19:衝動
どのくらい―――経っただろう。
俺は彼女を抱きしめたまま、時々零れる桃色の涙の中に居た。さあっと風に揺らいで、俺と彼女の周囲をふわふわと舞っていく。
ふと、彼女がぐいと俺の胸を押す。顔は上げないまま、ちいさく「ありがと」と囁く。そしてそのまま――くるりと背中を向ける。
「ちょ……!」
慌てて手を伸ばすと、ギリギリ彼女の手首を捕まえた。しかし顔は背けたままだ。
「……どした?」
「なんでもないの」
小声だったけれど早口に彼女は俺の質問を打ち切る。
「……なんでもなくない、よな?」
「…………」
「どうした?」
ふるふる、と頭を振るだけでその表情が見えない。わからない。
掴んだ手首に力を込めて引き寄せると抵抗はするものの、ずるずると引き摺られてくる。もう片方の手も掴むけれど、彼女は頑なに顔を伏せている。
それ以上何か言える筈もなく、俺は彼女の名前を呼ぼうとして気付いた。名前すら知らない。こんな時、なんて声をかけていいのか。なんて呼べばいいんだろう。
「顔、上げろ、よ」
動かない。
「顔、見せて」
そこで微かに頭が左右に揺れ、頬の一部がちらりと見えた。
――泣いている。
それを見た瞬間、今までになく心臓が跳ねた。どきりとして緊張してそれから――片手を放すと彼女の顎に手をかけて強引に顔を上げさせる。涙に濡れているのを再確認した後、俺はそのまま強引にキスをした。
一瞬の間の後彼女は嫌がるように頭を引くけれど、俺は構わずそのまま抱きしめて、唇を放さなかった。肩から力が抜けたのを感じ、それに伴って俺が腕の力を緩めたところへ、彼女が力いっぱい俺を振り切った。
泣いていた。彼女は数歩後ずさりしてなにか言おうと口を開きかけ……そのまま踵を返していく。追うことも、声をかけることも出来ずに俺は彼女を抱きしめたかたちのままの腕を見下ろす。
俺――彼女が好きだ。守ってやりたい。泣かせたくない。彼女に、触れたい。抱きしめてキスをしてそれからもっと―――――
自分の感情の振幅にそこで初めて気付き、ぎゅっと拳を握り締めることでどうにかその衝動を押さえ込もうとする。
桜の涙の向こうには、もう彼女の後姿さえも見えなかった。