街での騒動と母の怒り その1
ベントリーの見送りを受けて、私とリルは来た道を戻る。
リルはと言うと、何故か息を止めていて、少し離れた所で盛大に息を吐いた。
「どうした? 何か緊張させちゃったか……」
「うん、なんかね……。なんか、へんだった……!」
あそこは誰もが気軽に入店できる、というタイプの店ではない。
店頭にある商品を眺めて、欲しい物を選ぶと言うよりは、気に入りそうな物をわざわざ持ち込むタイプの店だった。
だから、店内に置かれた商品は、謂わば釣り餌みたいなもので、見栄えの為に陳列されていると言って良い。
そして、そういう店だからこそ、入来店する客に対して非常に慇懃無礼だ。
私とベントリーは長い付き合いだから、砕けた雰囲気があるとはいえ、しかし気安い関係とも違う。
その緊張感が、リルには伝わっていたらしい。
その辺りは獣人らしく、緊迫した空気感や、緊張感というものに敏感なのだ。
私はリルの手を優しく握り返しながら、その手の甲を指の腹で撫でる。
「でも、リルも良く我慢していたね。お行儀よく座ってられて、偉かったぞ」
「えらい? リル、えらい?」
「あぁ、偉かったとも」
私が素直に賛辞を送れば、リルは擽ったそうに笑ってから、分かり易い要求を突き付けて来た。
「それじゃあ、なにか食べたいっ!」
「あぁ、そうだな……」
来る道々の売店や出店などで、リルは何か買うか非常に悩ましく見ていたのを、ハッキリ覚えている。
そして、商売通りから抜き出てから、引き返さずに進んだのを、非常にガッカリしたのを見ていたのだ。
今は昼には少し早い時間――。
今日はまだ他に商談がある事だし、それが終わってからだと昼は過ぎてしまうだろう。
今の内に、何か軽くお腹に入れておいた方が、良いような気がした。
また道を引き返さねばならないが、それはそれだ。
「じゃあ、さっき見て回った店で、リルのお気に入りを買いに行こうか」
「かう……? かうってなに?」
「あぁ、そうか……」
商品の売買について知らないリルは、食べ物というのは、欲すれば得られると思っている。
森での生活は基本的にそうだし、売買を教える機会もなかったので、下手をするとそのまま強奪してしまいかねなかった。
「いいかい、リル。大事なことだ、よく聞きなさい」
「うん……っ!」
「街では……というより、森の外では、何かが欲しかったらお金が要る」
「おかね……? どういうの?」
「こういうの」
そう言いながら、手は塞がっているので、魔術を用いてお金をリルの目の前へと滑らせる。
そこにあるのは銅貨と銀貨が数枚ずつだ。
それぞれの価値を教えるのはこれからだとして、何がお金かを教える方が重要だった。
リルは目の前にある硬貨を掴むと、裏返して見たり、銅貨と銀貨を見比べたりと忙しい。
「これが~……、おかね?」
「そう。それを渡すと、代わりに食べ物を貰えたりする。それが街でのルールだよ。勝手に持って行くと怒られるから注意しなきゃいけない」
「そうなんだぁ……」
リルは何かを感じ入ったかのように頷く。
その間に、硬貨をリルのポケットへと仕舞ってあげた。
「これからリルが食べたいと思った所に行こう。そうしたら、代わりに今のお金を渡すんだ。リルに出来るかな?」
「できる!」
元気よく返事すると、やる気を漲らせて鼻息荒く頷いた。
ぷすぷす、といつもの音が小さく聞こえる。
そうしてリルが選んだ出店は、最初に良い匂い、と反応した所だった。
私からすると特別感は全くない串焼き屋だが、リルにとっては違うらしい。
甘辛いソースと、シンプルな味付けの塩、その二種類を販売している。
「んぅ~……っ」
店の前に立ったリルは、右手で甘辛ソースを選ぼうとし……。
かと思えば引っ込めて、左手で塩を選ぼうとする。
「んぅ……っ?」
しかし、すぐに左手も引っ込めてしまった。
次は両手を伸ばして、ぷるぷると震えたかと思うと、結局どちらも選ばず腕を降ろしてしまった。
「リルには、どっちかなんて、きめれない……!」
その微笑ましいばかりの光景に、自然と頬が緩む。
「だったら、どっちも買えば良いじゃないか」
「いいのっ!?」
「でも、それだとお昼が食べられなくなるから、お母さんと半分こずつ食べよう」
「うんっ!」
そういうと、リルはソースと塩の串焼きを、順番に指差しながら店員に注文する。
「これと、これ! くださいな!」
「はい、ソースと塩ね! 自分で持つかい?」
「うんっ!」
リルとの遣り取りを見ていた店員も、その光景にすっかり微笑ましい気持ちになったらしい。
身体を屈めてリルの手に持たせる、という対応をしてくれて、両手に串を持ったリルはご満悦だ。
しかし、その時になって、どうやってポケットからお金を取り出すか、という問題に直面した。
「あっ! んぅ……、んん……!」
「ほら、今だけお母さんが持っててあげるから」
「うん、たべちゃダメね。さきにたべるのダメだからね!」
「はい、はい」
笑って答えれば、リルはポケットから全財産を取り出し、店員に渡す。
渡された店員は笑顔で対応し、受け取った銀貨を二枚返しながら、更にお釣りも渡した。
「これ全部じゃ、ちょっと多いな。……はい、これお釣りね。まいどあり!」
「お母さん、おかねふえた!」
「ふふっ……、それは増えたんじゃなくて……。うん、今度きちんと勉強しような。店主、どうもありがとう」
礼を言うと、店員も嬉しそうに会釈する。
せがむリルに串を返してやり、そうして一度往復した道を、また引き返しながら、何処か座れる所がないかと探した。
※※※
そうは言っても、観光推進してる都市でもないから、休憩できるスペースなど早々なかった。
それで仕方なく食べ歩きする事になったのだが、リルは非常にご満悦だった。
互いに手を握って歩きつつ、あれは何、これは何、とリルの興味は尽きない。
そして質問の合間に串焼きを頬張り、嬉しそうに見上げてくる。
私もそれに微笑み返して、串焼きの肉を頬張った。
味は特別、良くはない。
牧畜が盛んな街だから、出店が開けるほど肉の需要は大きいから、どこでも見掛けられるし売られている。
今回買ったのは羊肉で、簡単に炭で炙っただけのものだ。
しかし、特別粗悪でもなく、こういう物だと知っていれば、雰囲気と合いまって美味しく感じる。
今のリルが、正にそういう感じだった。
街の雰囲気に酔っていて、何でも美味しく、楽しく感じられているのだ。
「お母さんの方も、たべたい!」
「あぁ、いいとも。そっちと交換だ」
串には肉が四つ刺さっていた。
リルは二つ既に食べ終わっていて、串を交換するタイミングで、自分の分を食べてしまう。
互いの串を交換し終えると、リルは小さい口でお肉に食らいつき、満足そうに咀嚼していた。
現在は丁字路方面を右に曲がり、職人通りへと向かっている。
市場通りも騒がしいものだったが、こちらの騒がしさは、また種類が違った。
「すごい……、ひとがごちゃごちゃ……」
買い求める物の種類が違うから、そこに訪れる者も冒険者であったり、魔術士や狩人、荒くれ者といった者が多い。
歩く者への気遣いなどもなく、弱い者から退けろ、と言わんばかりに歩く者もいた。
私はともかく、リルを蹴飛ばされては堪らないから、一度裏路地の方へ入った。
元より目的地は、こうした裏通りに店を構えている相手なので、遅いか早いかの違いでしかない。
ただし、裏通りというのは、どこでも治安が悪い、というの相場だ。
余り長く裏路地を歩くと、それだけ無駄なトラブルを招く事になる。
そして、目の前にはそのトラブルが、列をなして道を塞いでいた。
「へっへっへ……」
目の前では、いかにもな風貌をしたチンピラが五名。
手にはそれぞれ武器を持ち、短いナイフをチラつかせている。
ただし、中央にいるリーダー格の男だけは腰に長剣を佩いており、その剣の柄に両手を置いていた。
「お母さん……」
リルが不安そうに見上げて来る。
私は安心させる為、ニコリと微笑みかけ、それから小さく頷いた。
「大丈夫、こいつらは何でもない」
その言葉を耳聡く聞き取り、中央にいる男が睨みを利かせて凄んでくる。
「おいおい、何でもないって言ったか? 丁寧に案内してやろうと思ったのによ……。こりゃあ通行料貰わねぇと、許せなくなっちまったな」
周囲の男から下品な笑いが漏れた。
私はリルを隣に置いたまま、その手を軽く握り直す。
「いいかい、リル。こういう時の対処方を教えてあげよう。レクチャーその一だ」




