第四話:氷雪の戦場(前編)
《ブルー・ブッチャー》は静かに海面へ降下した。瞬間、重力がかかったにもかかわらず、その重厚なボディは海に沈み込むことなく水飛沫をあげて滑り出す。
『……出遅れたみたいですわね。せっかちな方々ですこと』
──ティレムスの「アウステル港」を発ってから、18時間後。
ATS社の指定した海域には、既に幾つかの艦影があった。セレジアが地形データからアタリを付けた鉱脈予想地点には、同業者たちのGSが殺到している。
やはり皆、考えることは同じか。セレジアは、まだ手の付けられていないポイントを、距離の近いものから順に並び変え、マップにマーカーを打ち込んでいく。
『マーカーを追ってくださいまし。スピード勝負ですわよ』
インカム越しの声に頷き、B・Bはペダルを踏みこんだ。リアクターの出力が一気に解放され、ハイドロジェット・ポンプの唸りを上げながら機体は加速する。
「ポイント・アルファ到達、センサーポッドを投下する」
カラカラと音を立て、《ブルー・ブッチャー》のバックパックに積まれた黒い円筒状の装置が排出された。これらのポッドには、海底に散布されることでクォーツが発する微弱な電磁波をキャッチし、鉱脈の有無を母艦へと伝達する機能がある。
海底に散布されたポッドからの探知結果は、すぐに海上のインスマス号へと送られた。
『ここは……ハズレね。次に向かってくださいまし』
「了解」
B・Bは無感情に応えると、ペダルを踏み込む。轟音とともに、《ブルー・ブッチャー》は次のポイントへ一直に加速。青と黒の機影が、流氷の漂う海面を裂く。
『クソ……何だあのスピード!?』
『抜かされたぞ! あの青いやつ、どこから来たんだ!?』
ATS社が提供するオープン回線に、開拓者たちのざわめきが溢れる。迷いなく、漂う流氷の合間を駆け抜ける彼の姿に、ライバルたちが気付き始めたのだ。
驚愕と苛立ち、感嘆と焦り。ノイズと感情の交錯。
B・Bは声の全てを無視した。次々とセンサーポッドを投下しながら、彼は順にポイントを回り、ライバルたちのGSを容易く追い越していく。
『B・B。次のポイント・エコーを回ったら、ポッドを補給なさい』
「ああ、わかっ──」
コクピットにアラートが鳴り、B・Bの意識は鋭くなった。
ロックオン警告だ。機体に照準用のレーザーが照射されている。
『てめぇ、欲張りすぎだろうが!』
気性の荒い開拓者の一人が、ミサイルランチャーを構えていた。
──撃ってくる様子はない。威嚇か、牽制のつもりだろう。
B・Bは眉一つ動かさず、機体の推進出力を停止させた。自重で沈み込んだ《ブルー・ブッチャー》は一瞬にして海中へと没し、開拓者たちの視界から消え去る。
『ど、どこへ!? ──!? うわあぁぁぁーーッ!』
直後、開拓者のGSは激しい衝撃と共に転覆した。
海面下から飛びだした《ブルー・ブッチャー》の体当たりだ。水飛沫が高く舞い上がり、鋭いモーターナイフの唸りがGSのコクピットへと突き付けられる。
『わ、悪かった! 悪かったから……! 命だけは……頼む!』
装甲を刃が滑るおぞましい音と、割れた絶叫が反響する。
間接的にその命乞いを聞いていたセレジアは苦笑した。
『もういいでしょう、B・B。ポイント・エコーへ』
「……了解」
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ベルガモットの柑橘系の香りが、冷えた艦橋の空気にやさしく溶け込む。
セレジアはゆっくりとカップを持ち上げ、静かに息をついた。
「やはり、寒い時はアールグレイね」
作戦開始から五時間。
合計17のポイントを回ったB・Bは、4つの鉱脈を発見した。
鉱脈ひとつにつき100,000Qの追加報酬が手に入ることを考えれば、今回の仕事は十分に成果を上げていると言えた。セレジアの悩むところは、補給を受けに戻った《ブルー・ブッチャー》を再出撃させるか否か、というところである。
「欲を出すべきかしらね……」
ふと、父カシウスの影が頭を過ぎり、セレジアは顔をしかめた。
「わたくしは、わたくしですわ」
言うと、セレジアは紅茶を飲み干し、B・Bへの通信を開く。
「B・B、仕事は終わりですわ。機体の格納を始めて頂戴」
「……了解」
思うところがあったのだろうか、やや間があって、彼は返事をした。
ともあれ、作戦終了まで残り二時間。焦りを感じた開拓者たちの諍いに、わざわざ巻き込まれる必要はない。それに、B・Bを少し働かせすぎたかもしれない。
──その時。
セレジアの目に、遠方の水平線上で大きな火柱が上がるのが見えた。爆発は、氷床の向こう──本作戦の旗艦、ATS社の「オクタヴィア」号の在る方位だ。
「バートラム、すぐにATS社と通信を!」
「かしこまりました」
ATS社は本作戦のクライアント。仮に彼らが襲われたとなれば、それは単なる鉱脈争いの域を超えた異常事態だ。この場に居る誰にとっても利益ではないはず。
「繋がりました」
「インスマスよりオクタヴィア、貴艦の状況を報告してください」
応答はない。セレジアは再びマイクに呼びかける。
「──繰り返します、オクタヴィア、応答願います!」
『……げろ……奴らは……』
「──! こちらインスマス、通信は聞こえていますか?」
『……逃げろ、奴らは、俺たちを皆殺しに……』
ぶつり。音声が途切れ、氷床の向こうの火柱が一層燃え上がった。
セレジアはノイズの雑音に顔をしかめ、バートラムは息を飲む。
「お嬢様、これは一体……」
と、セレジアのインカムに電子音がなる。通信だ。
『セレジア、カタパルトの用意をしてくれ』
「B・B? 何をするつもりですの?」
『状況の確認が必要だ。敵なら排除する』
セレジアは一瞬、戸惑いを感じて黙り込んだ。
B・Bが自発的に動くことは珍しい。単に戦いに惹かれているのか、それだけの事態が起きているというのか。セレジアには区別がつかなかった。
やがてセレジアは顔を引き締めて、決断する。
「……了解ですわ。カタパルトの準備を急ぎます。必ず無事に戻ってきなさい」