第十九話:コンバージョン
『ウィスパーよりマザーグース。チーム・レヴナントの機体残骸を確認です。損害状況から見て、戦闘によって破壊されたと思われる。被験体は全員死亡っと──』
タングレス海域で消息を絶ったチーム・レヴナント。その捜索を任せていた“ウィスパー”からの通信に、マザーグース──ソフィア・リングは眉をひそめた。
「ファースト・ロットが全滅……一体なんなの……?」
ぎりぎりと歯を擦らせ、ソフィアはヒステリックに頭を掻いた。ほとんど実用レベルに近かった第一次生産モデル強化兵士たちが、一晩にして全滅した。
──ありえない。あってはならないことだ。
『油断大敵ってヤツっすねー。雑に扱いすぎたんじゃないの?』
「黙りなさい!」
ソフィアはその言葉に激情を見せたが、内心ではウィスパーに同意していた。
確かに、海洋民兵たちを見くびっていたかもしれない。試験を行うごとに、大きく戦力を損って弱体化していく連中の様子は痛快だった。
父へのプレゼンテーションの前に、彼らを殲滅することが可能ではないかと、心のどこかでは思っていたほどに、実地試験は順調に進行していたのだ。
しかし、彼らは反撃の一手を打ってきた。
一夜にして、連絡も取ることすら許さずにファースト・ロットの強化兵士を殲滅するなど、明らかに作戦の思想、戦力の質がこれまでと違う。
あの夜、彼らには指南役がついたのだ。
「ウィスパー。海洋民兵たちには協力者が居た可能性が高いわ。それが開拓者なのか、傭兵なのかは知らないけれど、見つけ出して──殺して頂戴」
『いよいよ僕たちセカンド・ロットの出番っすね、任せてください。適当にアタリつけて、適当に殺しますよ。何人か兵隊を連れていっても構いませんか?』
飄々と、陽気な声が返ってきた。
──タイプ・ウィスパー。
より完成度の高いこの強化兵士は、まるで自分に感情が、豊かな喜怒哀楽があるかのように振舞う。だがその実、彼の脳は需要する感情、体験を選別している。
戦いに必要なものは取り込んで活かし、そうでないものは、あくまでも表面的な反応として、コミュニケーションの道具として演出する。
主観的経験──クオリアとも呼ばれる──の抑制は、西暦の哲学者が提起した「哲学的ゾンビ」からインスパイアを得たソフィアの狂気的なアイデアだった。
「うちで管理しているリソースなら好きなだけ使って。私のプロジェクトに泥を塗ったヤツは、絶対に殺すのよ……絶対に……絶対に……絶対に……」
ソフィアの怨念のこもった声が止むのを待たず、ウィスパーは静かに機体を動かし、タングレス海域の深い霧の中へと消えていった。
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静けさに満ちたサロンで、セレジアはまたひとつ、大きな溜め息をついた。
艦橋にはたった二人分の影しかない。溜め息の止まらないセレジアと、彼女に忠実な老執事、バートラム。インスマス号がティレムスに帰港してすぐ、セレジアはクルーたちにしばしの休養を言い渡し、当然のこと、彼にも休むことを命じた。
だが、バートラムは「お昼のティータイムまでは」と言って聞かなかったのだ。
不本意ながらも、セレジアは彼の淹れた熱い紅茶を味わっていた。
「バートラム。わたくしはいよいよ、外道を身を墜としましたわね」
何杯目かのお代わりを頼んだあと、セレジアはふいに口を開いた。
その言葉に、やさしい光を湛えたバートラムの眼差しが動く。
「──先の作戦で戦死なされた、海洋民兵のカミラ様のことでしょうか」
セレジアは答えず、また溜め息をついた。
「覚悟はしていましたの。けれど、足りなかったようですわ。人を欺き、死においやることがここまで響くとは……不覚ですわ。それに、ジョニーのことも……」
「ご安心ください、お嬢様。ジョニー様は無事、快方に向かっております」
「それでも……」
彼女は窓の外を眺め、わずかに目を細めた。
穏やかな日差しを、港に打ちつける波が照り返していた。
「騙し討ち、裏切り。開拓者を生業にする以上、これからもそういったことをやらねばならないような瞬間が、いずれ、きっと来る。……少し怖いのですわ」
セレジアはつい、カップの紅茶を飲み干してしまう。
流れるような手つきで、バートラムはお代わりを注いだ。
「それでも、お嬢様には為すべきことがあるのでしょう?」
「わたくしは妹の……ソフィアのやることを止めたい……けれど……」
「──“その道を恐るるべからず、汝の歩みは覚悟と共に在れ”……」
「……! 我が家の家訓……」
バートラムは、セレジアの目を見据えた。
「たとえリングの名を失ったとしても、お嬢様は誇り高き一族の血を引く者であり、その責務を果たそうとするお強き方であると、私めは心得ております。貴方様がその道を進むのであれば、私は誠心誠意、その歩みを支える限りです」
「……そうですわね、バートラム……」
しばしの沈黙があった。
やがて、セレジアは大きく息を吸った。
「……よし。街に繰り出しますわよ、バートラム」
「突然ですな」
言いながら、老執事はセレジアに手を差し伸べた。
「たまの休暇ですもの。ショッピングでもして、気分を切り替えますわ!」
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「──B・B、六時方向接敵ッ!」
ナイアの叫びに、彼は鋭く反応した。
B・Bは振り向きざま、敵の眉間を正確に撃ち抜く。
また一人、獰猛な“感染者”がくずおれた。
「いやぁ、今の良く間に合ったね!」
「ああ」
「もうすぐボス戦だから、このままライフは温存しておこう」
二人は、荒廃したウイルス研究所を進む。先のステージで回収した電子カードを使って扉のロックを解除すると、廊下の最奥へと進んだ。
いくつものガラス製の巨大なカプセルが立ちならんだその場所は、まるで邪教の神殿のようでもある。カプセルの中には、悪徳製薬会社によって生み出された数多のクリーチャー兵器が眠っていた。
3メートル級の、死人の肌の色をした大男だ。口元にはガスマスク風の装置が取り付けられ、その隙間から不揃いの牙が覗き見える。
その中の一体が、咆哮をあげならガラスを割り、飛び出した。
「来たよB・B! 弱点は爪の長い右腕だからね!」
「了解した」
言うまでもないが、これは現実の出来事ではない。
二人はティレムスの商業区を巡る道中で、立ち寄ったアミューズメント施設のVRガンシューティング・ゲームに没頭していた。
『グゴアアアアアーーッ!』
「今だよ! 背中から出た触手を撃って!」
B・Bは即座に銃口を怪物の背部から伸びる触手にポイントした。
そして、迷わずトリガーを引く。
レーザーハンドガンが怪物の触手を焼き払い、スロー演出が入った。
『──STAGE COMPLETE……』
「1クレジットクリア! とってもクールだよ、B・B」
ナイアは銃型のコントローラを人差し指でスピンさせてから、筐体に戻した。
一方で、B・Bはエンドロールが終わるまで銃を下げなかった。
「……ナイア」
「んー?」
「ジョニーのところに居なくて、良かったのか?」
やがて、ゴーグルを外したB・Bがナイアに訊ねた。
彼女は軽い伸びをしてから答える。
「うん、アタシが居ても兄貴の傷の治りが早くなるわけじゃないからね」
「そうだが……」
「B・B、最近ちょっと優しくなった?」
ナイアが首をかしげて、B・Bの目を覗き込む。
彼をわけもなく、顔を逸らした。
「わからん。が、お前たちが撃破されたとき、死なせるべきではないと思った」
「そっか。……もう1コイン遊ぶ?」
ナイアは微笑むと、ポケットから硬貨を摘まみ上げた。
「了解だ」
二人はコントローラを手に持つと、再び感染者の群れに挑み始めた。
その姿を、遠巻きに見守る者の影には気付かずに──。
「あれがヴァルハラ・ホライズンのエースか。ふふっ」
男は艶のあるブロンドの前髪をくるくると指先で撫でた。
「見かけに寄らず、虚心坦懐な男のようだな……」
パシャリと男は一枚、その横顔を写した。
ふいに、視線を感じたB・Bが後ろを振り返る。
『──DAMAGE!……』
「……? どうしたの、B・B」
バーチャルの感染者たちがB・Bのプレイヤーキャラクターに群がるが、そんなことはお構いなしに彼はゲームセンターを見渡す。
「いや。……殺気を感じたんだ」
気配を追った店の入り口には、誰の影も差していなかった。




