美少女名探偵☆雪獅子炎華 (17)小さき獅子
☆1☆
「かわいそうに、手足を縛って凍死させるなんて、随分ひどい事をする奴もいるものね」
暗闇の外から少女の声が聞こえる。
透き通るような澄んだ綺麗な声である。
我輩はアクビをしながらモソモソと暗闇から抜け出す。
「フニャア、フ」
顔を上げると少女と目があう。
妖精じみた可愛らしい美少女である。
一瞬、少女が怯むが、すぐに平静さを取り戻し、我輩を華奢で繊細な指先で抱き上げる。
喪服を思わせるフリルの多い漆黒のドレス。
ヘッドドレス。
凝った飾りのある黒いブーツ。
全身、黒ずくめで、
いわゆる、ゴシック・ロリータ・ファッション。
略してゴスロリである。
少女が我輩を見つめ直し、
「運のいい子猫ね。母猫がお腹の下に抱いていたから凍死を免れたみたいね」
そういえば、昨夜、我輩は母の鳴き声を聞いてここへ駆けつけたのである。その後、母のまわりをウロウロしていたが、やがて体が冷えてきて、だんだん眠くなってきたら、母が我輩におおいかぶさるように抱いてくれたのである。
最後に覚えているのはフサフサした毛と母の温もりの記憶だけである。
少女が我輩を地面に降ろして、母を手に取って調べ始めた。
普通の少女なら声をあげて逃げ出すか、または、見るもおぞましいと背を向けるか、そのどちらかであろう猫の凍死死体を。よほど勇気があるのか、いや、平然としたその様子から察するに、あるいは、もっと酷い死体を見ているか扱っているのか、どちらにしろ、そういった事に相当、慣れている様子である。
少女が何かを発見する。
「首輪に名前が書いてあるわ。掠れているけど何とか読めるわね。名前は、
金剛寺涼華」
少女が首輪を外して死体を元に戻す。
「良かったわね、金剛寺家なら、この近くにあるわ。有名な一族でね。旧華族時代は伯爵だったらしいのよ。今でもあそこの当主はそう呼ばれているらしいけど」
少女が悪戯っ子のようにクスリと笑い、
「くだらない優生論者の集まりよ。才能は遺伝する事はないのにね。ちょっと、からかいに行ってみましょうか。あなたをダシにしてね」
少女が我輩を再び抱き上げる。
「私と一緒に行ってくれるかしら?」
「ニャッ」
我輩は首肯した。
「なら決まりね。私は、
雪獅子炎華。
あなたは、そうね。
黒猫なのに、ひたいに雪の結晶みたいな白い毛が生えているから、
ユキニャン。
という名前でどうかしら?」
「ウニャッ!」
我輩は再び首肯した。
「ならユキニャン。お母さんにお別れの挨拶をしなきゃね。死体は保健所に頼むから。これが、お母さんの見納めよ」
我輩は死んだ母猫をジッと見つめ、
「ニャッ」
と、一声鳴いた。
「ユキニャン。これであなたは私の飼い猫よ。あなたとは長い付き合いになりそうね、これからよろしくね」
炎華が言いながら我輩を優しく撫でた。
☆2☆
保健所の車は数分でやってきた。
職員が車から降りてきて、
「おっ、あれだな。やあ、お嬢ちゃん。通報ありがとうよ。にしても、ひでぇことしやがるな。手足を縛って凍死させるなんて、人間のやる事じゃねえよ。外道の仕業だな。猫の凍死がないわけじゃないが、ほとんど捨て猫が野生化する前に冬がきてやられるパターンだ。このあたりは冬場は氷点下十度以下まで気温が下がるからな。元々飼い猫だったんじゃひとたまりもないってわけさ」
五十代半ばの、よくしゃべるオッサンである。
オッサンが手際よく我輩の母猫を回収していく。
「ん? その子猫も回収するのかい、お嬢ちゃん?」
炎華が我輩を抱き締め、
「おじさん。この子は私の飼い猫よ。回収なんかしないでちょうだい」
「そりゃすまねえな」
オッサンが頭をかきながら、
「しっかし最近、多いらしいからな。お嬢ちゃんも猫を飼うんなら気を付けたほうがいいぜ」
炎華が眉をひそめ、
「どういう事かしら?」
オッサンが凍死を思わせる変なポーズを取り、
「猫の凍死事件だよ。ここでは初めてだけどな。となり街の駅周辺では四件。二駅先の山で二件。今日のこの凍死事件も含めると合計七件。手口がみんな同じで、犯人は上手いこと防犯カメラをすり抜けて犯行を重ねている」
炎華が結論を出す。
「つまり、犯人はまだ捕まっていない、という事ね」
オッサンが同意し、
「ああ、その通りだ。ま、猫だけなら、まだ問題にはならないが、このまま犯行がエスカレートして、そのうち人間の被害が出るんじゃないかって、俺は心配してるんだよ。お嬢ちゃんも怪しい奴に目を付けられないよう気を付けなよ。何しろ」
オッサンが炎華を見直し、
「飛びっきりの美少女だからな」
豪快に笑いながら車に乗り込むと素早く走り去った。
炎華が肩をすくめ、
「さて、一仕事終わったわね」
言いながらスマホを取り出す。
「念のため、今まであった話を鬼頭警部に話しておきましょう」
なぜ炎華のような子供が警察の警部と知り合いなのか、よく分からないが。ともかく、何らかの関係があるらしい。
炎華が電話をかける。
「鬼頭警部、炎華よ。今、白銀市という所にいるんだけど、ちょっと調べてもらいたい事があるの。この街で起きている野良猫の凍死事件の事は知ってるかしら?」
鬼頭警部が、
『炎華くん。ワシは殺人課の警部なのだ。犬猫の事件は保健所に報告してほしいのだ』
炎華がまくしたてる。
「その保健所の職員から聞いたのよ。すでに七匹の猫が縛られた上で路上に放置され凍死したってね。由々しき事態じゃないかしら?」
『フム。確かに、ちょっと異常だとは思うが、とにかく、ワシはさつ』
炎華が鬼頭警部の言葉を遮り、
「何でもいいから、何か分かったら教えてちょうだい。いいわね」
鬼頭警部が降参したように、
『わかったのだ。君には難事件の解決で色々と協力してもらっているから、何か分かったらすぐ連絡するのだ』
「頼むわよ鬼頭警部。頼りにしているわ」
炎華が通話を切る。
「それじゃ、次の目的地に行きましょうか」
炎華が迷わず歩きだす。
「目指すは、金剛寺邸よ、ユキニャン」
「ウニャッ」
我輩は同意した。
☆3☆
高級住宅が建ち並ぶこの辺りでも一際大きな大邸宅が金剛寺邸だった。
巨大な門の脇に設置されたインターホンを炎華が鳴らす。
インターホン越しに高圧的な硬い声が用向きをうかがってくる。
『どちら様で、どのようなご用件でしょうか?』
炎華が取り澄ました声で、
「こちらの迷子になっている猫を見つけまして、でも、その子は亡くなっていたんです。仕方がないから保健所に通報して処理してもらいました。その猫の首輪に金剛寺涼華という名前の書かれた首輪があったので、首輪だけでも遺品としてお返ししようと思い、こちらまでお持ちしました」
インターホンの声が和らぎ、先ほどより丁寧な口調で、
『それはご足労でしたね。どうぞ、お通りください』
巨大な門が音もなく開く。
「第一関門突破よ、ユキニャン。さあ、行くわよ」
炎華が通ったあと門が静かに閉まる。
この屋敷は高台にあり、屋敷の背後に山が見え隠れする。
山自体は近くの駅から三つほど過ぎると、なだらかに始まる。
反対に門側を振り返ると、白銀市とその先に海が見える。白銀市は山と海に囲まれた風光明媚な街であった。
炎華が広い庭園を抜けると、
「どうぞ、こちらでございます」
先ほどのインターホンの主であろう老執事が扉を開けて屋敷内に炎華を案内する。
☆4☆
「大奥様の猫はどのような状況で死んでいたのですか? 差し支えなければ、お教え願いたいものです」
老執事が厳かに聞いてくる。
炎華が状況を思い浮かべ詳細に語り始める。
「私が発見したのは朝の八時ごろだったわね。白銀市の街中にある空地に手足をお腹の前で縛られて身動き出来ない状態で放置されていたわ。昨日は相当寒かったから、凍死はまぬがれないわ」
老執事が眉間にシワをよせ憤懣やるかたないといった調子で、
「零下、マイナス十三度です。最近、起きている猫の凍死事件と手口が同じですね。あの猫は半分野良のようなものでしたから。ただし、そんなところも亡くなった大奥様のお気に入りでしたから、半野良でも仕方ありませんが。とにかく大奥様は何かあった時のために、あの猫に首輪を付けていたのです。猫が死んでしまったのは残念ですが、今頃、天国で大奥様と会って喜んでいるかもしれませんね」
炎華が、
「涼華はいつ亡くなったのかしら?」
執事が、
「先月の初めごろですな。それが何か?」
「いいえ、特に意味はないわ。それより、さっき言っていた天国っていうのは、いったいどこにあるのかしら?」
と、炎華が問うと、
老執事が生真面目な顔つきで、
「はるか遠くでございますよ、お嬢様。人間の手では、決して届かない、はるか遠くでございます」
言いながら広い玄関から大広間に入る。
広間には二人の夫婦が豪奢なソファに腰かけ、入ってきた炎華を値踏みするように見ていた。
旦那はちょっと背が高く、年は五十代半ば。
白髪の混じったグレイの長い髪。かつては美男子であったと思わせる整った目鼻立ち。今は額や目尻にシワが目立つ。
奥方のほうは金髪に染めた髪をパーマにしている小柄で小太りな大年増。あちこちに贅肉がつき、ホホもアゴもふっくらたるんでいる脂ぎったあばたズラ。ドングリまなこに、アゴいっぱいに広がる大きくて頑丈そうな口。絵にかいたようなエネルギッシュなオバサンの典型である。
執事が旦那に向かって、
「伯爵様、こちらが大奥様の猫の遺品をお持ちになったお嬢様でございます」
伯爵と呼ばれた旦那が、
「いや、悪かったね君。わざわざ我が家まで持って来てもらって、たかが野良猫の首輪なのに、いや、妻の母が飼っていたのだから半野良猫といったところか。ともかく、大変感謝しているよ、君。その猫の首輪は一応、義母の遺品にあたるからね」
絵に描いたような慇懃無礼さだ。伯爵が続ける。
「せめて血統のいい猫なら我が家で飼ってやっても良かったんだが、何せ雑種の猫だからね。しかも、義母が亡くなってからは我が家にあまり近づかなくなったのでね」
金剛寺夫人が、
「あら、猫が我が家に近づかないのは良い事じゃない。あんな雑種の野良猫。お母様が何であんな野良猫を可愛いがっていたのかワタクシにはさっぱり分かりません。我が家のような上級市民に不釣り合いな雑種の野良猫ですもの」
炎華が涼しげに、
「あら、私も雑種の下級市民ですけど、早めにお暇したほうがいいかしら?」
炎華の言葉に面食らった夫人がドングリまなこ
を白黒させる。そんな動揺した夫人をよそに、炎華の美貌に目を付けた伯爵が自分を下級市民扱いする炎華に興味を持ったのか、こんな事を聞いてきた。
「君は近所の娘かね? あまり見かけない子だけど」
炎華が鈴を震わすような声で、
「いいえ伯爵、白銀市にはたまたま立ち寄っただけですわ」
「そうかね。それはともかく、君に伯爵と言われると、面映ゆくて仕方がないね。我が家は旧華族の家系でね。歴代の当主はみんな伯爵の爵位を継いでいたんだよ。だから、うちの執事も先代からの習慣で私のことを伯爵と呼んでいるのだが」
今は伯爵でも何でもない、という事である。伯爵が話題を変える。
「ところでお嬢さん。小さいのに一人旅か何かかね? 泊まる所が決まってないのなら我が家に泊まってもいいのだよ。部屋はたくさん余っているからね」
夫人がヒステリーじみた甲高い金切り声を上げる。
「あなた! いい加減にしてちょうだい! 何で何も考えずに、考えなしに安請け合いするんですか? ほんのちょっとばかし可愛らしい、というか本当にほんの少しだけ可愛いいだけなのに、ともかく、どこの馬の骨とも知れない素性の怪しい輩を我が家に入れるわけにはいきません! 何であなたは昔からこういう変な虫が次から次へとブンブン、ブンブンあとからあとからわいて近づいてくるのかしらねえ? そのたびに追っ払うワタクシの身にもなってもらいたいわ! 最近落ち着いてきたと思ったら、またぞろこの調子なんですから!」
炎華がこれ以上ないほどニッコリと微笑み、
「ご心配には及びませんわ伯爵。白銀市でも有名な超一流ホテル。
ホテル・ニューアカツキに宿泊する予定ですから。これはホテル・ニューアカツキのプラチナゴールドVIP会員カードですわ」
炎華がホテルニューアカツキ・プラチナゴールドVIP会員カードを取り出して見せると、それまで路傍の石か雑草でも見るような目付きだった夫人の目の色が変わる。その変貌ぶりは例えば、銀座の高級宝石店が金持ち向けに内々で密かに販売する数千万円の宝石でも見るような目付きである。
なぜ炎華のような子供がこんなカードを持って一人旅をしているのか我輩にはよく分からない。が、きっと資産家の両親がいるとか、財閥から資金援助を受けているとか、どこかの王族から大金をもらっているとか、何らかの理由があるのだろう。すべて我輩の推測であるが。
夫人がぶるぶる震えながら、
「ま、まさか、年会費数百万円はするホテル・ニューアカツキのプラチナゴールドVIP会員カードをこんな小娘、いいえ、お嬢さんがお持ちだったなんて、ワタクシの金持ち鑑定眼もとんだ節穴だったわ」
その時!
グウウウウウウ!
我輩のお腹が鳴った。
炎華が我輩を見つめ、
「お腹が減ったの? ユキニャン?」
「ウニャウ~~」
我輩は情けない鳴き声で鳴いた。
朝から何も食べていないのだ。仕方がないのである。
伯爵が立ち上がり、
「キッチンにミルクがあるから君、こちらに来たまえ。その子猫に飲ませてあげよう」
炎華も立ち上がり、
「お言葉に甘えさせてもらいます。伯爵」
伯爵がキッチンへ向かう、そのあとを炎華、それに執事がついて行った。
☆5☆
キッチンへ行く途中、伯爵が、
「なぜ僕みずから君をキッチンへ案内するのかというと、実は僕の唯一の趣味が料理でね、こう見えても自慢ではないが料理の腕は超一流なのだよ。ミシュランの五ツ星レベルといってもいいぐらいだよ」
メッチャ、自慢話である。
伯爵が続ける。
「若い頃は店を開こうとした事もあったが、調理師免許の試験がどうしても受からなくてね。料理の腕はあってもテストをクリアする頭は無かったという事だよ」
つまり、頭は良くなかったという事である。
伯爵が続ける。
「仕方なく料理の道は泣く泣く諦めたのだよ。天は人に二物を与えずというが、まさしくその通りだ。幸いな事に、僕は昔からなぜか女の子にモテまくっていたので、その縁で家内と知り合い、婿養子だが幸せな結婚をしたんだ。そして今は悠々自適な毎日を楽しんでいるのだよ」
メッチャ、二物を持っている。
伯爵が続ける。
「妻は義父の死後、白銀不動産を引き継いだのだが、親譲りの経営の才能があってね、莫大な収益をあげたんだ。やり手経営者としてマスコミにも散々取り上げられ、ちやほやされた時期が長く続いた。そして、今では白銀市の都市開発公団の総責任者にまで登り詰めたんだ。まったく、あれよあれよという間に、宝くじに百回当たったような大金持ちに、いや大財閥になったんだよ。調理師免許すら取れない僕とは大違いだな。おかげで僕は世間からヒモ扱いされているがね。もちろん断じてそうではないと、僕はいつも言っているのだが、世知辛い世の中の下級市民、いや、庶民の方々は、なかなか人生の成功者を成功したと素直に認めがらない傾向にあってね。残念ながらまったくもって困ったものだよ。何度も言うが、僕は断じてヒモではないと言っておこう」
メッチャ、ヒモである。
伯爵が続ける。
「さあ見たまえ、ここが僕の自慢のマイ・キッチンだよ。最高級レストラン顔負けの最新式かつ高機能な設備の数々をそろえてある。実はこのキッチンは昨日出来たばかりでね。昨日、妻の誕生パーティーがあって、それに合わせて設備を一新したんだよ。パーティーは大盛況だったな。
夕方の四時から始まって、
夜の十時まで六時間も続いたからね。
その間、僕は自慢の料理を作っては出し作っては出し、その合間にお客の接待もするという、本当に大変だったよ。
さあ! ここが僕専用のキッチンだよ!」
悦に入っている伯爵に対し炎華が、
「それはともかく。ユキニャンのミルクはどこかしら?」
伯爵が思い出したように、
「おおそうだった。そね子猫のミルクを出しに来ていたのだった。すっかり忘れていたよ」
完全に痴呆症である。
「ちょっと待ちたまえよ。この冷蔵庫は暗証番号を入れないと開かない仕掛けになっているのでね」
縦二メートル、
横一メートル、
子供でも入れそうな業務用の巨大な冷蔵庫が二つ、ドーンと並んで置いてある。
ミルクを待ちきれなくなった我輩は、炎華の腕から飛び出して冷蔵庫の扉に前足をかける。
「ニャウフッ! ニャウフッ!(ミルクッ! ミルクッ!)」
と、おねだりする。
炎華が、
「ユキニャンはもう待ちきれないようね。よっぽどお腹が空いていたのかしら? あら、これは何かしら?」
冷蔵庫の扉の下に髪の毛がはみ出している。炎華が髪をつまんで引っ張るが取れない。冷蔵庫の内部から髪が出ているようだ。
「伯爵の髪かしら? それとも、食材を運んだ宅配業者の髪かしら?」
「どうかしたのかね?」
伯爵が怪訝そうな顔で尋ねてきた。
炎華がほがらかに、
「いいえ、何でもありませんわ伯爵。ユキニャンがミルクを待ちきれないみたいなんです。お行儀が悪いわね、ユキニャン」
伯爵が微笑み、.
「なに、気にしなくともいいよ。それより、そっちは冷凍庫でね、食料の入っている冷蔵庫はこっちだよ」
我輩が前足を掛けたとなりの大きな冷蔵庫に伯爵が暗証番号を入力する。扉が開き、庫内からミルクを取り出す。それを小皿にうつした。
「フニャ~ウ」
我輩は喜びに一声鳴いて、目の前に置かれたミルクをさっそく舐め始める。
伯爵が、
「なぜ暗証番号をつけたかと言うとね。僕の大事な食材を、勝手に取り出して夜な夜な食べ漁る不届きな者がいるからなのだよ」
「まったくだよ。いったい誰がそんな事をしているんだよ?」
若い男が言いながら冷蔵庫の中の昨夜のパーティーに出したと思われる高級料理の残り物を取り出して口に運ぶと、パクバグ食べ始めた。
伯爵が苦々しげに、
「お前の事だ、虹矢。まったく、いつもいつも勝手に冷蔵庫の中の物を食べおって」
伯爵がその場を取り繕うように、
「次男の虹矢だ。何やら得体の知れない芸能活動をしておって、時折り帰ってきては、このように僕の大事な食材を漁るのだよ。それで暗証番号を付けたのだが、さっそく、またやられてしまったようだ」
虹矢が反論する。
「得体の知れない芸能活動じゃなくて地下アイドルだよ、オヤジ。これが結構稼げるんだぜ。こないだなんか、中学生の女の子から三百万円も貢いでもらってさ。他にも貢いでくれる女の子がわんさかいるんだぜ。年収一億円は間違いなしだよ」
伯爵を若くすると、虹矢になる、と言ってもよいぐらい伯爵によく似ていた。恐らく、伯爵も若いころは虹矢に劣らぬイケメンだったのだろう。
虹矢が続ける。
「でも、最近ちょっと困ってるんだよね。実は
小学生の女の子が俺に貢ぎ始めてさ、しかも、額が半端ないんだ。百万ぐらいを持ってきちゃって、さすがに小学生からそんな大金をもらうのはマズイだろうって受け取らなかったけど、でも、しばらくすると今度はその二倍も持ってきちゃってさ、仕方がないからもらっちゃったけど。モテる地下アイドルは辛いなあ」
女たらしの遺伝子もしっかり伯爵から受け継いだようである。
伯爵が諭すように、
「そもそも虹矢、なぜ料理人の厨房の冷蔵庫を漁らん? れっきとした料理人がおるのだから、彼らに頼めば食事などいくらでも出来るだろうに」
虹矢が不満げに、
「それじゃ面白くも何ともないじゃん。親父の目を盗んでこっそり食べるのがスリルがあっていいんだよ」
伯爵が冷ややかな目で虹矢をにらみ、
「まあ今回からは暗証番号があるから、それも出来なくなるだろうがな」
虹矢が愉快げに、
「それを突破するのが男のロマンなんだよ」
「地下アイドルに男のロマンを語られるとは思わなかったぞ、虹矢」
そう言ってまた一人、伯爵専用キッチン入ってきた。
伯爵が、
「長男の根区郎だよ。母親似でね。実によく似ているだろう。仕事ぶりも母譲りで才能があるのか、実によく出来る。家内も随分助けられているよ。本当に我が家の期待の星というわけだ」
確かに母親そっくりである。とくに、ドングリまなこが。
虹矢が茶化すようにニヤリと笑い、
「だけど、兄貴にはちょっと変わった趣味があるんだよな」
根区郎が、
「何がだ? 写真は普通に立派な趣味だろう」
そう言うと大きな一眼レフを炎華に向けて構える。
「うむ。実に絵になる美少女だ。想像以上に美しい」
「どういたしまして、でも、撮影には興味ありません」
炎華にそう言われると根区郎がカメラを下げ残念そうに、
「それは残念だな。君ならいい被写体になると思ったんだが」
虹矢がおどけたように、
「死体写真のね!」
炎華が眉をひそめる。
「どういう事かしら?」
根区郎が動揺する事なく、落ち着いた口調で、
「特殊撮影だよ。死体のようなメーキャップをモデルに施して、死体のような写真を撮るんだ。ただし、被写体はオフィーリアのように美しい美少女だけと決めているがね」
炎華が合点がいった調子で、
「聞いた事があるわ。ネクロフィア写真集。最近、マスコミで取り上げられて話題になっているわよね。リアルな死体を模していて、有名な大人気アイドルグループ、道玄坂5.5のメンバーも死体になったとマスコミが騒いでいたわよね」
悪趣味な写真集である。が、人気はある。一時的なものであろうが。
根区郎が嗜虐的な笑みを浮かべ、
「そういった事で君のような美少女にも、ぜひ死体になってもらいたいんだがね」
炎華が微笑で応え、
「あいにく、死体は飽きるほど見ているわ。だけど、自分が死体になる気はないわね。死んでも生き返るでしょうし」
クスクスと、
炎華が含み笑いを漏らす。
最後の台詞に虹矢と根区郎はキョトンとしているが、伯爵は構わず、
「死体を見ているとは? 君、いったいどういう理由からかね?」
炎華がさも当然といった顔つきで、
「あら、言葉通りですわ、伯爵。事件現場で何度も死体を、正確には、被害者の死体を見ているわ」
伯爵が炎華を問い詰める。
「そもそも君は、どこの誰で、いったい何物なのかね?」
いまさら? といった質問である。遺品を届けた善良な一般市民。では通りそうにない。
炎華が夢見るような口調で、
「私は、雪獅子炎華。探偵よ。今まで警察に協力して殺人事件をいくつも解決してきたわ。殺人課の鬼頭警部と知り合いよ」
伯爵の瞳が鋭く細められる。が、炎華のスマホが鳴り、その応答に出ると、そちらに全員の耳目が集中した。
「炎華よ鬼頭警部。何か分かった事があったのかしら?」
鬼頭警部が銅鑼声でがなりたてる。スマホからかなり離れていても通話が筒抜けである。
『単刀直入に言うよ、炎華くん。実は、白銀市で起きた野良猫凍死事件の犯人が逮捕されたねだ。そして今、地元の警察に拘留されているのだよ。ワシも暇だから顔を出すつもりだが、君はどうするかね、炎華くん?』
「もちろん犯人に会うつもりよ」
炎華が即答し、それを予期していた鬼頭警部が、
『なら白銀署に事前に連絡しておくのだ。では、またあとで会おう、炎華くん』
炎華が通話を切り、
「という事で、今日はこれでお暇しますね、伯爵」
伯爵が目を見張り、
「あ、ああ。そ、そうだね。ほ、本当に君は」
炎華がきっぱりと、
「探偵です。伯爵。信じてもらえないかもしれませんが」
虹矢が炎華に寄り添い、
「いやいや、白銀署に行けば分かる話だろ。俺が車で送ってやるよ、炎華ちゃん。いや、美少女名探偵☆雪獅子炎華ちゃんかな?」
炎華が嫌がる様子も見せず、
「助かるわ、虹矢。でも、名探偵は、ちょっと大げさね。青いスーツに、赤い蝶ネクタイをした、子供の名探偵には遥かに及ばないもの」
炎華が控えめな笑みを浮かべた。
☆6☆
虹矢が運転する車内にて、
虹矢が、
「何で兄貴までついてくるんだよ。せっかく美少女名探偵☆雪獅子炎華ちゃんと二人っきりになる絶好のチャンスだったのに、もう少し気をきかせてくれないかなあ」
根区郎が母親譲りのドングリまなこをギョロつかせながら、
「お前のような地下アイドルの皮をかぶった飢えた野良犬と炎華ちゃんを二人っきりにしようものなら、途端に発情期に突入して盛りまくり、どんな酷い結果になるかは火を見るより明らかだ。立派なお兄様が弟のお目付け役として目を光らせて悲劇を阻止してやるから、むしろありがたく思うのだな」
というわけで、現在車内には、炎華、虹矢、根区郎の三人と我輩が乗車していた。
地を滑るように快走する車はアウディの最高級モデルで雲の上にいるようなフワフワした抜群の乗り心地である。
虹矢が憤懣やるかたない様子で、
「何だよそれ? 人を野獣みたいに言って、炎華ちゃん、兄貴の言ってる事を真に受けちゃ駄目だよ。こう見えても俺は、俺を愛するファンとか凄い大切にしてるし、野獣どころか草食動物のように大人しい性格なんだから」
根区郎が皮肉げに、
「たんまり貢いでもらっているから、そりゃ大事にするだろうさ。金の卵を生む大切なメンドリだからな」
虹矢が反撃する。
「兄貴はああ言ってるけど、むしろ兄貴のほうを気をつけたほうがいいよ、炎華ちゃん。なにしろネクロフィア、死体愛好家だからね。いつ炎華ちゃんに魔の手が伸びるか分からないよ」
根区郎が動揺し、
「ばっ、バカなっ! そんな事があるわけないだろうが! 美少女はその美しさを写真の中に永遠に閉じ込め、いつまでも若さと美しさを堪能するのが、真の美少女の愛で方なんだよ。出来れば死体の扮装でな」
兄弟喧嘩が始まりそうな険悪な雰囲気のなか、炎華が気にもとめずに、
「根区郎がネクロフィア写真にこだわる理由は分かったわ。ところで、虹矢はどうして地下アイドルになったのかしら?」
虹矢が躊躇する事なく心情を吐露する。
「俺は本物のアイドルになれるほど才能がないって自分で分かっているから。だから、アイドルの真似事をして、それで満足しているんだよ。花火大会の花火みたいに大勢の人を楽しませるド派手な花火じゃないけど、線香花火のように小さくても、それを楽しんでくれる人がいるなら、頑張って続けようと思ってるんだ。まあ、いつかは燃え尽きて地に落ちるんだろうけどね。そんときゃお袋の会社に潜り混んで兄貴の手伝いをするさ」
根区郎が肩をすくめ、
「我が社へ入るのなら、それ相当の覚悟が必要になるぞ。俺自ら、虹矢、お前をビシビシ鍛えてやろう」
虹矢が、
「へいへい」
と、気の抜けた返事を返す。
炎華が、
「白銀署が見えてきたわね。あら、鬼頭警部がいるわ。いったい、どうしたのかしら? こんなに早く来るなんて」
炎華が車を降りると鬼頭警部が、
「大変な事が起きたのだ、炎華くん。それでワシも慌てて白銀署に飛んで来たのだ」
炎華が冷静に、
「いったい何が起きたのかしら?」
鬼頭警部が、
「猫の凍死事件どころじゃないのだ。十歳前後の少女が手足を縛られて山中に放置され、そのまま凍死していたのだ」
炎華が瞳を細め、
「猫の凍死事件の犯人と、何か関係があるのかしら?」
鬼頭警部が、
「それをこれから調べるのだ。とにかく急ぐのだ」
炎華が疑問を口にする。
「それで、現場に行くの? それとも事情聴取をするの? 私は猫の凍死事件の犯人に会いたいんだけど」
鬼頭警部が、
「ワシもその犯人に会って色々と聞きたい事があるのだ。ところで炎華くん。そこの二人は何者なのかね?」
鬼頭警部が虹矢と根区郎を胡散臭げに見やる。
炎華が適当に、
「助手? みたいなものかしら」
鬼頭警部が、
「助手なら仕方がないのだ。一緒に来るのだ」
こうして、炎華、虹矢、根区郎が鬼頭警部のはからいで白銀署の取調室へと案内される。
途中、根区郎が不興げに、
「何で俺まで助手になるんだ?」
虹矢がケロッと、
「いいんじゃね。これで炎華ちゃんが本物の探偵だって分かったし。しかも、本当の殺人事件が起きたんだぜ! 今からワクワクしてるよ」
根区郎が苦虫を噛み潰したような溜め息をつき、
「能天気な奴め」
☆7☆
「俺じゃねえよっ! 俺はやってねえって! 人殺しなんかするはずがないだろう! 犬や猫じゃないんだぞ!」
二十歳前後の若者が大声をあげ、わめき散らしている。
細面のヒョロ長い顔と鼻。青黒い血色の悪い顔から想像されるのは、しなびたナスビである。
取調室に入った炎華が間髪入れずに、
「猫の凍死事件には関係しているという事かしら?」
突然の質問に面食らいながらも犯人はこの場違いな美少女に興味を持ったようで、炎華を上から下まで舐めるようにシゲシゲと眺めたあと、
「それは、その」
と、先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか、口をモグモグ動かしながら、しどろもどろに、
「俺じゃねえよ。そんなの知るかよ」
と、シラを切る。
炎華が挑発するように、
「七匹もやったそうね。この子の母猫も被害にあったのよ」
「ウニャッ」
我輩が同意すると犯人がいきり立ち、
「待て待てっ! 俺は六匹しかやってないぞ! 何で増えてんだ! 嘘をつくんじゃねえよ!」
炎華がいなす、
「それじゃ六匹は凍死させたって事ね」
「うっ! しまった!」
炎華の誘導尋問に引っ掛かった犯人が呻く、
炎華が話をそくす、
「そもそも、何でそんな事をするようになったのかしら? 猫に何か恨みでもあるの? それとも気晴らし? スカッとするから? 親に虐待された腹いせかしら?」
犯人がまた呻き、
「ふっ、ふん! お前の言う通りだよ! 俺は小さい頃から虐待を受けていたんだよ。両親揃ってな! だから俺は自分より弱いアリや虫を殺して憂さを晴らしていたんだよ」
炎華の誘導尋問が続く。
「でも、虫だけじゃ満足出来なくなって、蛙やザリガニ、だんだん大きな獲物を狙うようになったんじゃないの?」
犯人の口が軽くなる。
「そうなんだよ! 蛙やザリガニに爆竹を仕掛けて派手に爆発させたりしたんだが、あれはスカッとしたなあ」
炎華が畳み掛ける。
「ホラー映画なんかも好きなんじゃないかしら?」
犯人が我が意を得たりとばかりに、
「そうなんだよ! ゾンビ、オーメン、13日の金曜日、死霊のハラワタ、死霊の盆踊り、クリープショー、エルム街の悪夢、他にもレンタルビデオでいっぱい借りて見たなあ」
炎華がさらに切り込む。
「だけど、だんだん飽きてきたんじゃないかしら?」
犯人がうなずき、
「そうなんだよ。しょせん作り物だからな。それに、たくさん見ていると、いい加減、食傷気味になってさ。基本的にワンパターンだし。映画は見るのに時間もかかるしな」
炎華がさらに誘導する。
「そんな時にインターネットやスマホで残虐な動画を見るようになったんじゃないかしら」
犯人が瞳を輝かせ、
「そうなんだよ! あんたよく俺の事が分かるなあ! なにしろ、ちょっと検索すればいくらでも残虐動画が見れるからな。インターネットは凄いぜ。それに、スマホを使えばいつでもどこでも暇さえあれば好きなだけ動画を見る事が出来るんだから、毎日毎日、すっかり残虐動画ばかり見ていたよ」
炎華が話をうながす。
「それから、どうなったのかしら?」
犯人がおもむろに、
「俺も人が殺してみたいと思ったよ」
鬼頭警部が、
「なっ! まさか! 少女の凍死事件は君がやったのかね!?」
炎華がすかさず、
「まさか! 現実と動画は違うのよ。そんな簡単にはいかないでしょう。ね? そうよね」
犯人が素直にうなずき、
「その女の子の言うとおりだよ。とりあえず最初は猫にしたってわけさ。ナイフで傷つけるのも怖くってな、手足を縛って街中に放り出したんだ。このあたりは空気が乾燥していて雪は降らないけど、冬場になると夜は氷点下十度以下まで気温が下がるからな。間違いなく猫は凍死すると思ったんだよ」
炎華が結論を出す。
「どうやら、あなたは本物のシリアルキラーにはなれそうになさそうね。今ならまだ引き返せるわ。色々な原因が重なって、猫を殺してしまったけれど、ここでしっかり反省して、一からやり直せば、まだ何とかなるかもしれないわ。私から言えるのはこれだけよ」
そう言い残して炎華が取調室を出る。
鬼頭警部が感心したように、
「さすが炎華くんなのだ。よくあれだけの情報をこの短時間で引き出せたものなのだ」
虹矢が、
「まあ炎華ちゃんみたいな美少女と話せるんなら誰だって饒舌になるんじゃないかね」
根区郎が、
「いや、それに加えて炎華嬢の誘導尋問が絶妙だったんだよ。犯人の奴、すっかり乗せられていたからな」
炎華が、
「さあ、次は少女の凍死事件の現場検証よ。虹矢、また車を頼めるかしら」
虹矢が、
「喜んで。なんてったって美少女名探偵☆炎華ちゃんの助手だからな」
全員、車に乗り込む。が、その中に鬼頭警部も含まれていた。後部座席の三分の一以上を占めている。同じ後部座席に座った根区郎は席の端っこで縮こまっている。我輩と炎華は助手席なので影響はない。
虹矢が、
「警部さんはパトカーで行くのかと思ったよ」
鬼頭警部が憤怒に瞳を燃やし、
「 君たちのようなチャラチャラしたアイドルみたいなイケメンと冴えない助手の二人を炎華くんと三人だけにしたら、どんな酷い結果になるかは火を見るより明らかなのだ。このワシがしっかり、お目付け役となって目を光らせ、最悪の悲劇を阻止してやるのだ。むしろ、ありがたく思って欲しいのだ」
虹矢が深い溜め息をついて、
「前にも聞いたことがあるようなセリフだな」
とボヤキ車を発進させる。先ほどと違ってやけに重苦しい排気音をアウディが響かせた。
☆8☆
山に入るとすぐに事件現場に着いた。
鬼頭警部とともに、炎華、虹矢、根区郎がトラテープを乗り越えて現場に入る。
真っ白いドレスを着た十歳前後の少女の死体が横たわっている。
腰まで届く長い黒髪が扇状に地面に広がっていた。
少女は口をガムテープでふさがれ、体育座りをするような姿勢で手足を後ろ手に縛られまま、木々の間に打ち捨てられていた。昼を過ぎてもなお氷点下の寒さである。夜間に放り出されたら凍死はまぬがれない。
虹矢が一瞥して、
「ひでえなこりゃ、人間のやる事じゃないぜ」
根区郎もうなずき、
「残酷なだけだな、本物の死体は、作り物とは全然違う」
炎華が鬼頭警部に、
「死亡推定時刻はいつごろなのかしら?」
鬼頭警部が死体を見ながら、
「鑑識の話では、恐らく、十二時間から十五時間との事だ。正確な時間は検死せんと分からんのだ」
虹矢が逆算し、
「そうすっと、今は十時だから」
根区郎が、
「昨日の夜、七時から十時までの間に死んだという事だな」
鬼頭警部が説明を付け加える。
「少女が凍死するまでに二、三時間かかるとして、犯行は早くて午後四時以降、遅くとも八時ごろには、この山中に放置しないと凍死は成立しないのだ」
鑑識が虹矢のことをやけにジロジロと見ながら、
「鬼頭警部、被害者のポケットからこんな物が出てきました」
と言ってビニール袋に入った品々を渡す。
鬼頭警部が一つ一つ取りだし、
「スマホに、財布に、定期入れ、定期券は入っていたのかね?」
鑑識が、
「はい、入ってました。鉄道会社に連絡して住所と連絡先もわかっています。すでに、事件の詳細を被害者の母親に連絡しました。定期券から分かった事は、女の子の名前は根倉七美。十二歳。住所は白銀市のマンション。母親の名前は七子で、すぐ現場に駆けつけるそうです。それと」
再び鑑識が虹矢をジロジロと見てから、
「こんな物もありました」
と言って出したのは、虹矢のブロマイド写真である。道理で虹矢のことをジロジロと見るわけである。
鬼頭警部が疑惑の瞳を虹矢に向け、
「これはいったい、どういう事なのかね? 何で君の写真を被害者が持っているのだ?」
虹矢が慌てて、
「ちょっと! 待ってくれよ警部さん! 俺の事を疑ってんのかい?」
鬼頭警部がジト目で虹矢をにらむ。
虹矢が必死に、
「じょ、冗談じゃないぜ! きっと、俺のファンの一人だよ。ライブのグッズ売場で買ったに違いないって!」
根区郎が冷淡に、
「弟の虹矢は地下アイドルをやってましてね、警部さん。まさか、ファンに対してこんな事件を起こすとは思いもしませんでしたよ」
虹矢が興奮し、
「何言ってんだよ兄貴! 冗談も時と場合を考えろよな!」
鬼頭警部がますます疑い深く、
「ほほう、地下アイドルをね。聞くところによると、ファンに多額の金銭を貢がせて、大問題になっているらしいと、噂でよく聞くのだ」
虹矢がしどろもどろに、
「いや、それとこれとは、まったく別問題で、次元の異なる異次元の事件ですよ。俺はまったくこの事件には関係ありません! それより、実は、その写真を撮ったのは俺の兄貴で、元のデータは兄貴が持っているんですよ。だから」
根区郎が憤る。
「貴様、兄を警察に売る気か? 警部さん、弟の言う事を間に受けてはいけませんよ。確かにデータはありますがね、それを使ってどうこうしようなんて考えは一切ありませんからね」
鬼頭警部が二人に詰め寄り、
「参考までに、二人の昨日の午後四時から十時までの行動についてうかがっておきたいのだ」
虹矢が困ったように、
「俺はこの間撮影した地下アイドル活動の自分のライブ映像をインターネットにアップロードするために、昨日はずっと部屋で編集していたよ」
鬼頭警部の瞳がギラリと光り、
「それは、一人で部屋にいたという事ですな」
虹矢が怯む。
「そ、そうだけど」
鬼頭警部がバッサリ、
「金剛寺虹矢にはアリバイはなしと」
言いながらメモを取る。
虹矢が悲鳴のような声をあげる。
「まるで容疑者扱いだよ!」
鬼頭警部が冷静に、
「いやいや、あくまで事情聴取なのだ。それじゃ、次は根区郎くんなのだ」
根区郎が躊躇せず、
「昨日は、次のネクロフィア写真集の、第二弾の写真をパソコンの画像処理ソフトを使って色々と加工してましたよ」
鬼頭警部が確認する。
「それはつまり、一人で作業していた、という事ですかな?」
根区郎が首肯し、
「まあ、そういう事になりますかね。フォトショップをずっと一人でいじってましたから」
鬼頭警部が納得したように、
「なるほど、根区郎くんもアリバイなしと」
三人がそんなやり取りをしている間に、我輩は後ろ手に縛られた少女の手が固く握られている事に気づく。
「フニャア?」
我輩はそのそばに駆け寄った。
炎華が、
「どうしたのユキニャン? 何かあったの?」
我輩が少女の手を凝視しているのに炎華が気づき、
「不自然に手を固く握っているわね」
炎華も少女の手を見る。そして、
「よく見ると、髪を数本握っているわ。腰まで届く長い髪だから、後ろ手に縛られていても掴めたんでしょうけど」
その時、突然、
「七美っ! 七美っ!」
三十代半ばの女性が泣きながら被害者にすがりつき嗚咽を漏らす。先ほどの鑑識が、
「被害者の母親です。根倉七子さんです」
と女性の身元を明かす。
鬼頭警部が女性から何か聞き出そうとするが、しばらくは事情聴取どころではなかった。ようやく落ち着きを取り戻したころに再び鬼頭警部が、
「被害者のお母さんですな、お子さんは残念な事になりましたが、事件解決のために警察に協力して欲しいのだ」
七子が憔悴しきった表情で弱々しくうなずく。
「犯人を、逮捕して、くださるのなら。わたくしの知っている事は、すべて話しますわ、警部さん」
鬼頭警部が、
「では、まず最初に娘の七美さんを、最後に見たのはいつごろですかな?」
七子が、
「昨日の午後四時ごろ、学校から帰ってきて、白いドレスを着て出かける時ですわ」
鬼頭警部がメモをとり、
「どこへ向かったかは分かりませんか?」
七子が言いよどむ。
「そ、それは」
炎華が、
「一番重要な事よ。包み隠さず話してちょうだい」
七子が不思議そうに炎華を見て、
「この、お嬢さんは?」
鬼頭警部が、
「気になさらずに。この子は雪獅子炎華くんといって、警察に協力している善良な一市民なのだ。過去に何度も難事件解決の糸口を提示してくれた、天才的推理力の持ち主なのだ」
七子が驚きを隠さず、
「こんな小さい、可愛らしいお嬢さんが」
と感心する。
鬼頭警部が続ける。
「奥さん。先ほどの質問の答えは?」
七子が観念したように、
「わたくしには、夫はおりません。実は、わたくしは金剛寺家の現当主、伯爵と呼ばれている男のめかけなのです。七美は伯爵との間に生まれた実の娘です。もちろん伯爵の子として認知されてはいません。あくまで私生児なのです」
七子が昔を思い出すように、
「七美が子供の頃は伯爵もよく七美に会いにきてくれました。時には、奥様がご不在を狙って、ご自宅まで七美を連れていってくれた事もございます。でも、七美が大きくなってくると、それも疎遠になって」
七子が悲しげに、
「七美自身も自分が伯爵の子として認められない事に憤りを感じていたようです。昨日になって突然、伯爵に会って本当の娘だと認めさせる。と、こう申して家を飛び出したんです」
鬼頭警部が唸りながら、
「では、金剛寺邸に向かわれた、と言われるのですな? だが、あの警戒厳重な屋敷に入れるものでしょうか?」
七子がその疑問に、
「執事の方は昔から七美の事を知っていて、とても七美を可愛がっておりました。ですから、七美が入りたいと言えば、たぶん、こっそり入れてくれたのではないでしょうか」
炎華が、
「昨日は伯爵の奥さんの誕生パーティーがあったから、執事は七美が単純にパーティー目当てで来た、と思ったかもしれないわね」
鬼頭警部が再び唸り、
「七美くんが金剛寺邸に入ったとなると、犯人は金剛寺家の者か、パーティーの関係者という事になるのだ」
炎華が、
「伯爵はパーティの手料理を作ったり、客の相手をしたりで、昨日の午後四時から十時まで屋敷を出ていないから、当然、山に被害者を捨てに行く事も出来ないわね」
鬼頭警部がうなずき、
「では、伯爵はシロなのだ」
炎華が七子に対しえ、
「それはともかく。ありがとう、七子。辛かった事を、すべてを包み隠さず話してくれて。でも、これで」
炎華の瞳が鋭く輝く。
「血に染まった犯人に結びつく、緋色の糸がすべて繋がったわね」
☆9☆
金剛寺邸の伯爵専用キッチンに、炎華、伯爵、鬼頭警部が入り、その他の人物は、虹矢や根区郎を含めて一切、締め出された。
伯爵が不審げに、
「何か、僕に聞きたい事でもあるのかね、炎華くん?」
炎華がキッパリした口調で、
「そうね。根倉七美、凍死事件の真犯人として、早めに自首する事をおすすめするわ、伯爵」
伯爵が仰天し、上擦った掠れた声で聞き返す。
「な、何が言いたいのかね? 僕には、さっぱり分からない事なのだがね」
炎華が炎のように瞳を輝かせ、
「しらばっくれるならそれでもいいわ、伯爵。それでは、私の推理を聞かせてあげるわね、伯爵」
伯爵が鬼頭警部をにらみ、
「警部! これはいったい、どういう事かね! 事と次第によっては、タダでは済まさんぞ!」
鬼頭警部が落ち着き払って、
「伯爵、抗議の声をあげるのは、炎華くんの推理を聞いてからでも、遅くはないのだ。とりあえず、炎華くんの推理を聞いてみるのだ」
炎華が推理を始める。
「根倉七美は、
昨日の午後四時、
学校から帰ったあと、金剛寺家の奥方の誕生パーティーに向かったわ。
そのさい、母親の七子に、自分を伯爵の実の娘だと認めさせる、と言ったそうよ。そうとは知らない執事は、七美がパーティーに出席したいのだろう、と単純に考え、こっそりと七美を屋敷に入れたのよ」
炎華が一息つき、続ける。
「翌日、つまり、
今日の午前十時に七美は山の中で、凍死した状態で発見されたわ。
死亡推定時刻は、
昨日の午後七時から十時の間よ。
山に捨てた時間はそれ以前、
午後四時から八時までの間と考えられるわ」
伯爵がホッとしたように、
「何の事かと思えば、その時間、この僕は、妻の誕生パーティーのために、ずっと手料理を作ったり、客の相手をしたりして、この屋敷から一歩も外に出ておらんよ。その事は、パーティーに出席した誰もが知っている事だ。証人として証言もしてくれるだろう。つまり、僕には完璧なアリバイがある、という事だ、そもそも、女の子を山に捨てに行く時間など、僕にはどこにもないのだ」
炎華が鋭く応える。
「ところが、そのアリバイは簡単に崩せるわ。
七美は伯爵に実の娘と認めるよう直談判に来た。だけど、伯爵はそれを認めなかった。そして、ついに強硬手段に出たのよ。七美の口をガムテープでふさぎ、手足を後ろ手に縛り、そして」
炎華の視線がキッチンにある大きな物に移る。
「この業務用の冷凍庫に七美を押し込んだのよ。その後、伯爵は冷凍庫内で凍死した七美を、パーティーが終わったあと、こっそり山に捨ててきたというわけよ。違うかしら? 伯爵?」
伯爵が震えあがり、
「しょ、証拠でもあるというのかね? その、くだらない推理とやらを裏づける、僕がやったという、た、確かな証拠が?」
炎華が伯爵を見据え、
「七美は手に自分の髪を握っていたわ。手足を後ろ手に縛られていても、腰まで届く長い髪ならそれが出来る。そんな事をしたのは何故かしら? それはね」
炎華が冷たく言い放つ。
「伯爵が冷凍庫に押し込もうとした時、とっさに、自分が閉じ込められた事を、外部の人間に知らせようとして、七美は自分の髪を抜いて落としたのよ」
炎華が冷凍庫の扉の下からはみ出ている髪を見つめ、
「今も、冷凍庫の扉から髪がはみ出ているわ。
最初に見た時は伯爵の髪かと思ったけど、よく見れば髪質が全然違うわ。間違いなく七美の髪よ。DNA鑑定をすればすぐに分かるはずよ。それに、これだけ機転のきく七美だから、冷凍庫の中に、自分の指紋を床や壁につけているかもしれないわね。
伯爵、冷凍庫の中をよく調べたかしら? そうでないなら、鑑識がそれを見つける事になるわ。それと」
炎華の研ぎ澄まされた刃物のような声が凜と響き渡る。
「この冷凍庫は、
誕生パーティーに合わせて、昨日、新設した上に、暗証番号を打たないと開閉出来ないのよ。つまり、伯爵以外に、七美を冷凍庫に閉じ込める者はいない、という事よ。説明してもらいましょうか? なぜ七美を冷凍庫に閉じ込めたのか?」
伯爵の瞳が怒りを帯びて見開き、
「あの娘が悪いのだっ! いきなりやって来て! 自分を実の子として認めなければ、妻に! 妻に愛人の隠し子だとばらす! などと言い出しおって! そんな事になったら、僕は破滅するっ! 今まで苦労して積み上げてきた、地位も、名誉も、財産も、全て失う事になるっ! 伯爵とまで呼ばれた! この上級市民の! この僕がっ!」
炎華が冷たく伯爵を見据え、
「それで、七美を殺したのね」
伯爵が突然、態度を豹変させ、
「違うっ! 殺すつもりはなかった! ほんの少しだけ、懲らしめるつもりだった。しつけだったんだっ! ただ、料理や客の相手をしているうちに時間がたつのを忘れ、気づい時には、もう」
炎華がつぶやく。
「凍死していたのね」
伯爵がわめく。
「あ、あれは事故なんだっ! 不幸な事故だっ! 僕は、七美を殺す気なんか、本当になかったんだっ!」
炎華が冷ややかに、
「この事件がおおやけになれば、隠し子がいた事も、愛人がいた事も、いずれ奥さんにバレるわ。そうなれば、どのみちあなたは破滅よ。残念だったわね、伯爵。それではまた、いつの日かお目にかかりましょう」
伯爵という台詞に皮肉の意味合いを込めて炎華が別れの挨拶をする。
「鬼頭警部、あとはよろしく頼むわ」
炎華に言われ鬼頭警部が、
「まかせるのだ、炎華くん。まずは鑑識を呼んで、冷凍庫の中を徹底的に調べさせるのだ」
☆10☆
炎華がキッチンを出て玄関へ向かうと執事が声をかけてきた。
「七美様が昨日、屋敷に来られ、それから、ずっとそのお姿をお見掛けしなかったので、恐らく、こんな事になっていたのではないかと薄々感ずいておりました。それと、先程のお話は、伯爵様のお声がキッチンから屋敷中に響いておりましたので、すべて筒抜けでございました。虹矢様と根区郎様のお二人は、前後策を講じるため、只今、居間にこもってご検討中でございます。思えば、昨日、このわたくしが七美様を屋敷に入れさえしなければ、このような悲劇は起きなかったかもしれません。それを思うと慚愧の念にたえません」
炎華が慰めるように、
「可哀想だけど、七美は、遅かれ早かれ、同じ運命をたどったと思うわ。だから、あなたが気に病む必要はないのよ」
執事が肩を落とし、
「そう言って頂けると、少しだけ、心が軽くなったような気がいたしま」
言いながら扉を開け炎華が外に出る。
☆11☆
炎華が、
「ユキニャン。あなたは小さなライオンね。結果的にあなたは、あなたの母親のかたきを討ったのよ。あなたの母親を殺したのは伯爵でしょうからね。恐らく、この近くで多発している猫の凍死事件と七美の殺人を結びつけようとしたのよ。つまり、猫の凍死事件の犯人が七美を殺した犯人だと思わせたかったんでしょうね。それにしても、ユキニャンが冷凍庫の扉から出ていた髪の毛を、私に気づかせてくれなかったら、この事件は迷宮入りしていたかもしれないわ。ありがとうね、ユキニャン。そこで、ユキニャンに一つ提案があるんだけど」
炎華が我輩を覗き込み、
「ユキニャンに私の相棒になってもらいたいのよ。どうかしら、ユキニャン?」
炎華が何故、探偵などをしているのか? その理由は我輩にはよく分からない。
ただ、炎華が事件と真摯に向き合い、一見、つまらない事実を氷のように冷静に判断、分析し、炎のような心で一つの真実にたどり着く、その情熱は、我輩にも深く伝わっている。
ゆえに我輩は、
「ウニャッ!(やるっ!)」
と、一声鳴いた。
炎華が、
「同意したみたいね。なら、あなたは今日から私の相棒よ。いつまでも一緒に事件を解決しましょうね、ユキニャン」
そう言って炎華が本来の子供らしい笑みを浮かべる。
☆12☆
我輩は飼い猫である。
名前は、
ユキニャン。
探偵であるゴスロリ少女、雪獅子炎華の相棒を務め、探偵の真似事をしている、
猫探偵である。
☆完☆