第二十七話:ブリーフィング「下層街区潜入」
──三時間後、インスマス号医務室にて。
「B・B、調子はどうかしら」
「良好だ」
パイロットスーツをはだけさせた彼の肉体には、何枚かの冷却シートが貼られていた。船医の診察によれば全身の打撲と軽度の熱傷。骨や筋肉などに影響はない。
「出撃か?」
「ええ、ごめんなさい。アルジャバール本社からの追加オーダーよ」
「謝る必要はない。……機体はどうするんだ?」
「本社からの支給物資を使って、応急修理を試みているわ」
「了解した。ブリーフィングは着座して聞く、いいな?」
「……ええ」
はだけさせていたスーツの上半身を羽織ると、彼は医務室を立ち去った。
彼の背中を見送ることに、今のセレジアは罪悪感を感じてはいない。これを成長と捉えるべきか、感覚の麻痺とみるべきか。
そのどちらとも、彼女自身にはもはや判断がつかなかった。
_____________________________________
「不格好になっちまったね、コイツも……」
ツギハギ状態の《ブルー・ブッチャー》を見上げながら、マハル・マイヤーは呟いた。特に損傷の酷かった機体の左腕部を、アルジャバール製の第二世代GS 《ザーウィ》のものに換装し、使い物にならなくなった装甲の一部を取り払っている。
左大腿部フレームが露出し、シーリングだけで覆われた心許ない状態ではあるが、防御性能を失った装甲などは、ただの死重にすぎない。それならば、重量の増加した左腕部との足し引きで、比重を揃えた方がマシという判断の応急処置だ。
機体格納庫のタラップを、誰かが降りてくる音がした。
パイロットスーツ特有の硬質な足音に、マハルは振り向かず尋ねる。
「B・B、傷はもういいのか?」
「──問題ない」
彼はマハルを通り過ぎ、静かに機体へ乗り込んだ。
コンソールを起動しながら、B・Bは訊く。
「コイツはもう動くのか?」
「ああ。お前さんが寝てる間に実戦に耐えられる程度には直しといたぜ。そうだな、さしずめ《ブルー・ブッチャーR》といったところかね」
「リペアか。……カティア、居るか?」
『ここにおるぞ、主殿! よくぞ戻られた!』
無人のコクピットから、弾んだ声が返ってくる。
多目的支援論理AIは、引き続いて搭載されているようだ。
「カティア、内装的にはどうなっている?」
『うむ、熱でやられた射撃統制システムを新品と交換したが、モデルは元のままじゃ。個体差ごとの精度さえ修正すれば、元の感覚で使えるはずだぞい』
B・Bは座席横のダッシュボードを開き、入っていたインカムを耳に差した。
「カティア、艦橋に繋げ」
『承知した』
「……セレジア、聞こえるか?」
『聞こえていましてよ』
優雅な声が応答する。彼女は艦橋で指揮の準備を整えていた。
と、カティアが小隊の通信リンクにも接続した。
二人分の声がインカムから鳴り、コクピットに戻った彼を歓迎する。
『おかえり、B・B!』
『けっ。もう動いてやがるのか、化け物が』
ナイアとジョニーも、既に機体に乗り込んでいるようだ。
B・Bはセレジアに尋ねる。
「状況を教えてくれ」
『──ええ。あなたがゴリアテを破壊してくれたおかげで、私たちはオクシリス南港湾部に接岸できた。本社から派遣された鎮圧部隊のGS母艦も一緒ですわ。今から私たちは、それぞれのGS小隊を上陸させ、下層街区に潜入する予定でしてよ』
コクピットのサブモニターに、セレジアのパッドと連動した映像が流れる。
オクシリスの立体構造図だ。三段構造──浮揚基盤、下層街区、上層街区──に分かれた図面のうち、下層街区が拡大ピックアップされ、サブモニターを埋めた。
『上陸するのは、貴方たち“ヴァルハラ小隊”のV1からV3、アルジャバール側から“カシャーサ小隊”のC1からC4の合計七機。下層街区潜入の目的は、通信途絶したASFの本隊との救援及び合流ですわ。最後の通信地点から、彼らの所在には目星がついています──』
下層街区の図面が、中央にフォーカスされる。
セレジアは言葉を続けた。
『中央管理ハブ。下層街区に十字を切るように流れる「主流運河」の交差点に位置する管理施設ですわ。戦闘状況の劣勢に伴って下層街区へと追いやられたASF本隊が、この場所で籠城している可能性は高い。地上や港湾部でほとんど交戦が行われていないことからも、主戦場はおそらく、この中央管理ハブ周辺と思いますわ』
「敵の総数は?」
『監査部隊の上陸時にASFが観測した情報では、GSが12機、歩兵が200人。それと通信途絶前に、例の“フレスベルグ”中隊のエンブレムを背負った機体が最低二機。機種はカスタム化された《ハイドラⅡ》のようですわ』
《ハイドラⅡ》は、SAVIOの傑作第二世代GS 《ハイドラ》の後継機として、その索敵能力と重装甲を引き継ぎつつ、第三世代機の設計要項である高い運動性と格闘戦能力を兼ね備えた、同社の次期主力量産モデルだ。
サブモニターが切り替わり、ASFから送られた画像データが表示される。
主流運河へのゲートから内部に突入する二機の《ハイドラⅡ》の写真だった。そのうちの一機は、決闘で戦った《スウィート・ソロー》と同じ装備をしている。
腰に佩いた二本のメイスに、主腕に携える取り回しの良いサブマシンガン。
B・Bは確信した。──間違いない、あの気味の悪い女だ。
『コイツを始末したら、追加報酬だったよな』
ジョニーが低い声で尋ねる。
セレジアがその件に触れなかったことを訝しむ声色だ。
『……ええ。あくまでもオプションだけれど、フレスベルグ中隊指揮官、ミゼッタ・V・ハールマンの排除が副次目標として設定されていますわ。達成で2,000,000Q。よくもこんなことを……私たちは殺し屋じゃないのに……』
『なんか私情が混ざってねえか、セレジア嬢。昔ダチだったんだってな?』
『──品位の問題ですわ。傭兵ビジネスである以上、情は必ず切り捨てる』
きっぱりと、セレジアは断った。
ただ──、と彼女は言葉を付け足す。
『それでも、人の首に掛けられた賞金袋を追い回すなんてのは、下品ですわ』
『……そうだよね。セレジアさん、頑なに殺しの依頼は避けてたから』
ナイアは、これまでにヴァルハラ・ホライズンで受けた依頼を思い返す。
事の成り行きで殺し合いに発展することはあれど、当初から特定ターゲットの殺害を目的とした仕事を受けたことは、一度たりともなかった。
それがセレジアの考える品位──開拓者としての矜持なのだろうか。
『けっ。気取りやがって……』
『口を謹んで。私は貴方のボスですのよ』
舌打ちと共に、ジョニーはマイクをミュートした。
『──閑話休題。下層街区の構造を説明いたしましょう。これを』
再び、下層街区の構造図。大雑把に見て、中心に巨大なホールが存在し、そこから大きな十字が伸びている。十字──四方に伸びる主流運河のそれぞれには、左右に三本ずつの副流運河が続いて、最終的には隣接する主流運河と結ばれている。
副流運河は特に分岐が多く、一度見ただけで全てを把握することは困難だ。
『まず、主流運河を北から時計回りに“ドリフト”のAからDと呼称しますわ。次に、各ドリフトの道中にある副流運河へのゲートを、中央管理ハブの側から順に一番、二番、三番の左右ゲートで呼称することを覚えておいて』
『うぅ……メモしとかないと……』
『ヴァルハラ小隊とカシャーサ小隊は同時に、ドリフトCから下層街区へ突入。最短ルートはそのまま直進することだけれど、当然、監査部隊とフレスベルグ中隊は、そんな猪突猛進が通るような相手じゃありませんことよ』
画面上で、ドリフトCを直進する赤い矢印が二又に裂けた。
『そこで、貴方たちヴァルハラ小隊が、ドリフトCの三番の右ゲートから副流運河にアクセスし、一番の右ゲートから顔を出す。ここで、入口方面のカシャーサ小隊と十字砲火の形になり、中央管理ハブの周囲に展開している監査部隊を直撃する』
マップ上の敵マーカーが、ドリフトD側へと後退していく。
セレジアは続けた。
『敵の後退で空いた包囲の穴から、ASFの警備部隊を救出しますわ。副流運河では、歩兵戦力に注意してくださいまし。歩兵火器の威力を甘く見ないで頂戴』
『……生身の人間とは戦いたくないなぁ』
『ごめんなさい。我慢して、ナイア』
声色は穏やかだったが、その口調は強いるようなものだった。
『作戦概要は以上ですわ。特に質問がなければ、十分後に出撃よ』
その言葉を聞き届けると、三人のGSパイロットは機体の起動キーを回した。




