第二十一話:手袋を拾え
──潮風が、重厚な機械油の香りと混ざって目に沁みる。
ここ、カスバ造船工廠は、アルジャバールが保有する中では最大の浮揚施設であり、ティレムスから数十キロ離れたタレブ海域上に位置する造船・整備施設だ。
採掘艦から輸送艦、護衛艦に至るまで、多種多様な艦船の修理・改装・建造はもちろんのこと、さらには「人型自在巡航艇」であるGSのカスタマイズをも取り扱うメイン・ドックには、日夜多くの開拓者や開拓者クランが訪れる。
その片隅には、開拓者たちが休息をとるための長期滞在施設まで完備していた。
B・B、ナイア、ジョニーの三人は、同施設のカフェテリア「ブエナ・ヴィスタ」のテラス席に座り、雑談を交えながら遅めの昼食をとることにした。
「──だからよ、俺は言ってやったんだ。『お前らの信仰は銃弾を防げるのか』ってな。そしたら“青禅会”のカルト連中、顔の色変えて出ていきやった。爽快だぜ」
「B・B。兄貴がこの話するの何回目?」
「中断されたものも含めると、28.5回だ」
「成功体験が少ないんだろうね」
「その可能性が高い」
「あ゛ぁ゛!?」
ジョニーがテーブルを叩く。三人が注文したそれぞれの皿──オーツ粥、シェフの気まぐれパスタ、チリビーンズ・ボウル──が卓上から跳ね上がった。
「もォ~、やめてよ兄貴」
「喧嘩売るからだろうがよ!」
ナイアのシャツにソースが飛び散った。
無言のB・Bが、紙ナプキンでそれを拭く。
「ありがと、B・B」
「ああ」
「……ふふ、見ていて飽きない人たちだ」
ふいの声が降り掛かり、三人は視線を一方に寄せる。
一人の男──三人は服装からそう判断したが──がそこに居た。
中性的な顔立ちのその人物は、トレーを片手に椅子を指す。
「ここ、座っても構わないかな?」
言うなり、彼は静かに席についた。
いきなり隣に座ったもので、ジョニーはわずかに動揺をみせた。
「かわま、か、構わねえよ……」
「ああ、ありがとう」
男は優雅に、気品のある立ち振る舞いで、トレー上のプラスティックナイフとフォークを整えた。セレジアを思わせるテーブルマナーだ。
「……さて、生身で会うのはこれが初見となるね、ヴァルハラ・ホライズンさん」
三人を見渡して、彼は言った。
ナイアがはっとしたように手を叩く。
「あ! その声、さっきの座礁船の!」
彼は頷いた。
「いかにも。オレはヴェルク。先刻の《スウィート・ソロー》のパイロットさ。キミたちと同じ開拓者だよ。といっても、まだクラン共ども駆け出しなんだけどね」
前髪をくるくると指先でいじりながら、ヴェルクは言った。
金糸のような髪は、綺麗に太陽を照り返す。
「オレたちのクラン──『ディヴィジョン』は、一週間前に出来たばかりの寄せ集めで、船長もまだ経験が浅い。座礁して、どうなるかと思っていたけれど……噂のヴァルハラ・ホライズンに助けてもらえるとは、ある意味では幸運だね」
「噂?」
ナイアがきょとんと聞き返す。
「おや、これは奇想天外。まさか本人たちに自覚がなかったとは」
ヴェルクは携帯端末を取り出し、開拓者ギルドのランキングを開いた。
三人は画面に視線を注ぎ、顔を寄せる。
──信用ランクA 第12位、ヴァルハラ・ホライズン。
「クラン成立から、たったの半年でここまで上り詰めたチームというのは前例がない。キミたちはね、オレたちルーキーからしてみれば、憧れの的というわけさ」
「ほえー、知らなかった。アタシたちって有名人だったんだ」
「ハッ。仕事とってくんのは、いつもセレジアの役割だしな」
ナイアが純粋に驚き、ジョニーが皮肉に嘲笑する。
ただ一人、表情の変わらないB・Bを見て、ヴェルクは静かに微笑んだ。
「ふふ。その泰然自若の振る舞い、キミがこのクランのエースパイロット、B・Bさんだね? キミの愛機ともども、活躍は広く知れ渡っているよ」
「そうかもな」
「何さ、B・B。もしかして照れてる!?」
「警戒しているだけだ」
その言葉に、ヴェルクはまた微笑む。
次の瞬間、彼はテーブルから身を乗り出し、B・Bに顔を寄せた。
あとわずかにでも近づけば、肌と肌が触れ合いそうな距離感である。
「身持ちが堅いのは結構だが、オレはキミに強く惹かれているんだ……」
ジョニーがチリビーンズを口から戻しそうになる。
ナイアは顔をにわかに赤らめて、二人を即座に引き離した。
「おさわりはダメ! ウチではそういうサービスはやっていません!」
「……ツレないね、ナイア・バーシュさん。なら──」
ヴェルクの握っていた掌から現れたのは、一本の鍵。
キーリングにはいくつもの風水的なチャームが束ねられている。
「これを支払う代わりに、少しだけ彼と遊ばせてくれないか?」
「え!?」
ナイアが慌ててジャケットの懐を探った。
彼女はやがて、目を丸くして尋ねる。
「アタシの《ダブル・ダウナー》の起動キー……いつの間に!?」
「返すよ。その代わり彼と模擬戦をやらせてくれ」
「おい、なに勝手に滅茶苦茶なことを──ッ」
「──了解した。場所はどこだ?」
彼に掴みかからんとするジョニーを制して、B・Bが答える。
ヴェルクはぱちんと手を打って鳴らした。
「決まりだ。一時間後、第三ドックの兵器試験場に来てくれ」
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同施設、アルジャバール社関係者用ラウンジのダイナーで、セレジアはウィリアムが約束した通りのもてなしを受けていた。
やはり、関係者用のラウンジは内装からして、力の入りようが違う。
まず、幾重もの彫刻が施された天井から吊るされているのは、真鍮のフレームで編まれた巨大なシャンデリアだ。フレームには、繊細なカット細工がなされたガラスのドームが被せられていて、ほっとするような光調を演出していた。
そして、踏みしめるたびに安心感を足元から送ってくる、おそらく天然のマホガニー材の床板と、そこに敷かれた絶妙な厚みの赤い羊毛のカーペット。
壁に飾られた油絵の価値はセレジアにはよくわからなかったが、その額縁はブロンズとアイアンで彩られた豪奢かつ洗練されたデザインだった。
セレジアとウィリアムは、その“尽くされた空間”の窓際に着き、メニューの中で上から二番目にクラスの高いランチセットを堪能していた。
前菜のシーフード・ビスク、ナッツとモッツァレラのサラダを平らげた後、彼らのテーブルに運ばれてきたのはクラシック・ロブスターロールである。
軽く焼かれたパンの間に、ぷりとした身のロブスター、柔らかい青パパイヤをレモンで合えたサラダがそっと挟まれて、削った黒トリュフが振りかけられている。
セレジアは一目見て唸った。これは絶品に違いない。
「素晴らしいですわ、ウィリアム」
「だろう? 一度、貴方をここに連れて来たかったんだ」
セレジアがそっと口を開けて、今にもロブスターロールにかぶりつこうとしたその刹那、早足で歩み寄ってきたバートラムが彼女に耳打ちをした。
「……なんですの!? 決闘!?」
ボトボトと、パンの間からプリプリのロブスターの身が皿に落ちていく。
そんな彼女を見て、ウィリアムは呆然とした表情になった。
「はい。模擬戦と言っておりますが、実質的には決闘の申し出かと。B・B様はカティア様を連れ、第三ドックの兵器試験場に向かっております……」
「なんだって!?」
そこで声をあげのはウィリアムだった。
彼は腕時計を慌てて確認して、青ざめた。
「まだカティアの学習データのリーディングは終わってないんだぞ!? 中断なんかしたら、エクスポートされる教育素材のクオリティに影響が……」
「ナイアは! ジョニーはどうしてますの!」
「ナイア様は売店へドリンクとポップコーンを買いに、ジョニー様はギャラリーの開拓者たちから賭け金を集めて回っているようで……」
「馬鹿者どもですわ!!!」
セレジアは叫び、席を立った。
ウィリアムも血相を変えて彼女の後を追う。
「……私もB・B様に200mQを賭けました」
その場に一人残された老執事は、ぼそりと静かに告白した。




