表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
混沌の魔女と獣人の子  作者: 海雀
第一章
10/225

森の日常 その6

 翌日、やはり筋肉痛に悩まされたリルは、とうとう自分の足で歩くことさえしなくなった。


 朝からアロガの背中に乗って降りて来て、それからずっと乗りっぱなしだ。


 頭をアロガの首辺りに乗せ、両手足をだらりと垂らしては、全ての歩行を任せている。


 普段にないべったりとした接触は、むしろ彼からすると好ましいらしく、リビングに降りて降ろした後は、腹の内に抱えて頭を舐め始めた。


「おやおや……」


 そうした光景を見ていると、昔の事を思い出す。

 ほんの去年までは、互いにどこへ行くにもべったりで、常に傍で行動していた。


 今はリルも色々な事に興味を持ったせいで、何かと一人で走り回る事も多くなったが、それがアロガには寂しかったのかもしれない。


「おはよう、リル。……どうやら、身体の方は言うまでもない様だな」


「うぅ……っ、いたいぃぃ……! どうして、んひぃぃ……っ! お母さんは、へいきなのぉぉ……っ?」


「お母さんが平気というより、まだリルが未成熟ってだけさ。大丈夫、そうやって少しずつ成長して行くんだから」


「ホントに? ホントに、これでつよくなる?」


 強くなるのとは全く別だが、相応しい説明をすると長くなる。

 だからとりあえず、そうだ言って、頷いて見せた。


「少しずつ、ほんの少しずつね。草木が伸びるより、ずっとずっと遅いけど……。でも、毎日やっていれば必ず強くなれる」


「リルがいっしょに、もり行けるのは、どのくらい?」


「さぁて、どの位になるやら……」


 悪戯っぽく笑って窓の外を見れば、リルは目に見えて不満そうな顔をした。

 唇を突き出す、いつものふくれっ面だ。


「……さ、朝食を済ませたら、今日もやる事があるからね」


「きょうも? きょうは何するの?」


「それは後での、お楽しみ」


「えぇ〜……。またイタイの、ヤッ……!」


「その言い方じゃ、お母さんがリルを殴ってるみたいじゃないか」


 苦笑していると、出来た料理が宙を滑って、テーブルへとやって来る。


「……さ、まずは食べてしまおう。話はそれからだ」


「んぃぃ……」


 返事とも取れない返事が、リルの口から漏れる。


 そのうえ動こうともしないので、遂にはアロガの方が焦れて服の裾を噛み、テーブルの方へ引っ張ってきた。


「ありがと、アロガ」


 てしてし、とアロガの頭を叩く様に撫でてから、立ち上がろうとして顔が引き攣る。


 立ち上がろうとしているのは分かるが、思うように力が入らず、とうとうテーブルの足を支えに立ち上がった。


「んにぃぃ……っ! ふぎぃぃ……っ!」


「ほら、頑張れ。痛いのも、そのうち慣れるから」


 アロガも見兼ねてその背中を鼻で押し、何とか立たせてやろうと手助けしていた。

 そのお陰もあって、リルはようやく席につく。


 アロガの方にも、いつものように骨付き肉が台所からやって来て、犬皿の上に置かれた。


 リルの食事を羨ましそうに見ていたアロガは、それにすぐさま飛び付き齧り付く。


「さぁ、いただこう」


「いただきます!」


 二人して台所に目を向け食事の挨拶をすると、それでようやく朝の時間が始まったのだった。



  ※※※



 食器洗いも済んで、台所が綺麗に片付いた後――。

 私は台所を背に、両手を腰に当てて堂々と宣言した。


「……そういう訳で、今日はジャムを作ります!」


「ジャム!」


 リルは瞳を輝かせ、飛び跳ねようとして動きを止めた。

 喜びを表現しようとしたのだろうが、筋肉痛のことをすっかり忘れていたようだ。


 その後先考えられない、向こう見ずなところも、また可愛い。


 いぎぎ、と顔を固めていたリルは、ぎこちないながらも元の体勢へと戻り、それから何とか手を挙げた。


「なんのジャム、つくるの?」


「それはもう、色々だ。リルの好きなブルーベリー、いちご、それにオレンジと……、リンゴとレモンも、一部ジャムにするかな」


「そんなに?」


「これからは、もっと寒くなるから。そろそろ冬ごもりの準備をしないと」


 この森……というより、私が住む領域は、季節外れに実りを得られる。

 だが本来、実りとは多大な時間を掛けて、大地や水や太陽の力を凝縮して作られるものだ。


 だから実れば、一気に刈り取らればならず、秋にもなれば腐らせてしまう品種も多々あった。


 そうせずに済み長い時間、瑞々しい果実を食べられるのは有り難い恩恵だ。

 しかし、どうやっても冬は越せない。


 だから本格的な冬が到来する前に、色々と収穫物を取り込む必要があった。


 ただし、ただ取り込んでも冷暗所には限りがあるし、たとえ仕舞えても冬の間に腐らせてしまう。


 そこで加工する一手間が必要なのだ。


「ふゆごもり〜……?」


 耳馴染みのない言葉に、リルは首をこてん、と横に倒した。


「おや、覚えてないか? 去年もやったんだぞ」


「ジャムの?」


「ジャムの為だけにやってるんじゃないからな、因みに。冬は何かと要りようだけど、物流はどうしても滞るから……」


 そうは言っても、リルに理解できる筈がない。


 今度は逆側にこてん、と首を傾げてしまい、冬ごもりが何たるかを思い出そうとしているようだ


 この地方は豪雪地帯という訳でもないから、家が埋もれる心配はない。

 薄っすらと積もることがあるくらいで、雪遊びに苦労するほどだ。


 しかし、雪が触れば道は泥濘(ぬかる)み、陸路における基本的な輸送手段を馬車に頼る世界では、車輪の事故が多発する。


 町から町へ舗装された道がないので、どうしても頻繁に使われる道には馬車道が出来上がり……。


 そして、車輪が埋まりやすい地帯、というのも生まれがちだ。

 冬の間に、二度や三度は確実にそうした事故があって、物流が止まってしまう。


 そうした地帯には野盗も出没し易いから、冬は護衛を雇う必要もあり、物品の値段も跳ね上がる。


 だから、買い足す必要のあるものは、冬より前に揃えるのも大事だった。


「このジャムは家で使うだけでなく、大事な商品ともなるので、しっかり作ろうな」


「えぇ〜……! ほかの人にあげちゃうの?」


「あげるんじゃなくて、売るんだけど……って言っても、あげるというのも、一部はそうだな。間違いじゃない」


 リルは沢山あれば、それだけ沢山たべられる、と思っているのだろう。

 だが、残念ながら、冬を越しても余る量を作っても、腐らすだけだ。


 基本的に自給自足できるよう、生活基盤は整えているが、どうしても足りない物もある。


 それを購入する為にも、お金を稼ぐ手段は必要だった。


 無論、稼ぐ手段はジャムだけではない。

 森で狩った獣の皮、牙や爪も町では売れる。


 だが、何より高価で売れるのは、やはり水薬だった。

 質の高い水薬は、同じ種類だろうと高値で売れる。


 しかし、量産できると知られれば、そればかり持って来いという話になってしまう。


 なので、敢えて他の物を用意して、数多く作れない代わりに、という事で押し通していた。


 それに、使い道は商品以外にも、お裾分けとして渡す分も含まれる。

 特にこのお裾分けは、非常に大事な意味があるので、決して疎かには出来ない。


 各種作業の協力にも関係するので、献上品と言い換えても過言ではなかった。


「……ともあれ、ジャム作りだ」


 手を胸の前で合わせて鳴らし、パッと手を広げる。


「さて、これから果実が、どんどん入ってくるぞ。リルも準備して」


 その言葉が合図になった。

 裏口の戸が開いて、そこから次々と果実が、宙を飛んで入り込んでくる。


「うわぁ~! これ、まえに見た!」


「だから、去年もやったんだよ」


 リルは宙を飛ぶ果実に、今にも飛び掛かりそうだ。

 自重しているのではなく、筋肉痛があるから、飛び掛かれないだけだろう。


 去年もしっかり飛び掛かっていたし、昨日草むしりしたのは、決して無駄ではなかったかもしれない。


 果実が次々とテーブルの上に着地して、場所を占領していく。

 二人分の食料として十分な収穫があれば良いので、一種類毎の数はそうでもない。


 しかし、あれもそれもと運ばれてくるので、すぐにテーブルの上が一杯になった。

 これは事前に、籠を用意してなかった私が悪い。


「いけない、すぐに用意しよう」


 言葉通り、背中に背負えるタイプの深籠を用意し、そちらに移していく。


 一度籠に特定の果実を入れれば、宙を浮かんで運ばれる果実も、次々と同じ籠へと投入されていった。


「よしよし……!」


 そうして果実の大行進が終われば、いよいよ作業の始まりだった。

 台所の隅にある水瓶から、水を桶に移し、そこで手を洗う。


 リルにも同じ様に、石鹸を使わせず、しっかり手を洗わせた。

 子供のやり方は、どうしても雑になるので、私が手を取って代わりに洗う。


 雑菌を殺すには当然、石鹸を使う方が良いのだが、その香りが移ってしまう可能性がある。


 だから敢えて使わないで、しっかりと汚れを落とし、最後に魔術でも洗浄した。


 爪の間までしっかり洗うと、手拭いで水気を切り、掌の裏表両方を確認する。


「どう? きれいになった?」


「あぁ、綺麗だとも。さぁ、作業を始めよう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ