第五話:氷雪の戦場(後編)
ルコール海域に颯爽と再出撃した《ブルー・ブッチャー》は、アサルト・ライフル“カトラス”を装備し、予備弾倉を新たに二つ携えていた。
右腕に仕込んだモーターナイフ"藍銅"のブレードも新品に交換済みで、万全のフル装備状態だ。
『何が起きてるんだ!? こいつらは何だ!』
『知るかよ! それよりオクタヴィアが……!』
『もう、報酬はどうなるのよ!?』
──垂れ流しの無線に、開拓者たちの声が錯綜する。
炎上するオクタヴィア号の周りでは、GS同士の撃ち合いが始まっていた。
開拓者たちの機体と、深紅の──血のように赤い機体で分かれているようだ。
B・Bは開拓者のGSのうち一機を見つけると、その肩を乱暴に掴む。作戦中、ミサイルランチャーで彼に脅しを仕掛けてきた、あの開拓者の機体だった。
『ひっ……アンタはさっきの青い奴……』
「状況はどうなっている」
『わからねえ! 急にあの赤い連中が現れて……』
「どこから」
『オクタヴィアのコンテナからだ!』
それだけ聞くと、B・Bは無造作に開拓者の機体を放り出した。
彼の関心は、目の前で繰り広げられているカオスに向かっている。
赤い機体──敵のGS部隊は、次々に開拓者たちを狩り立て、情けや容赦という概念がないかのように振舞っている。統率の取れた動きだ。
オクタヴィア号に集中砲火する隊があり、それを護るように周囲に散開した隊、彼らの元に逃げ惑う開拓者たちを追い込む遊撃隊。さながら軍事作戦である。
「セレジア、クライアントを守る。指示を」
オクタヴィア号はまだ沈んでいない。それに、彼らの提供するオープン回線がまだ生きているということは、船の中枢にあたる区画は損傷していない証拠だ。
セレジアは思案した。確かに、B・Bの言う通り、生存者がいるなら救出すべきだろう。しかし、あのミサイルランチャーの開拓者が言っていた言葉が気になる。
オクタヴィアの中から敵が現れた──? 状況がまるで掴めない。
『考えている暇はないようですわね……。B・B、他の開拓者をデコイに接近して、船を攻撃している部隊から片づけなさい。順位を決めて叩きますわよ!』
命令に弾かれるように、《ブルー・ブッチャー》は動いた。
鋭い前傾姿勢を取り、高い水飛沫を上げながら加速度を上げる。
敵はすぐさま反応した。
深紅のGS部隊が装備したチェーン・ガンの銃口が、揃って《ブルー・ブッチャー》を狙い、斉射される。無数の水柱が上がり、照準が次第に収束していく。
B・Bは華麗なペダル捌きで、銃撃をかわした。だが──それも束の間。有象無象の開拓者たちを追い回していた遊撃隊が、彼を取り囲むように機動を変えた。
『いい目をしていますわね……。B・B、大丈夫ですの?』
「……ッ!」
『マズイですわね』
セレジアは、偵察ドローンからの中継映像で見守っていた。
B・Bが成す術なく追われているというのは珍しい。
その様に歯噛みするが、彼女には指示を出すことしかできない。
『──そこの青いの、援護するよ。一旦、機体を下げて』
ノイズと断末魔の入り混じるオープン回線から、澄んだ声が鳴った。
直後、《ブルー・ブッチャー》と赤の部隊の間に割って入った一機のGSが、両手に装備したガトリング・ガンを乱射し、制圧射撃を開始する。
『あの機体は……』
セレジアはスマート・パッドのタブを切り替え、今回の作戦参加者リストを呼び出す。重装甲、重火力型の機体、女性パイロット──。
『機体識別名:ダブル・ダウナー。搭乗者名:ナイア・バーシュ……』
ナイアの《ダブル・ダウナー》は被弾を物ともせず、五、六機のGS部隊と撃ち合い、それらをオクタヴィア号船体の後ろまで追いやった。まるで動く要塞だ。
『お礼はいいよ。貴方、朝っぱらからジョニーと揉めてた青いのでしょ』
「──ジョニー?」
『そう。アタシのバカ兄貴。貴方に喧嘩売ってボコられたヤツだよ』
「……」
『あいつ、最近調子乗ってたからね。お灸を据えてくれたお礼』
集中砲火を受けているとは思えないほどの陽気さで、彼女は笑った。
『オクタヴィアに近づくつもりでしょ?』
《ダブル・ダウナー》の右腕部ガトリングの射撃が止まり、バックパックから伸びたサブアームによって弾薬ベルトの交換が始まる。
敵がわずかに船体から顔を出したが、肩部に取り付けられたグレネード・ランチャーがすぐさま狙い撃ちにする。一連の動作には、全く隙が感じられなかった。
『このまま遊撃隊を抑えておくから、それで進めるかな?』
『──可能だ』
B・Bは短く答えると、ナイアの《ダブル・ダウナー》が作り出した隙を利用し、再び《ブルー・ブッチャー》を加速させた。
水飛沫を上げ、火線の中を一気に突き抜けると、周囲に散開していた敵GSの一部が、再び彼を追尾し始めた。
セレジアは、B・Bの動きをモニター越しに追い、冷静に指示を送る。
『助けられましたわね。B・B、オクタヴィアの左舷に向けて角度を変えてくださいな。せり出した氷床を使って、一網打尽にいたしますわよ』
B・Bは指示に従い、《ブルー・ブッチャー》の進路を左へと修正した。彼の前方には、オクタヴィア号の左舷に寄り添うようにそびえる巨大な氷床が見える。
この氷塊を、敵部隊の真上に落とすことができれば……。
連中はまだ追ってきている。機数にして四。
他は《ダブル・ダウナー》のもとへ向かったようだ。
B・Bはジグザグに機体の軌道をねじりながら、器用に弾を避けていく。
やがて、狭い通路へとたどり着いた。頭上には巨大な氷床がそびえている。
『……今ですわ!』
一瞬だけ、片側のポンプユニットを停止させる。
推力が左脚にだけ集中したことで、機体が180度反転。
B・Bは淀みなく、操縦グリップのトリガーを絞った。
「──ふッ!」
カトラスの銃口から撒かれた30mm装鋼弾が、白い氷壁へ突き刺さる。
と、ピシャリと鈍い轟音が鳴り、巨大な亀裂が生じた。
数体の敵GSがB・Bの意図に気付き、咄嗟に身をねじるも、もう遅い。
一帯の景色が崩れ落ち、四機の赤いGSはその雪崩に巻き込まれた。
『さすがですわ、B・B。あとは──』
甲高い音と、空を照らす閃光。
見上げてみれば、信号弾が空高く燃えていた。
赤弾三発。撤退を意味する信号だが……。
『……敵が退いていきますわ』
セレジアが怪訝な声を漏らす。敵の行動は徹底的な殲滅戦を予期させるものであったが、このタイミングでの退却は計画の意図を捉えきれない。
あれほど執拗に攻撃を受けていたオクタヴィア号は、未だ完全に沈んでおらず、襲われていた開拓者たちにも生き残りは多い。彼らは目的を果たしたのだろうか?
あるいは、B・Bとナイアが攻勢に出たことが要因なのかもしれない。
『追撃は不要ですわ。オクタヴィア号に近づいて、生存者がいれば回収を』
「……了解」
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マハル・マイヤーは、清潔なベッドで目を覚ました。
整然とした部屋の中に漂う薬品の匂いと、医療機械のホワイトノイズが彼の意識を悪夢の中から現実へと引き戻す。──天井の光が眩しい。
朦朧とする視界の中で、何が起こったのかを思い出そうとすると、混乱した記憶が断片的に浮かぶ。アラート音に、激しい砲声、悲鳴と、燃え上がる船体の赤色。
赤──。そうだ、奴らは……。
「目が覚めましたか」
落ち着いた声と共に、華やかな紅茶の香りが部屋に入ってくる。
彼はぼんやりとした視界を定めようと、目を瞬かせた。
視界の先には、銀色の髪をなびかせた女性が立っている。
「どうぞ、目覚めのダージリンですわ」
マハルは、目の前に差し出されたカップに気づいた。揺らぐ紅茶の香りが彼の神経を刺激し、少しずつ朦朧としていた意識がはっきりしていく。
まだ状況を飲み込めていない彼は、銀髪の女性に目を向けた。
「……ここは?」
「ここは採掘艦『インスマス』の医務室ですわ。わたくしは船主のセレジア」
無理に体を起こそうとするマハルを、セレジアはそっと手で制した。
「ご無理をなさらないでくださいまし。傷は浅くありませんわ」
「……お、オクタヴィアはどうなった?」
マハルは掠れた声で尋ねた。
「残念ながら、損傷が激しく。あなたが唯一の生存者ですわ」
「そうか……」
セレジアの言葉に、マハルはしばらく黙り込んだ。目を伏せ、眉間に皺を寄せる。彼の脳裏には、燃え盛るオクタヴィア号の光景が浮かんでいた。
同僚が、友人が、あの赤いGSに無残に狩られていく様子が再び甦る。
「……俺が、唯一の……」
そう呟いたマハルの声は、虚ろで、自分に言い聞かせるようだった。
「マハル、少し話を聞かせてくださるかしら? あの襲撃者──深紅のGSたちは、オクタヴィアが牽引していたコンテナから出現した、との証言がありますの」
セレジアは紅茶を一口飲み、穏やかな声で訊ねた。
「そのコンテナについて、何か知っていらっしゃる?」
マハルが答えたのは、やや間をおいてからであった。
「あれは……調査機材だと聞いていた……」
「調査機材、と」
「そうだ。出航前、艦長がいきなり言い出したんだ。──追加の積み荷があるって。パッケージングをやったのは他所の連中だから、俺たちは中身を見てない」
セレジアは、その言葉に食いついた。
「“他所”とは、具体的にどちらですの」
「……ゼニット・コンツェルンだ」
マハルの答えに、セレジアの瞳が微かに鋭く光った。
──ゼニット・コンツェルン。
あの男の会社が、この襲撃に関与しているとは……。
「ゼニット・コンツェルンが、オクタヴィアに積み荷を?」
「ああ……。艦長は『コンツェルンからのご厚意だ、丁重に扱え』と。だが……まさか、中にあんな連中が入っていたなんて……誰も思わないだろ」
マハルは力なく笑った。彼の目には後悔と恐怖が浮かんでいる。
「……なるほど。ありがとう、マハル。今は休んでいてください」
彼女は立ち上がり、部屋を後にしようとする。
「……なあ、あの赤いGSはゼニットの仕業なのか?」
その問いに、セレジアは振り返らず、ただ一言だけを返した。
「わたくしも、それを確かめるつもりですわ」