街での騒動と母の怒り その3
実際に商談を始めるに当たって、私とリルは奥の部屋へと通された。
店舗となる建物と、隣接する形で鍛冶工房があり、その隣に彼らが住まう母屋がある。
その母屋へと通されると、グルダーニがお茶を運んでテーブルに置いた。
私もテーブルに座るが、ドワーフ用なので丈が短い。
リルにとっては丁度良いから座らせて、私は自分で座椅子を喚び出し、そこに座った。
「相変わらず、便利な事しとるの……。それでもうちょっと、他人に対する気遣いってものがあれば、余程マシになるんじゃが……」
「するべき人にはそうしてる。煩いぞ。……大体、ドワーフは頑丈なんだから良いじゃないか」
「頑丈なんて理由で、気楽に蹴られて堪るかい!」
またも大声を出して、リルの肩がビクリと跳ねた。
尻尾はボッと膨れ上がり、四肢が硬直してしまっている。
私は横に手を振って、バルミーロの頬を引っ叩いた。
「あイタッ! 何するんじゃ!?」
「うちの子を怯えさせるなって、何度言えば分かるんだ。鍛冶で耳がやられた、なんて言い訳……私に通用すると思うなよ」
「おぅ、まぁ……うん。すまんかった」
そう言って、バルミーロは素直に謝罪した。
私の顔色を見て、どこまで本気か感じ取ったのだろう。
誰を敵に回すと厄介なのか、彼はそれをよくよく理解している。
「嬢ちゃんも、すまんかったな」
「うぅん……。あの……リルです。はじめまして……!」
言われる前にしっかりと挨拶できた所を見て、私は嬉しくなって頭を撫でた。
「よく出来た……、そしてよく言えたな。偉いぞ、リル」
「んひひ……!」
私がリルを撫でくり回すのを、バルミーロはやはり唖然とした顔で見てくる。
その静止した不躾な視線に、私は睨みを利かせて返す。
「……何だ」
「いや、何も……。何もないんじゃ。儂は何も見とらん」
バルミーロは気不味そうに視線を逸らすと、その先がリルの所で止まる。
そうして、今更ながら返礼してなかったと気付き、バルミーロも自己紹介を始めた。
「丁寧な挨拶をありがとう、嬢ちゃん。儂はバルミーロ。ドワーフで、鍛冶屋をしとる。まぁ、色々……おんしの母親には、昔から世話になっとるよ」
そう言って、ヒゲで埋もれた口で、にっかりと笑った。
その笑みに誘われ、リルも幾ばくか緊張を和らげた。
「親方は只でさえ顔も怖いし、声もデカいんだから……。小さなお子さんがいるなら、ちょっとは気遣いしてあげないと駄目ですよ」
「うるっさいわい!」
「――煩いのは、お前だ」
小さく手で払う動きを見せれば、それに合わせてバルミーロの顔が弾かれる。
このドワーフは、反省という文字を知らないのだろうか……。
リルだって、言われた事はすぐに直して、同じ過ちはしないというのに。
翌日また同じ間違いをする、というのも珍しくないが……。
しかし、言われた直後に同じ間違いをやらかす程、考えなしではない。
そうして弾かれた顔を戻したバルミーロは、叩かれた頬を擦りながら、恨みがましい視線をぶつけて来た。
「相変わらず、手が出るの早いの……。少しは大人しくなったのかと、思った矢先にコレじゃ……。子供の教育に良くないじゃろが……」
「じゃあ、お前がそうさせないよう、努力すれば良い」
ムードが険悪になりそうになった所で、グルダーニが再び間に割って入った、
愛想の良い笑みを見せ、空気を払拭しようと必死だ。
「まぁまぁまぁ……! あの、宜しければ……お子さんを外にご案内しましょうか?」
「……どういう意味だ?」
母と娘を引き離そうなど、あって良い事ではない。
何かろくでもない考えを持っているのかと思い、睨みを利かせると、グルダーニは両手を横に振って否定した。
「いえ、何と申しますか……! 親方は頭の固い、昔気質のドワーフでもありますし……」
「あぁ……」
どうせ私が何て言おうと、そして何度叩こうと、がなり立てるのは変わらない。
というより、染み付いた習性なので、変えようがないのだ。
槌を叩いて、間近で大きな音を聞くのが日常化しているので、耳も遠くなっているのも本当だ。
だから声量も、それに合わせて大きくなるものだ。
これはバルミーロがどうこうではなく、鍛冶屋の職業病とも言えた。
「それに、多分いつもの様に長くなりますよね……? 小さなお子さんは、ただ黙って待ってるだけじゃ、退屈ではありませんか。宜しければ、世話役を申し付けていただければ、きっと役に立ちますよ」
「リルは良い子だが、そうだな……。退屈させてしまうのは……うん、どうしようもないか」
「職人通りは色々と見応えがあって、馴染みのない人には楽しい所ですよ。小一時間ほど、ご案内してあげるのも、良いんじゃないかなぁと……」
「まぁ、そうだな……」
職人通りに入ってすぐに、裏路地へと入ってしまったから、リルはろくに目にする事も出来なかった。
しかし、そこへ足を踏み入れた時、リルは瞳を輝かせていたと記憶している。
見られるものなら、見てみたいだろうが……。
私はリルへ視線を移し、その頭を撫でながら訊いてみる。
「どうだ、リル? 少し外の様子を見てみたいか?」
「んと……、その……」
「そうか。やっぱり、お母さんの傍を離れたくないか……!」
がばりと抱き着き、その温かな体温を感じていると、リルは手を振り回して声を上げた。
「そうだけど、そうじゃないの! みれるなら……、みたいけど……。でも……お母さんとはなれて、だいじょうぶ?」
グルダーニは、職人通りで生活して長い。
見た目通りの年齢ではないし、ここでの流儀に慣れている。
表通りで店を営む職人とも顔が利くし、裏路地、裏道、裏通り……。
そうした抜け道にも長けている筈だ。
何か問題があっても、上手く切り抜けるか、躱すだけの世知を身に着けているだろう。
そして何より、職人気質で回りが見えていないバルミーロより、よほど常識的なドワーフなのだ。
子供に対する気配りは、それなりに出来るだろう。
しかし、リルを任せるに値するかと言うと、些か疑問があった。
「グルダーニに任せて、本当に大丈夫か……? そこに不安があるんだが」
「いや、うちは小さい弟と妹がいて、よく世話もしますんで、扱いには慣れたものですよ」
そう言って胸を叩くグルダーニの顔には、言葉通りの自信が溢れていた。
そして実際、普段から相手しているなら、歩き慣れた場所を案内する程度、どうという事はないだろう。
「……分かった。じゃあ、小一時間したら帰って来い。リルに怪我させるなよ」
「はい、お任せを」
そう言って胸を叩いたグルダーニを他所に、私はリルへと身体ごと顔を向ける。
「いいかい、リル? 手を離さず、言われたことをよく聞きなさい。職人通りは武器とか尖ったものが沢山ある。グルダーニが駄目と言うことは、お母さんの言葉だと思いなさい」
「わかった!」
「うん、良い子だ」
そうしてもう一度抱き締めると、グルダーニの顔を睨み付けて厳命した。
「危険な所には近付けない様に。リルは言い付けを守れる子だが、街に来るのは今日が初めてだ。好奇心旺盛な子だから、決して目を離すな」
「分かりました、お任せください」
その自信ある返事にとりあえず頷き、リルを椅子から降ろしてやる。
リルは母から離れる不安から、目に涙を濡らし――。
「ね、はやくいこっ!」
――たりはせず、グルダーニの手を引っ張りながら、扉の奥へと消えて行った。
何処までも好奇心旺盛な子だ……。
先程、怖い思いをした事など、すっかり忘れているのではなかろうか。
一応、悪漢どもに襲われた直後の筈なのだが……。
とはいえ、いつまでも恐れて震えているより、健全と言える。
母の心配など蹴飛ばす様に去って行ったことに、一抹の寂しさはあるが……。
しかし、元気であるなら、それに越したことはなかった。
慌ただしく外へ連れ立って出掛ける音が耳を広い、扉が閉まる音を最後に沈黙が流れる。
そうして無音が流れること三秒――。
さて、とバルミーロが片腕をテーブルに置き、ズイ、と身を乗り出して来た。
「それじゃあ早速、ブツを拝ませて貰おうとするかい」
私も最初からそのつもりで来た。
鞄をテーブルに上に置くと、中から取り出す様に見せて、次々とテーブルの上に置いていった。




