07:誘引
眼を伏せた彼女は、そのまま動作を止めた。俺は――理由はわからないけれど、ただ思うままに行動していた。数歩、彼女に近づいて――そっと、抱き寄せていた。
何故、と問われると答えられない。ただ、そうしたかったから。彼女は俺の腕の中で、眼を伏せたままでいた。――振り解きも、せずに。
遠くから、聞き慣れた声が微かに聞こえてくる。俺を現実に引き戻す声。まだ痺れたような感覚が残る腕を無理矢理彼女から引き剥がすと、俺は彼女に言った。
「明日、またここに居る」
喉の奥が掠れたように、うまく声が出なかったけれど確実に伝わったはずだった。でも、彼女はずっと眼を伏せたままでいた。さっきからずっと。俺のその言葉にも何も答えず、頷きさえもしなかった。顔を上げさえも。
現実はどんどん近づいて来、俺は彼女をそのままにしておくことに酷く後ろ髪を引かれながらも彼女を背にして早足で歩く。落ちた缶ビールを過ぎて広間を抜けて通りに出ると、案の定声の主がすぐ傍に来ていた。
「先輩〜! どこまで買物に行ってるんですか〜、迷子になったかと思った〜」
多少ふらつきつつ、保科は俺を見てほっとした表情をする。ほっとしたのは俺がいたからであって……多分その辺の酔っ払いにでも声をかけられたか何かしたのだろう、小走りに駆け寄ってくると一度だけ後ろを不安そうな眼で振り返った。
「お前、飲み過ぎだぞ。フラついてる」
ゆらりと保科の体が揺れるのを、俺は腕を掴んで留まらせる。その反動のせいか、保科の体がぐらりと俺の胸の中に倒れこんだ。
偶然とはいえ抱きとめるような格好になって、俺はどきりとする。――彼女を、思い出したからだ。さっきまで抱き寄せていた不思議な感覚が一瞬蘇り、俺は気が遠くなるような眩暈を覚える。