんだが……。作ると言ったのは、なに団子だったか覚えてるか?」
「なんだっけ……? アロガ、おぼえてる?」
そう聞かれても、アロガは困ったように見つめ返すばかりだ。
そもそも喋れないが、視線を合わただけで互いの事が分かる二人だから、その行動自体はおかしくない。
とはいえ、難しく考え込んでしまったのでは、いつまで待っても答えは出ないだろう。
私は食糧庫の扉を開けながら、答えを口にした。
「正解は、カボチャだ」
「あぁ~、カボチャかぁ……!」
「色味が良くなるし、味付けもほんのり甘くなる。リルもカボチャ好きだろう?」
「うん、すきー!」
笑顔で返事するリルに笑い掛けて、私は中に入るまでもなく、カボチャを手繰り寄せてその手に握った。
空中で滑るようにして手の中に収まり、軽く叩いて音を確かめると、満足気に頷く。
「うん、実が詰まってて美味しそうだ」
「ほんと?」
リルが私を真似て叩こうとし、背を伸ばす。
屈んで叩きやすい高さにしてやると、嬉しそうにぺちぺちと叩いた。
「う~ん。みがつまってて、これはおいしそうだ」
「……お。流石リル先生、違いが分かっていらっしゃる」
「んひひ……!」
やはり嬉しそうな顔のまま、リルは歯を見せて笑った。
私は更に食糧庫から幾つか材料を持ち出し、それから家へと戻る。
団子に一番大事なのはやはりカタクリ粉で、これは保存場所が違う。
薬の材料にもなるので、こちらは錬金側の保管庫にあるのだ。
ユリ科のカタクリの根茎から澱粉を抽出し製造したものなので、下痢くだしなどに使用できる。
料理の材料という考えより、むしろ生薬という認識の方が一般的だろう。
このカタクリは、早春のまだ木々も草も芽吹かぬうちに、いち早く大きく広い葉を出して、雑木林の林床で姿を見せる植物だ。
儚い命、という意味合いを持つほど、地上に出ている期間は短い。
春先の三十日程しか見られない事から、その希少性も高く、一年の間で決まった時期でしか採れないものだった。
しかし、私の庭は色々と勝手が違うので、そうした部分を気にしなくて良い。
この地方では、カタクリを料理の材料として使えるのは、非常に贅沢な事なのだ。
錬金の素材倉庫へ立ち寄り、カタクリの入った瓶を回収すると、それから裏口から家へと入った。
台所では既に準備が始められており、必要な器具などが揃えられていた。
竈にも火が入り、蒸し器まであって準備万端だ。
私は台所に立ちながら、周囲を見渡しお礼を言う。
「いつもありがとう、気が利くな」
「いつもありがとー!」
リルには分からなくて当然だが、とりあえず私の真似して、何もない宙に向かって手を振った。
そうしてリルの手を洗ってやり、自分の手も洗い終えると、ようやく料理の開始だ。
「さ、作るのは良いが……。ちょっと時間が掛かる」
「そうなの?」
「具体的には、カボチャを蒸す時間だな。そのままだと固すぎて調理に向かない。まず、その身を柔らかくしてあげないと」
「……どうやって?」
リルの質問に、見ていなさい、と包丁を手に持つ。
カボチャはそれほど大きくなく、子供の頭程で小振りなものだ。
中心から包丁の切っ先を入れて、体重を乗せながら一気に下ろす。
そうして中心から外へ切り込みを入れると、今度は逆側も同様に入れて、カボチャを二つに割った。
そうすると、後の要領は似たようなもので、四分割にした後、更に細かく皮ごと角切りにしていく。
大体三センチの大きさに揃えると、それらを蒸し器の中に入れて、良くふやかす。
待ち時間は大体、十五分から二十分ほど。
それまでは、どうしても暇になる。
リルに包丁はまだ早いし、何よりカボチャは刃が滑りやすい。
初心者未満の子供にやらせる事ではないから、見ているだけのリルは不満そうだった。
「なんか、やることない?」
「それじゃあ、大事な任務を与えよう」
私がわざとらしく、威厳たっぷりの声を上げると、リルは嬉しそうに背筋を伸ばして待ち構えた。
私もその様子を微笑ましく見つめ、腕を一度降ろしてから戸棚を指差す。
「今日のお団子を乗せる、お皿を選んで来てくれる?」
「……それだけ?」
「とっても重要なことだよ。月をお皿に迎えるのなら、綺麗な物じゃなければ。そうじゃないと、月もがっかりするだろう?」
「……そうかも!」
リルは手を挙げて了承すると、興奮した面持ちで高らかに宣言した。
「これから良いおさらえらびを、がんばります!」
「うん、ぜひ素晴らしい一枚を選んでね」
私が頷くと、リルは嬉しそうに駆けていく。
リビングでこちらの様子を見ていたアロガは、リルの張り切った様子に何事かと顔を上げたが、特に近付こうとはしなかった。
料理中は近寄ってはならないと、よく厳命されているのが理由で、アロガもよく心得たものだ。
時々、我慢できず近寄る事もあるのだが、それで私たちが撫でてしまえば手の洗い直しになる。
だから、私もリルも撫でてくれないと分かっているので、積極的に寄る事もしないのだった。
「どのおさらが良いかなぁ……? こっちかなぁ?」
リルは踏み台を用意して、戸棚の前で悩ましげに声を出している。
しかし、リルはふと思い付いた顔をして、首を横に傾げた。
「でも、つきを乗せるなら、おさらは小さすぎるんじゃないかなぁ」
私はその可愛らしい想像に、ついつい笑って口を挟んだ。
「大丈夫、リルの手の平くらいの大きさだよ」
「けっこう……、ちっちゃい?」
「そうかな? 食べ応えあるだろう?」
リルはむにむにと小さく口を動かし、腕を組んでは考え込み出した。
しかし答えは出ないまま、とりあえず皿探しを再開し始めた。
「んぅ……、これ……かなぁ?」
悩みに悩み、渋りに渋った末に出したのは、いつものお気に入りのお皿だった。
木彫りの丸い皿で、縁には花と茎が織り込まれているデザインだ。
月と……特に秋との親和性は低いが、リルが決めたのならそれで良い。
悩む時間は十分に長く、カボチャの蒸し時間もそろそろ、といった頃合いだった。
私はお皿をテーブルに置くよう指示すると、再びリルを台所に呼んだ。




