森の日常 その8
秋の最中ともなれば、ジャムだけではなく、他にも様々な保存食作りに勤しまなければならない。
果実もジャムにしなかった物は、乾燥させてドライフルーツにせねばならず、野菜も大根などは寒日干しに加工する。
しかし、そうも出来ないものは、少しでも保存性を優先し、ピクルスにする。
穀物も収穫した後、しっかり乾燥させねばならず、それには通常、日干しで水分を飛ばすのが普通だった。
本来の収穫時期から考えると遅すぎるくらいだが、私の場合、後回しにして良い猶予がある。
そして、猶予があると分かった時、人間というのは腰が重くなるものだ。
だから結局、こうしてギリギリになって、刈り入れする破目になっている。
私の場合、人力ではなく魔術を併用できるから、一日で終えられるという点も大きい。
天日干しにしろ長時間晒す必要もなく、手早く済ませることは出来るのだが、収穫数が多いのはそれなりに手間だった。
「非常に面倒臭い! しかし、刈らねば食料にありつけない! なので、今日は稲刈りをします!」
「え〜……、きょうもなにかするの? もっと、あそびたい……」
「お母さんも、横になって本でも読んでたいな……」
「ごほん!? ごほん、よんで!」
未だ文字を読めないリルだが、本の読み聞かせは大好きだ。
絵本などと言う気の利いたものはないから、私が文字から想像する映像を空中に投影する事で、その変わりとしていた。
しかし、その映像と読み聞かせを、『ごほん』だと信じ切っているのは問題だ。
その辺りも、近い内に矯正せねばなるまい。
「いいや、リル……。刈り取りするって言ったばかりだろう? そろそろやらなきゃ、本当に時間が足りなくなる……。他にもやる事は沢山あるからね……」
「お母さん、かなしそう……」
「悲しんでいるんじゃないんだよ。世を悼んでいるんだよ……」
「どういういみ?」
リルが可愛らしく、こてん、と首を傾げる。
「世の当たり前を、当然の様に受け入れなきゃいけなくて、悲しいってことさ……」
「……わかんない」
「そうだよな、分からないよな!」
私はリルに抱き着き、その小さな体を持ち上げて、その場に一回転させてから降ろした。
たったの一回転じゃ物足りないリルは、もっと構って欲しいと、不満顔で手を伸ばす。
しかし、そうして遊んでいる暇はないのだ。
そんなリルをアロガが横から見つめている。
代わりに自分が構ってやる、と言わんばかりの顔付きだが、リルは全く相手にしていなかった。
私のスカートに纏わり付き、抱き上げて、とせがんで来る。
「えぇい、仕方ない! じゃあ、このまま抱き上げて麦畑に行くぞ!」
「いくぞ〜っ!」
治癒術のせいもあって、リルの筋肉痛は当然、昨日の内に収まっている。
立って歩くのに不自由しない筈なのに、昨日の前半、歩けないのを良いことに構って貰えた事に味を占めたようだ。
何かと言っては、歩かずに済む口実を探しているように思う。
むしろアロガなどは、その口実を狙って背中に乗せようとするくらいなのだが、その熱い切望は、残念ながらリルに届いていなかった。
リルを胸に抱いたまま小麦畑へと向かう。
広々とした畑には黄金色の穂が揺れ、大いなる恵みを感じさせた。
我が畑は小麦とオーツ麦の二毛作なので、まずは小麦の方から行う。
腰には草刈鎌、頭は麦わら帽子と、実にそれらしい格好をしてはいるものの、それらが通常通り活躍する事はない。
「では、刈り入れ行う!」
「はいっ、おこなう!」
草刈鎌を使うのは、精々最初の一回だけだ。
まずリルを地面に降ろし、畑の縁で見ている様に言う。
鎌を腰から抜いて、小麦の束を手に持った。
この時、親指を下に向けて持ってはならない。
刈り取る際に、自分の指まで傷付けてしまう。
足の幅を十分に取り、その間を潜らせる様にして、鎌を水平に前から後ろへ引いた。
十分に研いであった刃は、小気味よい感触と共に束を切断する。
これで鎌の出番は終了だ。
たった一度の使用だけで、後は魔術に頼る。
何故その一度だけに鎌を使うかと言えば、それは敬意を顕にする為だった。
実った麦に対して、そしてその実りを助けてくれた諸々の存在に対して、感謝の念を持って鎌を入れる。
それを一種の儀礼として行っていた。
そして、ここから本格的に刈り入れを始めようとしたその時、リルが元気よく手を挙げて顔を輝かせた。
「リルもやる!」
「ん……? やるって、この……鎌入れを?」
「うん、やりたい!」
「まぁ、そうだな……」
まだ幼いリルに、刃物を持たせるのは、正直怖い。
しかし、興味を持った物にはなるべく挑戦させたいのが、私の持つ親心だ、
「じゃあ、こっちに来なさい」
「やった!」
リルが嬉しそうに駆けてくる。
幼い我が子の失敗は恐ろしいが、怪我は治してやれるし……何より、怪我をさせないよう指導すれば良い事だ。
いずれ畑を引き継ぐ事にもなるのだろうから、早い内から接しておくのは悪いことでもなかった。
「さて、まずは大事なことからだ」
手に持った鎌を、リルが持ちやすいサイズまで縮小させて、その手に渡す。
大事そうに受け取ったリルは、腕を掲げて、まるで聖剣を引き抜いたかのような仕草を見せた。
「こら、大事なことだぞ。ちゃんと聞きなさい」
「はいっ!」
根が素直だから、少し注意すれば、即座に応じる。
それに頷きを見せてから、リルを小麦近くまで誘導して、背後から覆い被さるようにして両手を持った。
「いいかい、リル。鎌の持ち方、束の持ち方を間違えちゃいけない。必ず親指は上を向くように。いいね?」
「こう?」
言われるままにやってみせたが、束を持つ手はもっと下が良い。
実際にリルの手を取って、相応しい地点まで誘導した。
「鎌は切れ味を良くしてあったから、手だけじゃなく、足も気を付けなさい。間違って、自分の脛を切らないように」
「はいっ!」
右手の鎌も地面と水平になるよう手を添え、次に足の幅が小さいので広げてやる。
強制的に足を広げたせいでバランスを崩し、転びそうになるのを手で抑えた。
丁度宙吊りみたいな格好になり、リルはブランコ漕ぐ様に前後に揺れる。
「にひひ……っ!」
「よく余裕だな。肩は痛くないの?」
「ううん、へいきだよっ!」
「リルは身体が丈夫だなぁ」
ぷらんぷらん、と何度か前後に揺すった後、リルを地面に下ろす。
そして、改めて作業を開始した。
「いいかい、リル。刃物は危ない。だから、慎重に……そして、遊ばないこと」
「うん、あそばない!」
「良い子だ」
耳の間に頬を乗せて、優しく頬ずりする。
尻尾がぶんぶんと左右に振られ、私の膝を叩いた。
「……さ、気を付けて。前から後ろに、なるべく真っ直ぐにだ」
「まっすぐ……」
束に刃を入れるが、力が弱すぎたせいもあり、半分も食い込まないまま止まる。
無理して力を入れようとするので、添えていた手に力を込めて止めた。
「無理やり引くと、腕が外に逸れて危ない。一度戻して、束に刃を当ててから、少し勢いを付けてやってみなさい」
「うん……っ!」
言われた通り、束から一度抜いて、再度刃を当て直す。
そうして、鎌を持つ手に力を入れるのが、掌越しに伝わってきた。
「えいっ……!」
勢いは声にも乗って、それで一気に鎌が動いた。
今度は束に堰き止められることなく、一気に束を切り抜く。
「やった! ほら、お母さん、できた!」
リルは嬉しそうに笑って振り返って来る。
そうして喜びを体全てで表すリルに、私も微笑んで返した。
「うん、よく出来ました」
「ね、ここからはっ?」
「ここからは、魔術でパッとやる」
「パッとできるの?」
「簡単じゃないけどね。手作業より早いけど、手作業より疲れる。どっちが良いか、正直迷いどころだ」
「じゃあ、リルがてつだう!?」
刃物を持つことが、そんなに嬉しいのだろうか。
常にはない高揚感が、リルにはあった。
しかし、それに首を横に振って、やんわりと断った。
「大丈夫。今日中に終わらせること考えたら、少し急がないといけないから」
「んぅ……、分かった!」
リルは素直に頷くと、私に鎌を返して元の位置まで戻る。
普段なら、もう少し粘りそうなものなのに……。
今はアロガの首に抱き着いて、ことの成り行きを見守っていた。
まぁ、魔術目当てという部分もあるか……。
その期待に応えるべく、私も瞬時に魔力を制御する。
周囲からそれを後押しする力を感じ取り、その力と魔力を掛け合わせて魔術を放った。
「そぉら……!」
魔力は風の力となって小麦畑を横断し、麦穂を一直線に切り取っていく。
三往復もすれば、全ての穂は刈られた。
そして、次に風が入り乱れて、穂を空中へと運び出す。
まるで竜巻の中を巡る様に、螺旋状の回転をさせながら上昇していった。
この魔術が、脱穀・選別の役割を兼ね合わせている。
必要以外の部分を削ぎ落とすと、それらが地上にパラパラと舞った。
「おぉ〜……!」
見ているだけのリルは、実に楽しそうだ。
アロガに抱き着いて、落ちて来る穂を、口を開けながら目で追っている。
「楽しそうで良いな……」
やっている方は大変だ。
見た目以上に繊細な作業だなどと、リルでなくともわかるまい。
脱穀が終わった小麦は、その場で乾燥も済ませてしまう。
水分が残っていると、異臭の原因や保存期間の短縮にも繋がるから、やるなら早い方が良いのだ。
面倒だと言うのは、まさにこの工程全てを指していて、微細な魔力制御が本当に神経を使う。
大雑把にやり過ぎると、小麦を無駄に傷付けてしまうし、繊細にやり過ぎると、上手く脱穀もできない。
非常に面倒臭くて、何より疲れる。
だが、一日で終わらせる事を思えば、頑張ってやり切るしかなかった。
暫くは空中で回転させ、鍋で炒め物でもしているように、小麦を動かす。
そうして水分量が半分程に減るまで行うと、用意してあった小麦袋へ、そのまま投入した。
一つでは足りないので、当然、次々と小麦袋を用意しては埋めていく。
リルはその様子も楽しそうに見ていた。
全部終われば、これで作業の八割は終了だ。
後は残った二割……オーツ麦の収穫も、同じ手順で行うだけだった。
空は高く、雲一つない。秋のくせして日差しが強かった。
今日は沢山汗を掻きそうだ、と思いながら次の作業に取り掛かった。




