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講義が終った後、まだがやつく教室を俺はすり抜ける。そのまま駆け過ぎようとしていた先にちらりと見覚えのある姿を見つけてブレーキをかける。
相手は中庭の向こうで俺を見つけて、そしてかすかに頭を下げた。短くなった髪が風に少しだけ煽られる。
「今日は来ないんですか?」
にこり、笑う。自然な口許。眼は赤くない。新しい髪型は保科の快活さによく似合っている。口紅の色が違った。わずかにピンクが強い。
「あー……うん、ちょっと野暮用でな」
笑い返せただろうか、俺は、いつも通りに。まるできちんと書かれたシナリオをなぞっているような会話が続く。
「えー、たまには顔出してくださいよー」
「しばらくズル休みしてた奴の科白か?」
「あ、いったいなあ、それ」
くすくす笑いが広がる。そして保科がほっと息をつくのがわかる。俺と保科の視線が合う。
「ありがとう、ございます」
一瞬だけ真顔になって、もう一度、今度は深く頭を下げた。本当に言いたいことが俺にはそれで伝わった。もしかしたら保科は、そんな深く考えていなかったのかもしれないけれど。
「余裕が出来たら、顔、出すから」
「ええ。楽しみにしてます」
ひらひらと小さく手を振って、保科はくるりと俺に背を向けて、歩き出す。その後姿を少し眩しく見送って、そしてあの公園へと急いだ。
傾きかけた陽がオレンジ色を強く放出する。それに照らされた空が僅かに染まりながらも、天頂から降り注ぐ藍色がだんだんと沈み込んでいく。
明日会える、と言ったあの人。確信を持ったその言い方を俺は頭から信用していた。何故か、の理由はわからないけれど、でも、あの人が彼女を良く知っているのなら、きっと。
俺はさすがにそこまではまだわからない。それでもただわかるのは、彼女に会えるのはここなんだ、と言うこと――それだけだった。