第十四話:再生の輪
第二章はこれで完結となります。引き続き第三章でも毎日二話ずつの更新を心掛けて参りますが、少しペースダウンを挟むかもしれません。ゴッ了承ください。
ブルー・レーンでの作戦から三日──。
インスマス号の艦橋、その隅にある華やかなサロン。
ティーカップを片手に、セレジアは沈思していた。
あの狙撃手がトラップを潜り抜けた手段がやはり分からない。
B・Bが撃破した機体を念入りに調査したところ、相当のステルス性能を持つことが分かった。しかし、それでもあの数のトラップを全て回避して、狙撃地点まで辿り着くことは不可能──とは言わずとも、明らかに不可解なのだ。
(まるで全てを知っていたかのような……)
何度もセレジアの脳裏を過ぎったのは、身内に内通者が居た可能性である。
あの作戦の詳細を知っていたのは、作戦を共に立案したウィリアム・キュービス、ブリーフィングを受け、トラップを敷設したヴァルハラ・ホライズンの開拓者たち、艦長であるバートラムと、連携の一環で情報を共有した海洋民兵たち。
海洋民兵は、いうなれば被害者。自作自演という可能性もなくはないが、五大企業の中でも穏健派のアルジャバールとの停戦交渉は、彼らにとっても大きな利になる取引だった。それを潰すメリットがない。
ウィリアムが新型AI「カティア」の動作テストのために、あの状況を作り上げた可能性もあるが──彼が、そんなことをするだろうか。
あの澄んだ瞳が思い浮かび、頬がわずかに紅潮する。だめだ。ロジカルに考えなければ。セレジアは顔を振った。
あのカティアは、ただ一つの試作品だと聞いている。それが嘘でなければ、たった一つの貴重な実機を、むやみに危険に晒すような真似はしないだろう。
となれば──。
(内通者は……わたくしのクランに)
コトン、とカップを置く音が艦橋に響いた。
「──お嬢様? 紅茶がお口に合いませんでしたか?」
「いえ……美味しいですわ」
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何度もドアを叩く音に、ジョニーは目覚めた。
ここは彼のインスマス号で割り当てられた彼の自室だ。室内にはレトロなオーディオ機器と、CDのジャケットが乱雑に散らかっている。
「……ッ、うっせぇな……朝から誰だ? クソ……」
悪態をつきながらも、ドアへ向かう。
彼が扉を開けると、そこには妹──ナイアの姿があった。
「兄貴、話がある」
ナイアは言うと、彼を押しのけてずかずかと部屋に入ってきた。
ジョニーはため息をつきながら、彼女と向き合って座る。
「なんだよ、ナッツ&ラケットのサントラなら貸さねーからな」
「──そんな話じゃないっ!」
怒声が響いた。藍色の瞳が、鋭く兄を見据えている。
「あの機体……B・Bが倒したあのスナイパー。あれって、グリム叔父さんの《アヌビス》だよね」
「……」
ジョニーは黙り込んだ。ナイアは尋ねる。
「兄貴……何か知ってるんじゃないの……?」
ジョニーは答えない。ナイアは彼の胸ぐらを掴んだ。
「答えてよ、兄貴!」
「……うるせぇ!」
衝撃と共に、ナイアはベッドに倒れ込んだ。
ジョニーは頭を掻きむしりながら、妹を睨みつける。
「おかしいと思わないのか? あの青いのはマトモじゃない。イカレてるし、強すぎる。いっつもいっつも、あいつは死なねえ! あのグリムだって勝てなかったんだぞ!」
「イカレてるのは兄貴のほうでしょ!」
「──まともなのは俺だけだ! あのセレジアって奴の正体も、あいつの狂犬の正体もグリムが調べた、こいつを見やがれ!」
棚のひとつからファイルを引き出し、彼はシーツに叩きつけた。
書類が散らばる。そこに記されていたのは、グリムによる調査資料だった。
セレジア・コリンズ──本名、セレジア・リング。
ゼニット・コンツェルン総帥──カシウス・リングの娘にして、法律規制対策部の特別顧問、リング家の長女。父の方針に逆らい、家を追われた際、アーキタイプの暗号名で呼ばれる生物兵器を持ち出す。
二枚目の資料──明らかに盗撮と分かるその写真には、巨大なカプセル入った人間と、そこに繋がれたチューブ、薬剤、無数の検査器具。
カプセルの中に納まっていたのは──紛れもなくB・Bだ。
「なに……これ……」
「あいつらの正体だよ、家を追われたゼニットのご令嬢と、子飼いの実験動物。俺たちはな、あいつらの復讐に利用されてんだよ」
「そんなの……」
ジョニーは妹の頬に手を添え、藍色の瞳を見つめた。
「俺はな、お前を守りたいんだ。ゼニットはアルジャバールを越える大企業だ。まともにやりあって勝てるわけがないし、そもそも俺たちはそんな面倒ごとに巻き込まれるギリはない」
「だからって……だからってグリム叔父さんに殺しの依頼を……? 仲間なんだよ……?」
「……成り行きだよ。わかるだろ?」
ナイアはジョニーの手を振り払った。
「わかんないよ……わかるわけないじゃん……!」
彼女は叫ぶと、部屋を飛び出した。
ジョニーの手が伸びるが、その手は妹に届くことなく、虚空を撫でる。
「俺は……お前を……」
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──昼下がり、陽光が煌めくインスマス号の甲板。
資材の影で、ナイアが泣いているのをセレジアは見つけた。
散歩中だった。
「ナイア、これを」
セレジアは、シルクのハンカチをそっと差し出す。
ナイアはそれを受け取らず、涙をブーツに落とし続ける。
「いったい、どうしましたの?」
「……セレジアさん。私たちに、隠してることあるよね」
◇
二人きりの応接室。彼女たちが初めて顔を突き合わせた場所。
カップに注がれた紅茶を見つめて、ナイアは深い息をつく。
「そんなことがあったんだね……」
「そうなのですわ」
熱いカモミールを味わいながら、セレジアは静かに応えた。
「妹──ソフィアが考え出した狂気のプラン、強化兵士計画を止めるために、私は戦っている。たとえあの家を追われようとも、私はリング家の名誉を守りたい」
ナイアは瞳を閉じたまま、尋ねた。
「……どうして、黙ってたの?」
セレジアはカップに視線を落とす。
正直、答えづらかった。
「舞い上がっていたのです。私は正しいことをしている。そう確信して行動を起こした矢先、貴方たちが現れた。運命だと思いましたの……だから……」
「……」
答えなどない。自分と言う小娘は、ただ浮かれていたのだ──。
セレジアは、自己嫌悪で吐き気を催した。
「セレジアさん、もうひとついい?」
「ええ」
「どうしてB・Bを連れてきたの? 貴方にとって、彼は何?」
脊椎が凍り付いた気持ちだった。
顔をかすかに持ち上げる。
ナイアの目が、じっとセレジアを見据えていた。
「……切り札。ソフィアがいずれ投入してくる強化兵士たちに対抗するには、彼の力が必要ですわ」
「そっか。……B・Bがどうしたいか、聞いてみたことはある?」
セレジアは答えない。答えられなかった。
ナイアは静かに、ソファから立ち上がった。
「それじゃ同じじゃないかな、ソフィアさんと」
それだけ言い残すと、彼女は応接室から立ち去る。
空間には、紅茶の香りと静寂だけが残された。
「……ッ」
──独りになったセレジアは、顎が軋むほど奥歯を噛み締めていた。
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『あ゛~主殿^~、そこ! そこじゃ~~♡』
嬌声が格納庫に響き渡り、マハルの顔は青ざめた。
「何してんだお前ら」
「調整だ」
「いや、まあ。だろうけどさ……」
B・Bは《ブルー・ブッチャー》の点検用ハッチに上半身を突っ込み、カティアのモジュール・ユニットの接続を見直していた。先の出撃では急を要していたためか、いくつかコネクターの噛み合わせが甘い箇所があったのだ。リアルタイムで行われるカティアのレポートを頼りに、彼はその調整を行っているだけに過ぎない。
つまり、決していかがわしいスキンシップではないのだ。
そんな怪しげな空気が漂う格納庫に、降りてくる人影があった。
──ナイア・バーシュだ。
彼女はいつもの明るい様子で、B・Bに話しかけた。
「ねえ、B・B。取り込みチューのところ悪いんだけど、ちょっと話しない?」
「いや……今は忙し──」
彼は振り返り、一瞬だけ言葉を失った。
ナイアの目は、赤く泣き腫らしていたのだ。
「……了解した。マハル、後をやってくれ」
「えっ、ああ……」
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ティレムスの商業区を、二人は歩き始めた。
ナイアが数歩先を進み、B・Bはゆっくりとその後を追う。
彼女は大きく伸びをした。
「いい天気だね~! んーっ」
B・Bは答えない。ただ静かに、彼女を見守っている。
「……ねえ、B・B」
「なんだ」
「どうして来てくれたの?」
B・Bは僅かに考えこみ、ナイアの背中に応えた。
「お前は泣いていた。泣いている女が居たら、訳を聞かずに一緒に居てやれ。──セレジアから、そう教えられた。そして、それを実行している」
ナイアは振り返り、はにかんだ笑顔を見せた。
「そっか、ありがと」
二人はやがて、商業区の片隅にある小さな公園に辿り着く。
ナイアはベンチに腰掛け、B・Bを隣に誘う。
「……ねえ。B・Bはさ、どうして戦ってるの?」
いつになく真剣なまなざしに、B・Bの表情がわずかに動いた。
「全部聞いたよ。貴方の過去のこと、セレジアさんのお家のこと。B・Bは、どうして、何のために戦ってるの?」
B・Bはしばし考え込んで、答えた。
「俺は……取り戻したいと思っている。俺が、俺であった理由を、その証明を」
一歩踏み出し、彼は公園の中央の噴水──その水面を見つめた。
「あの青い戦場の中でなら、それに手が届くような気がした」
ナイアは深く息を吸い、胸中のカタマリを大きく吐き出す。
彼女は、力強くベレー帽を被り直した。
「……よし。帰ろう、B・B」
「もういいのか」
「うん。私、セレジアさんにひどいこと言っちゃったから、謝らないと」
「そうか」
「そーだよ。……バカ兄貴にもお仕置きしてやらないと」
ナイアはB・Bの手を引き、インスマス号へと駆け出した。