第十話:戦士たちの休息
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浮揚都市オクシリスの沖合に浮かぶ「ジョワ・ドゥ・ヴィーヴル」は、壮麗な陽の光の中に佇んでいた。
フィーチャリズムとノスタルジック・モダンが融合したその建築様式は、現代的な革新と旧い時代への畏敬を象徴するディテールを見事に描き出している。
このリゾートは、まさにアルジャバール・インダストリーの美学そのものといえるだろう。彼らの製品が、技術的な先進性と兵器としてのヴィンテージ・スタイルを共存させているのと同様に、ここでは相反するふたつの性質が調和していた。
リゾートの中央に位置するメインホールでは、とあるパーティーが進行していた。壁一面のガラスの向こうに見える水平線がオレンジ色に染まる頃合いに、空間を埋め尽くすは、リゾートを訪れたエリートたちの談笑と、落ち着いたジャズ。
きらびやかに輝くシャンデリアの下、セレジア・コリンズ――今は、母方の姓を使っている――は、そんな社交の場に溶け込むようにカウンターへ立っていた。
「マティーニを。ステアではなく、シェイクで」
紅茶がないのは少しばかり残念だったが、この場にふさわしい選択をすべきだ。
彼女がカウンター越しに注文を告げると、バーテンダーはシェイカーを取り出した。
「──その言い回し、旧暦の映画にありましたね」
セレジアが声の方を向くと、そこには穏やかな笑顔を浮かべた紳士が立っていた。洗練されたダークグレーのスーツに身を包んだ姿が、リゾートの雰囲気にもぴったりと合っている。
「初めまして、ミス・セレジア。ヴァルハラ・ホライズンのクランリーダー様でいらっしゃいますね? エフェスティアの一件ではお世話になりました。あれは、私めの主導したプロジェクトでして……」
「存じております。──ウィリアム・キュービス。史上最年少でアルジャバール・インダストリーの兵器開発局局長の地位に就かれた稀代の天才だとか」
「これはこれは、過分な評価を。光栄であります」
セレジアはウィリアムの言葉に、軽く微笑みを返した。エフェスティア号の護衛任務が成功したことが、こうした社交の場に繋がっている。
アルジャバール・インダストリーとの繋がりは、ゼニット・コンツェルンに対抗するためには欠かせない武器のひとつになるだろう。
「あの作戦は、我々にとっても大きな挑戦でしたけれど。エフェスティア号の艦長さまの迅速な判断には、随分と助けられましたわ」
「……では、ラウル艦長に」
ウィリアムはグラスを軽く持ち上げた。セレジアもマティーニのグラスを手に取り、乾杯のジェスチャーを返す。視線が交わる。彼の目は深い青色をしていた。
「さてと、ミス・セレジア。今日はあなたとぜひ話したいことがあって」
ウィリアムの声は朗らかで柔らかく、だが、それでいて力を──彼の背後に聳える、企業という強大な力の気配を漂わせていた。
「興味深いですわね。ぜひ聞かせていただけます?」
セレジアは静かにグラスをカウンターに置き、彼の言葉に耳を傾けた。
「実は、我々の兵器開発局では新型の戦闘補助AIを開発していましてね。高性能なOSで、パイロットの負担を軽減し、戦闘中の意思決定や戦術を自動で補佐するというものです。これにより、複雑な状況でも最適な戦闘行動がとれるようになるわけです」
ウィリアムはまるで歌うように、流暢に語り始めた。
セレジアはそれを彼の“本分”なのだと瞬時に理解する。
「素晴らしいですわね。しかし、融合路の安定制御に使っているクォーツからの電磁波干渉で、AIの論理思考プログラムが乱され、それらは未だ実用化には至っていない……と、伺っておりますが?」
──ソフィアから、何度も聞かされた話だ。彼女は当初、無人運用可能なGSの開発を検討していたが、AI制御の限界を悟り「強化兵士計画」へと手を付けた。
妹は──ソフィアは、元気にしているだろうか。
「随分とお詳しいですね! その通りです。ですが我々には秘策がありまして」
ふいに、ウィリアムが顔をセレジアの耳元へ近づける。
その精悍な顔立ちが迫り、彼女はにわかに頬を赤らめる。
ウィリアムは全く、気付いていない様子で語った。
「……イルカという生物の培養脳を、制御中枢に利用するのです。イルカの脳は極めて高度な空間認知能力を持っています。特に、海中での反響定位を用いた複雑な判断や、即時の反応速度は非常に有用です。我々はこれを新型OSに組み込むことで、戦闘中の複雑な電磁波干渉にも耐えうる、極めて直感的かつ柔軟なAIを実現しました」
セレジアは少し頭が痛くなるような思いをしたが、つまるところ、新型OSにイルカの脳を取り込んで、干渉を受けない高度なAIを開発したという話だ。
「なるほど、御社の技術は常に革新的で驚かされますわ。しかし、どうしてわたくしにそのお話を?」
「はい、ここからなのですが……私たちは、この新型OSを実戦環境でテストするために、優秀なパイロットを探し求めています」
ウィリアムは一拍おいて、セレジアの目をじっと見つめた。
「そこで、あなたのチームのパイロット──B・B殿に、この新型OSを提供したいのです。彼のような高い技量を持つパイロットならば、我々の新型AIの性能を十分に引き出し、有効な戦闘データを収集できると考えています」
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「B・B、風邪でも引いたの?」
くしゃみで工具箱を吹き飛ばしたB・Bに、ナイアは緩く訊ねた。
「……風邪ではない」
「だったらさ、プール行かない!? さっき滅茶苦茶広いプール見つけんだ!」
──沈黙……。
B・Bは無表情のままに、七種の精密ドライバーを拾い上げた。
彼は再びコンソールに向き直り、キーパッドを叩く。
ナイアはかすかに肩を落とした。
「マハル、第三アクチュエータのテンションを3%緩めてくれ」
「了解、了解」
マハル・マイヤーは言われた通りに動き、ボルトを調整した。彼は黙々と手際よく作業をこなしていくが、途中で手を止めてB・Bを見やる。
ふと、思いついたかのように口を開いた。
「──なあ、B・B。機体の整備は俺たちに任せてくれないか」
B・Bは無言のまま作業を続けていた。マハルがさらに続ける。
「パイロットのお前が、ここで整備士みたいに働き続けるのは、却ってこっちの集中力に響くんだ。お願いだからさ、しばらく休んでくれよ」
B・Bはしばし無言で考え込んだ後、ようやく手を止めた。
そして、黙って作業台から離れ、工具を片付ける。
「……ナイア、プールはどこにある?」
「やったー! マハルさんありがと!」
ナイアはそう言うと、B・Bの手を掴んでインスマス号の格納庫を後にした。
二人の背中をひとしきり見送ってから、マハルは独りごちた。
「そうそう、若いもんは遊べや……」
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ジョワ・ドゥ・ヴィーヴルの屋上には、メルヴィルの海原に溶け込むようなインフィニティ・プールがあった。夕焼けの溶けおちた水平線と一体化したようなその水面には、穏やかな波紋が立っている。
プールサイドには、寛ぐ観光客やカクテルを片手に笑い合う人々の姿があった。
水着姿のナイアは、そんなリゾートの雰囲気に浮かされたように、軽やかなステップで歩を進め、しばらくして振り返り、後ろをついてくるB・Bを見つめた。
「どう? この水着。下のお店で売ってたよ」
「サイズは適正のようだが」
「む……!」
ナイアは顔をしかめて、B・Bを睨んだ。
彼にはまるで、その意味がわからない。
「お前、なぜ俺をここに呼んだ? あいつは……ジョニーはどうした」
B・Bは記憶を手繰るように、ジョニーの名前を挙げた。
ナイアはそっぽを向いて答える。
「バカ兄貴なら“CD屋でもまわってくる”って言ったきり、朝から姿を見てないよ。なんなのB・B! アタシより兄貴と遊ぶ方が楽しいってわけ!?」
何かを確実に間違えたようだが、B・Bには対処の仕方がまるで分からない。
B・Bはナイアの問いかけにしばらく黙ったままだった。
ただ、その無言は、彼女にとっては予想の範囲内の出来事だった。
ナイアはため息をつき、軽く肩をすくめて笑う。
「ま、いいや。言っても仕方ないよね」
彼女は気を取り直すと、プールサイドに腰を下ろす。カクテルを頼んでいたウェイターが戻ってくると、彼女はそれを受け取り、軽く口をつけた。
「さて、せっかくリゾートに来たんだし、少しはリラックスしなよ。どこに行っても戦闘、整備、戦闘、整備ってやってたら、頭おかしくなっちゃうよ」
B・Bは心ここに在らずという様子で、水面を見つめていた。
格調高いリゾートだ。泳ぎ回る者など居ない水の中は静かで、吹く潮風が微かに波紋を広げる。彼にとって、この場所はあまりにも遠い世界のように思えた。
「……俺は、この場所には不適合だ」
「不適合、ねぇ……。もっと楽しむってこと、覚えたほうがいいよ。たまには頭を空っぽにして、内なるバカ野郎を解き放たないと」
ナイアは冗談交じりに言ったが、彼の反応は変わらない。
それを見て、彼女は少しだけ表情を曇らせる。
「……ねぇ。B・Bってさ、感じてないよね。楽しいとか、嬉しいとか」
インスマス号の中で、B・Bがアーキタイプ──感情の欠落した兵士であることは、クランリーダーであるセレジア、艦長であるバートラムしか知らない。
B・Bの静かな姿に、ナイアは少し苛立ちを覚える。
だが、それと同時に、何か大切なことを探り当てたようにも感じた。
「B・B、本当に何も感じないの?」
「……わからない。が──、戦いは楽しい。戦いだけなんだ、俺がそう感じられるのは」
言葉を探りながら、彼は慎重に答える。
戦いに最適化された人類である彼にとって、非戦闘時以外の感情はほとんどノイズだ。そう思って、今まで切り捨ててきた。
だが──いま、彼の中で、得体の知れないものが蠢いている。
「……そっか」
「……」
「じゃあ、探そうよ」
B・Bは初めて、水面から目を上げた。
彼の顔を覗き込むナイアの瞳が、じっと彼を見据えている。
「一緒に、B・Bが楽しいって思えること、探そう」
彼女の藍色の瞳には、B・Bただ一人の姿だけが映し出されていた。
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「ああ、俺だ……」
オクシリス下層街区のとある裏路地で、ジョニーは通話を受けとった。
あの作戦の後、すぐにアサインした調査員からの着信だ。
「それで、妹の居るクラン……あいつらについて何か分かったか?」
『ジョニー坊や、お前はつくづく、奇妙な出会いをするものだね』
「あぁ? どういう意味だ」
『セレジア・コリンズ……本名はセレジア・リング。聞き覚えは?』
「さあな……」
苛立ちを抑え、ジョニーは訊ねる。
「……何者だ?」
『大物さ、お前の想像できないくらいにな……クフフ』