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闇夜の桜  作者: 香住
31/35

31:苦渋

 彼女、だった。ただそれだけが嬉しくて、ごくりと喉が鳴ったのを俺は必死に押さえ込む。


「――桜」

「え」

 眼を逸らしたのは、気付かれたくなかったから。声は掠れなかっただろうか。彼女の声は細くて、小さい。


「もう、散っちゃうな」

「―――うん」


 俺は彼女の様子が気になっていた。どことなく、儚げに見える。まるで泣き出しそうになるのを我慢しているように。

 ゆっくりと視線をおろして、見上げている横顔を見つめる。


「苦しく、ない?」


 思いのほか自分の声が柔らかく聞こえた。保科を気にするのとは全然違うこんな気持ち。昨日あの人に聞かれたときはつい『好きだ』って言っちゃったけど……それはやっぱりそう、なんだろう。


「苦しく――?」

「そう。いつも、苦しそうだったから」


 彼女が答える。泣きそうな表情。俺はそれが――彼女が哀しそうなのがやけに苦しくて、それだけ言うと桜の木から、離れる。

 大股に彼女に歩み寄ると何も聞かず、ただいきなり彼女を抱きしめた。


「泣くな」


 それだけしか、俺には言えない。泣かないで欲しい。彼女には泣いて欲しくない。俺が何か出来るのなら――彼女が泣かないように何か出来るのならいいのに、と、切に、思う。


 彼女は俺の腕の中で微動だにしない。拒まれないのをいいことに、俺は腕に力を込めた。……そっちは、半分以上欲情かもしれなかった。彼女の短い髪が頬をくすぐる。

 ああ、そういえば――と、俺は思い出していた。前回ここで会ったときはいきなりキスして、そして彼女が逃げたんだった。そうだ、俺、そのことすら謝らないでこんなこと。

 僅かに逡巡する。それとほぼ同時に、彼女が俺の腕の中で微かに声を上げた。



「――待っ……て」


 掠れたような声は酷く怯えているように聞こえて、俺はびくりと腕を振るわせる。

 そうだ、当たり前だ。きちんと謝りもせずにただ俺は、自分の欲情ばかりを彼女に押し付けている――胸に覚えた後悔の念が顔に出ないように出来る限り努力して、俺は彼女を解放した。掠れてしまいそうになる声を意識的に張って、それでも少し、震える。


「……ごめん」

「―――違う」


 彼女が首を振って、何かを否定した。それが何なのか――俺に下される言葉が何なのか、次の声が待ち遠しい。


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