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混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第一章
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母の副業 その7

「手を貸してやるのは良いんだが……」


「良いのか……!?」


 ラーシュは目の前に吊るされた餌に、躊躇う事なく食らい付いた。

 テーブルに手を突いて、前へせり出して来る顔を、手で払って追い返した。


「しかし、ツケは既に五つ溜まってるんだぞ? その事実まで忘れられては困るな」


「……うっ! あぁ、分かってるさ……」


「で、ここからまた、ツケを貯めても良いのか? 言っておくが、貸し一つを小さく見てるなら大間違いだからな」


「わ、分かってるさ……!」


 顔を引き攣らせている所からして、その重大さはしっかり理解出来ているらしい。

 しかし、事の大きさまで、理解してるか怪しいものだ。


 私が胡乱な視線を向けると、オンブレッタが胸を叩いて頷いて来た。


「その辺りは、私の方が管理しておきますよ。たかだか果物を奢った程度で、一つ返上できた、なんて思われては大変ですから」


「……そうだな。お前に分かって貰えてる方が、色々と安心できるか」


「えぇ。小さく見たり、反故した時、どうなるかなんて考えたくもないですから。きっちり返済して貰いますとも。その際は、是非私の方に報告頂けると幸いです」


 私が満足気に頷くと、オンブレッタは全てを心得ている表情で一礼した。


 しっかり者の彼女が請け負ってくれるなら、私としても安心できる所だ。

 ラーシュに一任するなど、恐ろしくて出来たものではない。


 これで牽制も出来た事だし、貸しを返さない内に新たな依頼など、これからして来なくなるだろう。


 その事実だけでも、こうして話を聞きに来た価値があった。


「……さて。それじゃあ、さっさと済ますか」


 私は静かな寝息を立てて、身体を預けているリルをそっと退かす。

 そうして、自らもソファーから腰を上げると、そこに優しく寝かせた。


「何か毛布をリルに」


 声音を落としてオンブレッタに頼むと、心得た彼女が足音を立てずに退室して行く。


 そうして幾らか待つと、手には厚手の毛布を持って帰って来た。

 それを受け取り、リルの肩までしっかりと毛布で覆ってやる。


 幼い寝顔に、頬を緩めて見つめた。


「すぐに帰って来るからな……」


 頭を撫でたい衝動を、グッと我慢して傍を離れる。

 そうして、テーブルの上に置かれた羊皮紙を、改めて手に取った。


 冒険者はギルド加入時に、親指で血判を押す。


 自分の名前さえ書けない者が多いから、そうした制度がある訳だが、これた単にサイン代わりに捺す物、という訳でもなかった。


 血液は魔術的にも個人情報の塊だ。

 だから、そこを精査して位置情報を割り出すのは、決して難しい事ではない。


 ラーシュ達が後数日で国境を越える、と判断したのも、対象の現在位置が分かったからだ。


 しかし、それは相手も十二分に理解している事だ。

 だから位置が分かったとしても、そう簡単に追い付けないルートを選ぶ。


 馬が使えない山林であったり、断崖絶壁の山を越えようとしたりもする。

 その上、距離が遠退くほど、その位置情報は割り出せなくなっていく。


 海を越えて別大陸に、ともなれば、尚さら難しいだろう。


 彼らとしては、全くの別大陸で一から始めるにしても、実力はあるからやっていける自信があるかもしれない。


 一年程度は(くすぶ)る事になるのだろうが、新天地での再出発と思えば、そう悪く考えたりしないのかもしれない。


 私はソファーから離れ、羊皮紙を手に持つと、オンブレッタに尋ねた。


「空き部屋はあるか? 出来れば五人ほど入っても、問題ない広さが良い」


「では、一階倉庫へご案内します。多少、物音が鳴っても問題にならないでしょうし」


「おう、よろしく頼まぁ。俺はリルちゃんを見ておくぜ」


「いいや、お前も出てろ。リルに近寄るな」


 にべもなく言うと、ラーシュはショックを受けて打ちひしがれた。

 だが、良く心得ているオンブレッタが、その肩を掴んで立ち上がらせる。


 そうして、そのままラーシュを引き摺って共に退室した。


「ご安心を。この後すぐ部屋に戻り、リルちゃんは責任持ってお預かりしますから」


「うん、お前なら少しは安心できる。それに、どうせ長くは掛からない」


 一階に下り、ロビーを経由して倉庫へ向かう。

 扉を開けると埃と黴の臭いが鼻をつき、思わず顔を顰めてしまった。


「では、後はお任せ致しますね」


「あぁ、捕縛する縄でも用意してろ」


「それもこの倉庫にありますので」


「なるほど、良い場所を選んだな」


 私がチラリと笑ってオンブレッタに微笑み、次にラーシュへ顔を向ける。


「準備しておけよ。多分……、三十分と掛からないから」


「幾らなんでも速すぎ……いや、そうでもないのか。ともかく、待ってるぜ」


 私はそれに無言で頷くと、倉庫の床にマーキングを施す。


 それは目に見える分かり易い印などではなかったが、術者にだけ分かる、確かな印として刻まれた。


 そうして、次に羊皮紙の拇印を指でなぞる。


 本来は専用の設備なくして解析できない、血液からの情報を読み取る方法だが、私にとっては造作もなかった。


 そうして解析が終了するなり、魔力を練ってその場から転移し、姿を消した。



  ※※※



 次の瞬間、軽い浮遊感と共に視界が切り替わる。

 それは高い山脈の尾根で、周囲は一面の銀世界に覆われていた。


 急激に変わった標高と寒さに、一瞬、息が詰まる。

 吹雪いてはないものの風は強く、下手をすればそのまま尾根から滑り落ちる所だった。


 突然の状況に私も驚いたが、それ以上に驚いたのは“黒鉄の戦鎚”だろう。

 彼らはろくな防寒具も身に着けておらず、今にも凍えそうな顔を引き攣らせていた。


「――な、何だッ!? お前ら、こいつ……ッ!」


 仲間に警告を呼びかけ、自らも武器を取ろうとした――その一声。

 それが、彼に出来た唯一の抵抗だった。


 次の瞬間には、私の拳が顎先を掠める。

 それで脳を揺さぶられ、呆気なく昏倒した。


 背中に戦鎚を背負っている事から、彼がリーダーで間違いないだろう。


 その戦鎚を構える事なく、彼は雪の上に倒れ込んだ。

 抵抗しようとしたのはリーダーだけで、他の四人は既に戦意喪失している。


 誰も彼に続いて、武器を手に取ろうとはしなかった。

 震えているのは、寒さから来るものだけではないだろう。


 この状況に絶望しているのは、彼らの表情からも明らかだった。


「ギルドに処刑人がいるって噂は、本当だったのか……」


「リーダーが一撃で……」


「だから俺は、素直に出頭しようって言ったんだ!」


 彼らは皆一様に、戦意を喪失している。

 そして、話を聞く限り、逃避行はリーダーが強行した事でもあったようだ。


 しかし、そのリーダーを諌められなかった時点で、彼らが加担しているも同様だ。


 文句を言いつつ、こうして人の通らない道を進んでいるのだから、新天地でやり直す計画に、仄かな希望を抱いていたのだろう。


 ただ、ろくな防寒具も身に着けてないのは、これが突発的な逃避行である事も意味していた。


 追手を恐れてこの道を選んだにしろ、防寒具なしに踏破するのは無謀極まる。


 あるいは、その防寒具すら買い込む姿を見られたくなかったから、かもしれないが、どちらにせよ賢い選択ではない。


「……お前達、“黒鉄の戦鎚”で間違いないな」


「そ、そうだ……! 頼む、命だけは……!」


「それを決めるのはギルドだ。私じゃない」


 にべもなく言い放つと、最後尾にいた冒険者が身体を翻した。


「い、嫌だ……! 嫌だぁぁぁ……!」


 振り返った先は、男四人が歩いた事で、膝まで埋まる雪道となっていた。

 幾ら逃げようとしても、土の地面同様には走れない。


 しかし、私にとっては関係なかった。

 誰も歩いていない雪の上を、僅かな足跡だけ付けて走る。


 雪の上を土の地面と変わりなく走り抜けると、その背後に追い縋って捕まえた。


「い、嫌だ……! 嫌――ッ!」


 男の抵抗は激しかったが、長く続かなかった。

 掴んだ襟首を無理やり後方へ引っ張り、それで男は呆気なく宙を飛ぶ。


 そうして元の位置まで戻され、雪の上を転がった。

 私は雪の上を戻りながら、彼ら四人に指を突き付ける。


「――警告だ。これ以上の抵抗は、戦意ありと見做し、攻撃する。それが嫌なら手を上に挙げろ」


 他の男達は従順だった。

 只でさえ青かった顔が、死人の様に白くなっている。


 私は息を一つ吐くと、彼らに認識阻害の術を掛け、ここで出会った記憶を飛ばす。

 それでようやく、彼らを倉庫へと転送する準備を始めたのだった。


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