母の副業 その4
「……いや、すまなかった。まさか、そういう事情があったとは知らなくて……」
ラーシュは素直に陳謝して頭を下げた。
私は鷹揚に構えて小さく手を振り、気にしていないと返す。
「言ってない訳だしな、別にいいさ。それに、リルにとっては最初からいなかったものだ。それで不便を感じたこともない」
「いや、まぁ……、そうなのかもしれねぇが……。しかし、父親ってのも必要なもんだぜ? 子供は二人の親から愛情を貰って、育つモンじゃねぇかな」
「ギルド長、尤もらしい発言ですが……。そうやって未練がましく自分をアピールするのは、如何なものかと思いますがね」
「ばっ……、そんなんじゃねぇって!」
妙に焦るラーシュを、私は冷めた視線でじっとりと睨む。
話の流れ的に、どう捉えられるかど明白だ。
そして、私の答えは初めて彼と出会った五年前から、一度として変わっていなかった。
大体ラーシュが言う様に、必要だと思っているなら、既に行動を起こしている。
しかし、もし欲したとしても、私はラーシュを選ぶ事はなかっただろう。
必要なのは頼りがいのある子に良い影響を与える父親なのであって、うだつの上がらない父親ではない。
「ねぇ、お母さん……。ちちおやって、なに?」
「もう一人のお母さん……、みたいなものかな。男のお母さんだ」
「んぅ……? もうひとり? お母さんが?」
これは私の説明も悪かった。
適切な言葉を選べなくて、更に混乱させてしまった。
リルは小首を傾げて不思議そうに見上げて来るばかりで、私はその頭を優しく撫でる。
「一緒に住む、もう一人の親のことだよ。普通は男と女、両方の親がいるものなんだ」
「そうなの?」
「それを寂しいんじゃないかと、必要な愛を与えられてないんじゃないかと、このおじさんは言うわけだ」
「おじさんって、お前ね……」
ラーシュは私の言い様に物申したい気持ちらしいが、子供から見た三十代半ばは、十分おじさんの領域だ。
「でも、リルにはアロガもいるよ。お母さんがいないとき、さびしいって思ったりするけど……」
「そう、それ! そういうのを言いたかったの、俺は!」
突然、指を向けられて、リルはビクリと肩を震わす。
リルがより一層、私により沿って来て、それを見たオンブレッタは無惨に歪んだトレイでラーシュを殴った。
「――アイテッ!?」
ギルド長を受付嬢が殴るなど、本来あってはならない事だろう。
しかし、今の遣り取りを見る限り……どうやら、二人の上下関係が分かって来た。
「幼い子に大きな声をぶつけないで下さいよ。只でさえ、獣人は音に敏感なんですよ? こんな狭い部屋でそんな真似したら、怯えるに決まってるじゃありませんか」
「いや、悪ぃ。ちょっと我を忘れてて……。リルの嬢ちゃん、すまなかった」
ラーシュが両膝に手を当て、しっかり頭を下げて謝罪した。
悪いと思ったら、どれほど幼い子でも、ラーシュは頭を下げられる。
そして、どれほど身分の低い相手であっても、同様に謝れるのが彼の美徳だった。
とはいえ、だからと言って友人以上の関係にならないのは、やはり変わりない。
「だがよ、親が一人しか居なかったら、実際家を空ける時なんか、一人にさせちまう訳だろ? 親が二人いりゃあよ、そういう事だって……」
「大丈夫だ、うちにはアロガがいる」
「うん、リルといつもいっしょ!」
「どこの誰だ? そのアロガ、っつー野郎は……!」
怒りを向ける権利すらないのに、一人前に敵意を漲らせるラーシュに、冷めたままの視線で答える。
「うちで飼ってる狼だ」
「お、狼? 大丈夫なのか、それ……」
実際には狼ではなく剣虎狼だが、魔獣は狼以上に懐かない。
……懐かない、とされる。
だからここで馬鹿正直に応えず、無難な動物の名を上げた。
「拾ったのは、まだ赤子同然の頃だ。リルとは姉弟同然に育った。何の問題もない」
「まぁ、狼も幼い頃から育てれば、人に懐くと聞いた事はあるけどよ……」
信じ難いものを見る目を向けたのは一時の事で、暫くすると、険しかった表情も改まった。
「まぁ、つまり……。ほら、やっぱり男手ってのは、必要なもんじゃねぇかな? 子供に寂しい思いだって、させずに済むぜ?」
「まぁ、それはな……」
その点だけは事実なので、とりあえず頷いた。
私が狩りに行く際、あるいは薬草などの採取に行く際、森に入る時はどうしても置いて行かねばならない。
リルに森へ入る事は禁じているので、その間はアロガに面倒見て貰うしかないのだ。
そのアロガも、ようやく初狩りが終わったので、これから森へ連れ立つ機会も増えるだろう。
リルに寂しい思いをさせる機会は、今までより多くなるのは間違いなかった。
「男が稼いで、女は家。それが昔からの慣習じゃねぇか。そういうありきたりの幸せってのは、良いもんだと思うぜ?」
「それは自分で叶えろよ。お前の幸せを、私に押し付けられてもな……」
「いやいや、嬢ちゃんにだって悪い話じゃないだろ? なぁ、リルちゃん。お母さんと毎日、ずっと一緒にいたいよな?」
「いたい!」
リルは屈託笑って、私に抱き着いてきた。
本音で言えば、私だって片時も離れず一緒にいたいものだ。
家の中、そして畑の仕事だけで済ませられるなら、リルが寂しく思う時間は激的に減る。
しかし、その為には一つ、大きな問題を飲み込まなければならないと、リルはまだ知らない。
「いいかい、リル? ずっと一緒にいたいのは、お母さんだって同じだ。でも、このおじさんが言うのは、その為に父親を家に入れろって言ってるんだ」
「よく、わかんない……」
「父親っていうのは、家族だ。つまり、一緒の家に住むって事だな」
「……だれが?」
「このおじさん」
私が撫でていたリルの頭から手を離し、ラーシュに指を向ける。
リルはその顔を見つめるなり、思い切り顔を逸らした。
「――やっ!」
「そうだよな、嫌だよな?」
「いや、でもリルちゃん……」
「やっ! ぜったい、やっ!」
リルは私の腰に腕を回し、お腹辺りに顔を埋めて、いやいやと首を振る。
私と一緒の時間が増えるより、家に異物が増える方が、よほど嫌な事らしい。
そして、それは私も同じだった。
あの時間、あの空間は、私とリル……それに加えてアロガのものだ。
余人を交えて、共有したいとは思わない。
それが来客程度の事ならまだしも、共に暮らすとなれば、どうしても忌避感の方が勝る。
あえて家族を増やせるとしたら、それこそアロガみたいな、ペット枠に限った話だろう。
私は強く抱き締めてくるリルの頭を撫でながら、優しく語りかける。
「大丈夫、このおじさんは、父親でも何でもない他人だから。家に入ってくることもない」
「ほんと……?」
上目遣いに見つめてくるリルに、優しく微笑んで頷く。
「あぁ、本当だとも」
「俺ぁ、何でもない他人か……」
ラーシュは今更ながら、がっくりと肩を落とした。
だが、私の返答は意外でも何でもないはずだ。
「いや、ギルド長。それこそ告白した最初の段階から、答えは今までずっと変わってなかったじゃないですか。どこにガッカリする要素ありました?」
「オンブレッタ、お前はちっと言葉を選べ! 男の心意気が、また玉砕したんだぞ!」
「はいはい、またね。二度目とかならまだしも、もう百回は玉砕してるじゃないですか。それだけ何度も砕けてれば、いっそ触ったら砕ける玩具、みたいなモンですよ」
「そこまで言う事ぁ、ねぇだろ!」
ラーシャは唾を飛ばしてがなり立てるが、オンブレッタに堪えた様子は見られない。
どこまでも自然体なのは、この遣り取りに慣れ切っているからでもあるだろう。
「大体、本人が駄目なら子供から、っていうのが浅ましいんですよ。子供が抱き込めても、本人に脈がないなら、結局意味ないんですから」
「うるせぇな、いいだろ! 関係が前進する可能性があんなら、それに賭けるのも男なんだよ!」
「残念ながら、いま思いっきり後退したみたいですけどね」
リルはラーシャを親の仇のように見つめている。
獣人らしく牙を剥いて威嚇していた。
まだ幼子のリルがそれをやると、ただ可愛いだけでしかないのだが、その拒絶は如実に表れている。
即ち、こんな人を母の元には近付かせない、という威嚇だ。
将を射んと欲っして、馬を射ようとした結果、その馬に蹴られたみたいなものだろうか。
ラーシュには残念な事だが、これでまた一つ、道が遠のいたと言って良いだろう。
ただし、最初から繋がってない道だから、どれだけ遠退いても関係ない、とも言える。
いい加減、このバカ話に付き合ってられず、私はオンブレッタへ顔を向けた。
「それで……、私に頼みたい事ってのは何なんだ? この馬鹿は撃沈して話す元気がなそうだし、そっちの方から話してくれないか」




