17:崩壊
彼女から眼を逸らさずにたっぷり数十秒。先に口を開いたのは彼女だった。
「……理由、要るかな」
淋しげなその響きに、俺はすぐに反応できなかった。
「ううん。言わなきゃ、いけないかな。言葉にしたら――」
切ない声が続いた。彼女は微かに頭を左右に振って眼を伏せる。
言わなくていい。君はもう何も言わなくていい。そう、言ってしまいそうだった。俺は彼女にそれ以上、そんな切ない顔を、痛々しい涙を覚えさせたくなかった。喉に込み上げるそんな思いが堰を切りそうになる一瞬前、彼女がくっと視線を上げた。
真っ直ぐな視線。切なさも淋しさも振り切ったような、俺がいつもこの桃色の天井の下で見ていた彼女の顔。
「何か――崩れてしまいそうな気がする」
心臓を鷲掴みにされたような気がした。その動揺を表に出さないようにするのが精一杯だった。ただそれ以上黙っていられなくて、ゆっくりと唇を開く。
「崩したく……ないのか?」
もしかしたらそれは、崩しかけた一角なのかもしれない。そこに踏み込むことが良かったのかどうかわからない。けれど一歩、踏み込んでしまったことは確かだった。
彼女はふっと息をついて肩を落とす。それがどこか一線を引かれたような淋しさを感じさせる。
「崩したく……ないのかも」
「怖いのか?」
彼女の言葉に被せるように聞き返したのは、そんな不安の所為だろう。言ってしまってから少し、その詰問口調を後悔した。
違う。怖いのは俺だった。その不安を彼女にぶつけている。それを謝ろうかと口を開こうとして、気付いた。彼女の表情が涙の一歩手前にいるような、そんな哀しげな光を宿していたことを。
「あなたは……怖くない?」
質問に質問で返す彼女の痛ましげなその視線に、俺は酷く自己嫌悪を感じる。怖くないわけがない。怖いからそんな質問をぶつけてしまうんだ。
「俺も、怖いよ。怖い。だけど」
つい、感情的に言葉が溢れた。理性のブレーキはもう、効かなかった。彼女はゆっくりと俺を見返してくる。涙がまだ乾いていない瞳。
「だけど俺はあんたに、泣いてほしくない、から」
そしてまた何処かの一角を大きく崩してしまったのだろう。けれど後悔は、しなかった。