第十三話:ネゴシエーター(後編)
「まずいですわね……」
インスマス号の艦橋。
状況をモニタリングしていたセレジアは、頭を抱えた。
自分たちが警備を担当していた精錬施設に狙撃手が潜んでいた。
そして、真っ先に人的被害が生じたのは、海洋民兵の側だ。
この事実は、少なからず交渉に悪影響を及ぼすことになる。
──ともかく、狙撃手の排除について考えなければ。
セレジアが思案を巡らそうとしたそのとき、中央棟で会合中のはずの交渉人、レイ・カークランドからの通信が入った。
「レイさん、どうされましたか? 状況については、先ほどメッセージでお送りした通り……」
『──我々を偽計にかけたか、薄汚い企業の犬め!』
通話に現れたのはレイではなかった。
声は心からの怒りに満ち、震えている。
『一瞬たりとも、お前たちを信用した我々が間抜けだった。停戦交渉などという口実で誘き寄せ、我々を殲滅する計らいであったのだろう! 卑怯者め!』
セレジアは息を飲んだ。
この激しい声の主は、間違いなく海洋民兵側の代表であろう。
レイのデバイスから、この人物が通信を行ってきたということは、その持ち主であるレイは拘束されたか、死亡している。こちら側のGSが展開していることを考えれば、人質として利用する可能性が高いか。
──最悪の状況だ。正体不明の狙撃手に、怒りに燃える海洋民兵。
同時にふたつもの敵を抱え込むことになってしまったかもしれない。
「待ってください、先ほどの狙撃は、我々の与り知らぬものです。警戒の不備は認めますが、決して敵対を意図するような──」
『戯言を! 貴様らの交渉人は、我々が拘束した。彼の命が惜しければ、すぐに投降することだ!』
がっ……と叩き付けるような音と共に、通信が切断される。
折り返して数回コールするが、一切の反応はなかった。
「最悪の事態ですわね」
「どうされますか、お嬢様」
しばし逡巡してから、セレジアは答えた。
「彼らは事態を収束するため、このインスマスに乗り込んでくるはずですわ。念のため非戦闘要員を全員下がらせて、警備員を配置して頂戴」
「かしこまりました」
「──それと、いつでも出港できるように」
バートラムはすぐに動き、各所への指示を飛ばし始めた。
セレジアは深い息をついて、状況の俯瞰に努める。
まず、海洋民兵たちとは完全に敵対してしまった。
シエラ部隊の一機は狙撃によって撃破され、残る二機──S1とS2は、ナイア、ジョニーの機体と交戦中だ。彼らの誤解を解くには、自分たちの手で狙撃手を排除しなければならないだろう。
だが、唯一動くことのできるB・Bは、その狙撃手に頭を抑えられた状態である。この状況を打開するためには──。
「バートラム、センサー爆雷のリモート起爆は可能かしら」
「ふむ……仕様的には可能と思いますが、起爆装置がスナイパーによって解体されている可能性があるかと」
「あの数のトラップを全て解体する時間はなかったはず。機能が生きているものをリストアップして頂戴。あと、精錬施設の図面もここに持ってきて」
センサー爆雷の手動操作によって狙撃手の気を逸らす。
B・Bであれば、その間に精錬施設までたどり着けるはずだ。
「インスマスよりV1。精錬施設に仕掛けたトラップを使って、スナイパーの気を逸らしますわ。その間に近づいて始末できまして?」
『……可能だ』
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ブルー・レーン近傍、アビサル・クォーツ精錬施設。
巨大なガスパイプの影に、その狙撃手は居た。
「そうだ……戦え……殺し合え……」
裏の世界で死神の名で知られるその男は、状況を支配し、人の命を弄ぶ感覚に快感を覚えていた。停戦交渉のためにこの地に集ったはずの彼らは、今ではすっかり、銃口向けあう死合の中に居る。何も、特別なことはしていない。
たった一人の命を支払うだけで、混沌の神は首をもたげたのだ。
まるで喜劇──。
おお、なんとコスト・パフォーマンスの良い娯楽なのだろう。
もっとも、彼のクライアントが、その状況の中に組み込まれているのはちょっとしたアクシデントだ。海洋民兵どもが、ここまで血の気の多い連中だとは思っていなかった。後でクレームが付きそうなものだが──まあ、良い。
「──ジョニーの坊やには感謝しなければな……」
彼がもたらした仕事と情報が、グリムをこの特等席まで導いた。
自律式ガン・ターレットの感知範囲、射程に、センサー爆雷が敷設されたルート情報。それらの情報に不足さえなければ、暗殺用にカスタマイズした彼のGS──《アヌビス》であれば容易に突破可能だった。
「くふふ、問題はアイツか」
グリムは、標的が身をひそめるA脚を見据えた。
ツートンの青で彩られた《ブルー・ブッチャー》が、あの裏側に隠れている。素晴らしい忍耐強さだった。索敵用に突き出したカメラを撃ち抜いてやってからというもの、一ミリたりとも姿を現そうとしない。
さらには、仲間たちが襲われているというのに、援護に行く様子もない。
心理的なプレッシャーなど、何も感じていないのだろうか?
なるほど──。それが強化兵士というものなのだろう。
失敗作という情報だったが、存外、良い獲物であるのかもしれない。
「アーキタイプの性能、この私に味わわせて見せてみろ」
《アヌビス》が大口径スナイパー・カノン“富嶽”を構え直す。
そのコクピットで、死神・グリムは笑っていた。
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「カティア、話は聞いていたな」
『委細承知! 最初の爆発が合図じゃな』
セレジアとの協議の末、精錬施設突入の計画が定まった。
スナイパーが居ると思われるのは南第三甲板。爆発は二段階で行う。
第一段階では、北側資材搬入路の三基のセンサー爆雷を起爆し、敵の注意を大きく逸らす。これと同時に《ブルー・ブッチャー》が移動を開始。
立て続けに第二段階。四方に大きく迫り出した展望甲板を発破し、粉塵によって視界を遮る。このとき、崩落でも発生すれば御の字というところだが、幸運に期待するべきではない。
『準備はよくって?』
「大丈夫だ、問題ない」
『では、いきますわよ……発破ァ!』
威勢の良い掛け声と共に、遠方の背景が大きく崩れ落ちた。
と、同時に、B・Bはペダルを力強く踏み込む。機体両脚のポンプが獣の唸りを上げて、《ブルー・ブッチャー》は遮蔽から大きく躍り出た。
尾のようにしなる六本の捕水索も相まって、まるで解き放たれた猟犬だ。
ポンプは最大稼働、精錬施設が近づいてきた。あと四十秒もあれば、スナイパーの射角的な死角に入ることができる。
「セレジア、第二段階」
『よくってよ!』
精錬施設の上層に位置する、展望甲板を発破。
だが、爆発が小さい。これでは目潰しの効果は薄くなる。
────狙撃が来る。
その瞬間、カティアがデジタルの叫びをあげた。
『主殿! 今じゃあッ!』
気付けばB・Bは、機体の右腕から“藍銅”を引き抜いていた。
一閃のもと、スナイパーが放った57mm榴弾が──切り裂かれる。
真っ二つになった砲弾は海面へと落ち、じゅっと音を立て沈んだ。
この所業に最も驚愕を覚えたのは、それを成したB・B自身である。完璧なタイミングは、AIであるカティアの精密な計算の賜物だが、B・Bはその瞬間に何をすべきか、どのような太刀筋を振るうべきかを、無意識に理解していたのだ。
「……ッ! 今の感覚は……」
『呆けている暇はないぞ主殿! 全速前進じゃ!』
言われるまでもなく、彼は再びペダルを強く踏み込む。
そして遂に、スナイパーの死角に入り込んだ。
両脚ポンプから破竹の勢いで水を吐き、《ブルー・ブッチャー》は高く跳躍する。そして、南第一甲板に降下。陸上稼働可能時間は、およそ120秒。
GSは本来、海戦用の兵器である。主脚と呼ばれる二本のそれは、歩行用に設けられたものではない。主要な機能は、機体の動力源である小型核融合炉に、推進剤でもあり冷却剤でもある海水を送り出し、排出すること。
陸上での歩行は、あくまでも補助的な機能でしかない。海水を得られない環境下での活動中、核融合炉の冷却は行われず、メルトダウンのリスクは常に高まる。
残り120秒の間にスナイパーを排除できなければ、作戦は失敗する。
『なんじゃ主殿。笑っておるのか?』
「笑う……? 俺が……」
B・Bは自らの頬に手を伸ばす。彼は気付いていなかった。
自分の口角が大きく吊り上がっていることに。
「……楽しいんだ」
《ブルー・ブッチャー》は甲板を蹴り、再び跳躍した。
鉄骨に手をかけ、壁面に“藍銅”を突き立て、ひたすら上階を目指す。
ガチン、と金属音がした。上から降ってきたのは給水タンクだ。
スナイパーが自機の冷却に使用していたものだろう。
これを投棄したということは、この場から逃げ出すつもりだ。
──逃がしはしない。
《ブルー・ブッチャー》は機体内に残していた冷却用の海水をも吐き出し、強引に機体を上昇させた。第二甲板を超え、一気に階層を駆け上がり、第三甲板へ。
そこにスナイパーの姿があった。
取り回しの悪い大口径スナイパーカノンをパージし、叩き付けられるように着地した《ブルー・ブッチャー》を目掛けて、二丁持ちのサブマシンガンを乱射する。
しかしながら、弾丸は装甲を貫かない。口径が小さすぎた。
《ブルー・ブッチャー》は左腕を突き出して頭部センサーを守りつつ、右腕で構えた“カトラス”を放った。照準なしのフルオート射撃。この距離なら当たる。
スナイパーは30mm装鋼弾の洪水をもろに浴びた。装甲が食い千切られ、ジョイントがねじれ、フレームには無数の穴が穿たれる。敵はしばらく踊り狂ったようによろめいた後、コクピットから赤い液体を垂れ流して動かなくなった。
『残り15秒!』
B・Bは機体を直進させた。
スナイパーの亡骸を超え、そのまま甲板の端へと駆ける。その勢いのまま、大きく広がる海原へ向かって《ブルー・ブッチャー》は飛び込んだ──。
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──三時間後、状況は収束した。
海洋民兵たちが交戦状態を解くきっかけとなったのは、B・Bが狙撃手を撃破する映像記録だった。
それを見た相手側の指揮官が、ひとまずの停戦を申し出た形だ。
ブルー・レーン中央棟の施設内部から、腕を掴まれて来た人質たちが、次々と甲板へと並べられる。セレジアはその様子を見守りながら、会合に参加した企業代表団のリストと見比べた。交渉人一名、顧問役一名、護衛六名。顔に派手な青アザを作っている者こそ居るが、欠員はない。
「以下、捕虜八名をお返しする。間違いはないな?」
海洋民兵の指揮官──タリク・フロストが低い声で尋ねる。
セレジアは静かに頷いた。タリクの眼差しには未だ不信感が宿ってはいるが、この場で戦いを続けることの不利益さを理解したのだろう。
交渉はご破算となったが、人質たちが無事に解放されただけでも幸いなのだ。
「ふう、ありがとう。ちょっと緊縛プレイに目覚めかけたよ」
縄を解かれたレイ・カークランドが、軽いジョークで場を和ませる。
否──。誰もくすりとも笑わなかったが。
「では、この場はひとまず帰らせて頂くとしましょう。構いませんかね?」
「ああ……だが企業の従徒よ。この海で見た無数の廃墟を、お前たちは忘れるべきではない。搾取し、使い捨てる傲慢を止めない限り、我々は戦い続ける」
内心では何を想っているやら──レイは微笑みながら頷いた。
タリクは鼻を鳴らすと、二人に背を向けて中央棟へと帰っていった。
「ご無事ですか、レイさん」
「ああ、問題ないよ。──君たちは命の恩人だ」
「仕事を全うしたまでです。それよりも、交渉は……」
レイは肩をすくめようとしたが、痛みを感じたように首の後ろを抑えた。
「……大丈夫ですの?」
「あ、ああ。ちょっと殴り倒されたときにね。……交渉は、今回の件で振出しに戻ったとみていいだろうなあ」
「それは、ご愁傷様ですわね」
しみじみ、と言った様子で、レイは港に向かって歩き始める。
セレジアが指示を出すと、インスマス号の警備員が彼に付き添った。
彼女はふっと息をついて、耳元のインカムに手を添えた。
「バートラム、人質が艦に戻ります。収容準備を」
『はい、かしこまりました』
「それと……B・Bの様子は?」
『まだ意識は戻っていません。ドクターの見立てでは、軽い脳震盪かと。無理もありません。あの高さから海面に飛び込んだのです。GSのコクピットに居たとはいえ、交通事故に遭ったほどのダメージを受けたことでしょう』
「それでも彼は任務を果たした。……ありがとう、わたくしもすぐに戻りますわ」
『は。お紅茶を入れてお待ちしております』
セレジアは通信を切り、空を見上げた。
遠い水平線の彼方に、夕日が赤く燃えている。
──死ぬのは奴らだ……ふっ……。
──楽しいんだ……。
B・Bが、また戦場で笑った。
聞き間違いではない。何度も記録を確認した。
人格を制御された強化兵士、その失敗作である彼は、ほとんどの感情を欠落しているはずだった。そんな彼が、笑ったのだ。以前から彼が戦いに対して、非常に強い関心を示していたことは知っている。だが、感情を見せることなどなかった。
ゼニットが掛けた呪いが解かれようとしている──。
あるいは、これは凶兆なのかもしれない。
その変化を起こしたのは、過酷な戦場か、仲間の存在なのか。
──セレジアには分からない。
ただ一つ言えるのは、彼女が自分の運命に決着をつけるためには、彼の──B・Bの力が必要なのだということだけだった。