狩りとおでかけ その4
森の奥へと踏み込む程に、木々はより密集し、視界の確保が難しくなっていった。
その上、茂った葉で陽光を遮られ、視界は常に薄暗い。
やり辛い事この上ないが、そこは流石にアロガが道の先を良く見ていた。
危険そうな方向へ足を踏み入れそうになれば、先んじて身体を前に出し、進路を妨害してくれる。
私も気配を読むのに長けている自信はあるが、流石に剣虎狼の方が軍配は上がるらしい。
……尤も、生来の臆病さで成せる業なのかもしれないが。
そうして、更に歩き続けること暫し――。
風の香りに導かれ、ようやく獲物を見つけるのに成功した。
「……あれだ」
木の陰に隠れ、身を低くして奥を伺う。
目視できるギリギリの距離に、木の皮を齧る鹿がいた。
しかし、只の鹿ではない。
生えている角は木枝の如く枝分かれして、そして実際、葉が茂っている。
魔獣は体内にマナを取り込み、そして魔力を扱える事から魔獣と呼ばれる。
だがこの魔獣は、そのマナを枝角へと集中させている、珍しい種だった。
魔枝鹿と呼ばれるこの魔獣は、他の魔獣よりマナの扱いに長けている。
だからこそ、肉食の魔獣が跋扈する地でも、生息できている、という所があった。
枝角から繁る葉は、少し動くだけで舞い散る様に落ちる。
しかし、これは実体ある葉という訳でもなかった。
その証拠に、地面へ落ちるより前に、空気に溶けて消えて行く。
周囲からマナを吸収しつつ、取り込めない過剰分を、外へ放出しているのだ。
それが一種の警戒網となっており、単に気配を消して近付いただけでは、捕捉できない仕掛けとなっていた。
弓や魔術を使って遠距離攻撃をしても、それは同様だ。
魔枝鹿の周囲を、広い範囲で膜の様に覆っているので、感知したと同時に逃げ出す。
マナをたっぷりと吸い込んでいるだけあって、その使い方も潤沢だ。
仮に感知より早く接近できても、魔力を使って攻撃ないし逃走する。
肉食魔獣を返り討ちにする事さえあり、決して油断できない獣だった。
しかし、その肉は大層美味で、この森で得られる肉としては最上級の部類だ。
干し肉にしても臭みがないから食べやすく、そのくせ固くなり過ぎない。
保存食を作るとしたら、まずこの魔枝鹿は欠かせないと言って良かった。
「アロガ、分かるか? あれが今回の目的だ」
アロガは返事こそしないが、魔枝鹿をしっかり見据えている。
返事をしないのも、アロガなりに慎重さを見せているからだろう。
「素直に近付けば逃げられる。……だが、周囲に散らばるマナに濃淡があるだろう? 濃い部分を避けて移動するんだ」
魔獣というのは種族毎に差異こそあれど、無色透明であるマナを感じ取れるものだ。
それは時として、匂いよりも敏感に感じ取る、とされる。
だから、アロガも当然、マナの具合は感じ取れる筈だった。
「けどな、アロガ……。当然、そのまま進むんじゃ駄目だ。マナの薄いところがあろうと、感知されないって意味じゃないからな」
そう言ってから、アロガの顔を盗み見る。
理解してるかどうなのか、アロガは緊張感のない視線で魔枝鹿を見つめていた。
「今から私がマナに干渉する。薄い所を更に広げて、感知できない道を作るから、そこを通って襲撃するんだ。……出来るな?」
伏せて待機するアロガの背中を優しく叩く。
すると、ようやくアロガは顔を上げて、鼻先にシワを寄せて唸り声を上げた。
「……大丈夫、と思って良さそうだな。じゃあ、準備を始める。お前はいつでも飛び出せる様に構えていろ」
背中に手を当てたまま、私は周囲のマナに干渉を始めた。
すると、アロガも後ろ足を立てて腰を上げ、いつでも飛び掛かれる体勢を作る。
私は前方に手を向け、右へ左へと物を払う様に動かし……そして時に、上下へ波打つようにも動かす。
マナの濃淡はより大きくなり、薄い所は更に薄まる。
そうして、蛇行しながらも魔枝鹿まで続く、マナの喪失地帯が完成した。
「分かるか、アロガ? 見えるな?」
「グルルゥ……!」
アロガは低く唸り声を上げ、視線は真っ直ぐ魔枝鹿へ向いたまま、歯を剥き出しにして応える。
それに頷いた私は、アロガの背中を強めに叩いた。
「よし、行け……!」
その掛け声と同時に、アロガは矢のように飛び出した。
マナの濃淡をハッキリ感じ取り、右へ左へと蛇行を繰り返しながら魔枝鹿へと迫る。
アロガの息遣い、そして足音に気付いた時には、もう遅かった。
逃げようと身を翻そうとしたものの、口から伸びる小さな牙が、その首に噛み付いていた。
「よくやった」
アロガの体格はまだ小さく、魔枝鹿を組み伏せられる程ではない。
しかし、噛み付く力は流石剣虎狼と言ったところで、暴れて振り落とそうとしているのに、決して離れない。
私が駆け寄った時には、抵抗する体力も尽きて、頭の枝角から葉が殆ど落ちる程だった。
魔枝鹿は死する時、その生い茂った葉も同時に散らす。
その葉が殆ど落ちている今は、それだけ命が風前の灯火だということを意味していた。
「よくやった、アロガ。けど、もう大丈夫だ」
そう言えば、アロガは素直に口を離す。
振り落とされまいと、爪を立てて張り付いていたから、魔枝鹿の身体は血塗れだ。
「これはー……、毛皮は駄目だな。売り物にならない。仕方ない、そっちは諦めよう」
魔枝鹿は虫の息だが、まだ死んではいなかった。
そして、トドメを刺す前に止めたのは、生きている間にしておきたい事があったからだ。
「よっ、と……!」
魔力を使い、左手で魔枝鹿を持ち上げ、頭を下にして吊り上げる。
そのまま木の枝に固定し、残る右手で、やはり魔力を使って地面に穴を開けた。
スコップで掬い上げるようにして土を退かし、その真上に魔枝鹿が来るよう、調整する。
そうして足も枝に固定すると、そのまま首を解体用ナイフで斬り裂いた。
ドバドバと血が流れ、空いた穴に流れ込んでいく。
血抜きは生きている間にやらないと、綺麗に取り除けない。
心臓が動いていれば、自動的にポンプ役として血を送り出してくれるので、労せず血抜きが出来るのだ。
ただし、血の匂いを嗅ぎ取って獣を寄せ付けることにもなるので、こんな奥地でやっていたら、命が幾つあっても足りない。
穴を掘って捨てているとはいえ、それにもやはり限りがある。
それでも強行しようとするのは、それでも生きて帰れる保障があればこそだ。
「内蔵も取り除いてしまいたいけどな……、流石に拙いか。仕方ない、こっちは家の傍でやろう」
暫く血は流れ続ける。
それまでどうしても暇なので、その間にアロガの頭を撫でて、褒め殺しておく事にした。
「やっぱり、アロガは出来る奴だと思ってたぞ! よくやった!」
「グルゥ……!」
相手がリルでなくとも、褒められれば満更でもないらしく、アロガも嬉しそうだ。
素直に甘えて来て、撫でていた手に自ら頭を擦り付けていた。
「いや、本当は優しすぎて、狩りすら出来ないんじゃないか、とか疑ってしまった。まさか、お膳立てされた無害そうな獣だから攻撃できた、とか……。まさか、そんな事ないよなぁ……?」
「グ、グルゥ……!?」
疑われて心外、とでも言いそう反応を、アロガは見せる。
私はその態度に、大いに頷いて見せてから、アロガの頭を鷲掴んだ。
「まさか、自分より強そう魔獣やら、攻撃的な魔獣には立ち向かえない……。なんて事は……ないよなぁ、アロガ?」
「グ、グルッ! グルゥ……!」
「そうだよな、お前は剣虎狼として最低限の力を見せた。勿論、これからも遺憾無く、その力を見せてくれる筈だ」
そう言いながら、私はアロガの頭をぐらぐらと揺らす。
これは威圧だ。
先の夜棘豹のとき見せた態度が、単なる優しさだけ、とは思っていない。
それが甘さなのか、臆病なのかは未だ分かっていない事だ。
もしかすると、ここまでお膳立てされても魔枝鹿一匹狩れない、と醜態を晒すかもしれなかったのだ。
その危惧がとりあえず消えたのは喜ばしいが、まだ完全に安心してはいなかった。
アロガは剣虎狼らしからぬ、生温い環境で育ったのは確かだ。
獣としての沽券に関わる脆弱さを見せられていたら、もっと激しい訓練を課す所だった。
「良かったな、アロガ……。竜に挑戦する必要はなさそうだぞ」
「キャン……ッ!?」
獣らしからぬ二度見をして悲鳴を上げ、アロガは私の手をベロベロと舐めてくる。
まるで媚を売っているようで気に入らないが、ともかく最低限の示しを付けたのは間違いない。
成獣したとはいえ、まだしたてたばかりの子供には違いない。
これから定期的に連れ出すか、自分で狩りに行って来い、と言えば普通に成長するかもしれない。
とりあえず、悲観することはないと分かったのだ。
私が満足気な息を吐いたタイミングで、魔枝鹿の血抜きも終わりそうなタイミングだった。
「さ、後はコイツを持って帰るだけだ。出来ればもう二、三頭は狩っておきたいが……。帰り道に遭遇出来なければ、また後日だな。一応、日数的にはまだ余裕あるし……」
枝に吊り下げられた魔枝鹿の足を外し、宙に浮かせたまま振り返る。
開けていた穴に土を被せ、一応の蓋をした。
そうして、背中に死体をぶら下げながら、ここまで来た道を引き返して行った。




