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ACジャパン風 蜘蛛の糸

作者: 苦労猫


   前略


  二


 こちらは地獄の底の血の池で、カンダタは ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていたでございます。

 何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。

 その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微すかな嘆息ばかりでございます。

 これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊のカンダタも、やはり血の池の血に咽むせびながら、まるで死にかかった蛙かわずのように、ただもがいてばかり居りました。

 ところがある時の事でございます。何気なにげなく彼が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。

 カンダタはこれを見ると、思わず手を拍うって喜びました。この糸に縋すがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

 ましてやその血の中に顔を突っ込んで、亡者どもの泣き叫ぶ声を聞きながら、一人淋しく泣く事はございますまい。

 彼は早速早速糸に手をかけようとしました。ところがその時ふと彼の脳裡に浮かんだ事がございます。


 ここをぬけ出せても、生き返ったところで現世も地獄、極楽へ入れたところで自分のような悪事を働いた大泥坊には地獄、と。

 そう思うとカンダタの心は急に萎しおれて参りました。そして手を掛けかけた糸をそのままにして、隣にいた少女に声をかけたのでございます。


 「お嬢さん私はどうやらここに居なくてはならないようだ。どうぞ先に行って下さいまし」


 こう云いながら彼は少女の顔を見つめました。 しかし少女の方でも何か不思議な力で彼を引き止めているのか、なかなかその場を離れようとしないのでございます。

 やがてカンダタはその顔を見て、ある事を思いだしました。 この娘は、そうだ私が殺してしまった、自分に飯を恵んでくれたあの娘ではないか。

 そう思うと同時に彼は再び頭を垂たれてしまいました。 何故なら罪の無いはずの娘さえ地獄に落とした自分が、どうしてこれから天国へ行けるだろうかと考えたからでございます。 

 そればかりかこんな自分を救ってくれた恩人を、あんな目にまで遭わせた自分の罪の深さを考えた時、極楽行こうなどとは夢にも思われなかったのです。

 それにしても少女は彼の言葉を聞いて、少し悲しげな様子をしておりましたが、やがて何か思いきったように云いました。


 「私も登る訳にはいきませんわ。 私は業病を広め、たくさんの命を殺めた人間ですから。 ここに居なくてはなりません。登るべき人間は他にいる筈ですわ」


 そして目の前の糸をそのままにして、隣にいた老人に声をかけたのでございます。


 「私も登る訳にはいきませんわ。どうぞ先に行って下さいまし」


 こう云いながら少女は老人の顔を見つめました。


 しかし老人もまた彼女の言葉を聞くと、不思議そうな顔をして首を横にふりました。


 「わしもここに居なければならぬようじゃ。お前さんが地獄へ行くと云うなら、わしだって同じ穴のむじなよ。わしの家は代々坊主の家系で、先祖様から、お経を習い習ってきた家じゃ。ただお経を唱えただけで、貧乏人から大金をせしめてきた。

そんなわしが今更地獄へ落ちずにすむものか」 


 そして目の前の糸をそのままにして、老人は隣にいた老婆に声をかけたのでございます。


 「わしもここに居なければならぬようじゃ。どうぞ先に行ってくれい」


 しかし老婆もまた彼女の言葉を聞くと、不思議そうな顔をして首を横にふりました。


 「自分もここに居なければならぬようじゃ。お前さんが地獄へ行くと云うなら、自分だって同じ穴のむじなよ。 私の家は代々漁師の家系で、先祖様から、魚を捕ってきた家じゃ。 

 ヘビの干物を魚の乾物と偽り、貧乏人から大金をせしめてきた。

 そんな自分が今更地獄へ落ちずにすむものか」 


 そして目の前の糸をそのままにして、老婆は隣にいた幼女に声をかけたのでございます。


 ーーお互いに、周りに気遣って、蜘蛛の糸をゆずり合う地獄の亡者たち。

 お互いを気遣いあううちに、いつの間にか銀色の蜘蛛の糸は、細いものではなくて、まるで銀箔を張ったような立派な糸に変わっていました。


 それをよく見ますとその糸は、天上の世界の金よりも美しい、黄金色の糸なのでございました。

 その光り輝く糸は、天をおおいつくすほどふとく、まるで生きているかのように、彼らの上へ降りかかって来たのです。するとたちまちのうちに、今まで彼らを苦しめていた、血の池の暗い影は消えてなくなり、彼らはまっ白な光りに包まれました。


 後には、カンダタたちの亡者はそのままに、地獄には血の池や針の山はなく、亡者たちの目には血の池や針の山に見えていた、透明な湯の池や青々とした山が広がっているばかりでございます。

 

 御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタが少女と湯の池の底へ石のように沈んでしまいますと、嬉しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。

 蜘蛛の糸を他人にゆずるカンダタの慈悲深い心が、そうしてその心相当な褒美をうけて、地獄を極楽へ変えてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、嬉しく思召されたのでございましょう。

 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間たえまなくあたりへ溢て居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。




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