第十五話:深紅の鼓動
『ハッ。いいのかよ、セレジア・リング』
自嘲気味な笑いが、艦橋に居るセレジアの耳に届く。
《ライカントロピー》に搭乗したジョニーからの通信だ。
『一度裏切ったヤツは、何度でも裏切るぜ』
裏切り──殺し屋グリムにB・Bを狙わせた、あの行い。
得体の知れないB・Bへの恐怖と、妹を守りたいという家族愛。
それらの想いが暴走を招き、彼を極端な行動に走らせた。
されど、セレジアはジョニーの裏切りを許すことにした。
彼が抱いた不信の原因は、自分たちの秘密主義にある。
そのように考え、彼に対する裏切りの咎を吞み込んでみせたのだ。
「誰にだって、チャンスは必要ですわ。貴方にも、わたくしにも」
インカムの向こうで、ため息と舌打ちが漏れた。
『……後悔すんなよ』
「──それと。今のわたくしはセレジア・コリンズ。それ以上でも、それ以下でもありませんわ」
セレジアが言い切ると、ジョニーは静かに通信を終えた。
ヴァリア海域に浮かぶ採掘艦インスマス号。
その周囲には三機のGSの姿があった。
うち一機は散布用のセンサーポッドを背負った《ライカントロピー》。その周囲を《ブルー・ブッチャー》、《ダブル・ダウナー》の二機が警戒している。
あの一件以来、アルジャバールからの大きな仕事は回ってきてはいないが、だからといって、クルーたちを雇っている以上、何もしないわけにはいかない。
ヴァルハラ・ホライズンは資金稼ぎを兼ねたギルドランク向上のために、ティレムスに居を構える企業などを相手にした、細々とした依頼を消化していた。
今回の資源調査依頼も、そのひとつ──。
企業が買い取った海域の探鉱を、開拓者たちが代行する。いうなれば、これこそ自分たちの“本業”ではあるが、近頃は傭兵としての仕事ばかりを引き受けていたせいで、些か緊張感に欠けている。しゃきっと気分を切り替えなければ……。
そんなことを考えていると、バートラムが新しく紅茶を淹れた。
カップに広がる赤い色彩。華やかで、フルーティ。
溌剌としたこの香りは、ハイビスカスのハーブティーだろうか。
「バートラム、今日のは何かしら」
「“シエル・ルージュ”の“ル・フルール・デュ・ソレイユ”でございます」
「いいですわね」
なるほど。あの酸味のある味わいは、気分転換にちょうど良い。
さすがは私の執事だ。──セレジアは素直に感心した。
『……チッ。ここも外れだぜ、セレジア嬢』
「了解ですわ。《ライカントロピー》から優先的に、全機帰投して頂戴」
『了解』と、三人分の声が返ってくると、セレジアは満足気に頷いた。
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その夜、セレジアは資源調査の報告書をまとめるために、ひたすらキーを打ち続けていた。
彼女の細い指は、ずっと同じ姿勢でいたせいで、やや青白く鬱血している。
「ふう。さすがに疲れましたわね……」
冷めきった紅茶を一口飲み、彼女は呟く。
と、ふいに扉がノックされた。
「どなたですの?」
「バートラムでございます。お嬢様、少々ご報告がございます」
「入って」
ギィ、と木製のドアが開くと、老執事は一礼して入室した。
彼の手には一枚のスマート・パッドが携えられている。
「開拓者ギルドから、緊急連絡網が回って参りました。こちらをご覧ください」
「何ですの……。……えっ?」
セレジアは、パッドに表示された情報を見て驚愕した。
“未確認勢力による襲撃事件が複数発生中”
“活動中の開拓者各位は注意されたし”
それらの記述と共に、赤くバツ印が付けられたいくつかの海図。
座標ごとに添付された、数枚の画像データ。
燃え上がる採掘艦、沈められた海上プラットフォーム。
写真には、数えきれないほどの破壊の痕跡が記録されていた。
そして、それを為したと思われる──深紅のGSの後ろ姿。
──間違いない。
数か月前、ATS社の艦を襲撃した所属不明のGS部隊だ。
そして、彼らの背景にはゼニット・コンツェルンが関わっている。
「ソフィアが、動き始めたんですわね」
「おそらくは。どうなされますか」
「……明朝、B・Bたちを呼んで頂戴。戦いに備えなければ」
バートラムは恭しく頭を下げると、空のティーカップを持って退室した。
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──砲声は止まず、その海域が戦場であることを雄弁に語る。
『こちらサーペント1! 現在交戦中……至急増援を……ぐああァ!』
『撃て、照準はいらない、撃ち続けろ!』
『は、早すぎる……! なんだってこんな奴らが!』
通信リンクから鳴り響く、数えきれないほどの断末魔。
炸裂した水面が、豪雨のような水飛沫を降らす。
降り注ぐ大粒のしずくは、シガーブラウンの装甲を濡らした。
『こいつらァぁぁーーーッ!』
第二世代GS 《ハイドラ》のコクピットで、兵士の一人は叫んだ。
スクリーンの向こうで躍る深紅の影を追って、彼は夢中でトリガーを引く。
だが、その弾の一発とて、敵の装甲を掠めない。
まるですり抜けるような──おぞましいほどに手応えがない。
『ゆ、幽霊……!?』
「──それも良いでしょう」
迫りくる砲弾の嵐の中で、深紅の“幽霊”は静かに応えた。
5秒の即時潜航、跳躍して10メートル後退、2秒後に左へ側面跳躍し、ここで照準が振り切れる。幽霊はトリガーを絞る。
──たったの一発。
《ハイドラ》のコクピットには風穴が空いた。
プログラムが実行されるかのように、一連の動作は精密だった。
索敵フィルタを切り替え、幽霊は残敵を探す。──反応はない。
会敵から、ものの数十秒。
その海域に展開していた海洋民兵のGS部隊は瞬く間に壊滅した。
「各機損害報告を」
『R2、損傷なし』
『R3、問題ありません』
『R4、右に同じく』
幽霊は手を打った。
「素晴らしい! ……R・Lより“マザーグース”。敵機掃討に成功しました」
『こちらでもモニターしているけど……どう? 何か感じるかしら』
「いいえ、何も感じておりません。恐怖も、苦痛も、怒りも、歓びも……」
幽霊は口角を吊り上げ、笑った。
通話の向こうの──“マザーグース”が訊ねる。
『その割には、随分と嬉しそうじゃない』
「ええ、表面的には。……そのような兵士を望んで、我々を作ったのでしょう?」
『……完璧よ、私の子供たち。生存者を掃除して、速やかに帰投してね』
「はい、了解しました」
深紅の機体は、機体を旋回させると、腰元のマウンターから一振りの長大なモーターブレードを引き抜いた。刃先が炎を照り返して、赤く光る。
蜘蛛のような頭部ユニットが、海域に浮かぶ数多の残骸を見渡した。
「さて。念のため、コクピットは全て潰しておきましょうか」