16:理由
声をかけるタイミングを完全に逸して、俺はそのまま彼女を見ていた。
「……ごめん、ね」
唐突に、彼女がそう呟くのが聞こえた。あのピンクの天井に憶えた息苦しさを申し訳ないと謝るのなら――俺もそれは同罪だろう。少なくとも彼女と同じように、どこか後ろめたかった。
彼女がゆっくりと手を伸ばす動作を見せ、その両手に花びらを受けるように上に向ける。いくつかの桜の涙が風に乗って彼女のてのひらに納まったのが見える。
そっとてのひらを閉じ、大事なものを包み込むようにそこへ視線を落としている彼女の瞳からまた、ぽつりと涙が落ちた。
「なんで、泣いてる?」
喉からこみ上げるようにその言葉は漏れた。いきなりかけた声に彼女は驚いた様子もなく……まさか、気付いていたのか? 俺のことを。
ゆっくりと俺を見て、そして笑った。
笑った、と思う、たぶん。本当に微かだったけれど、彼女の唇が笑みのかたちに動くのを俺は見た気がした。そしててのひらは大事そうに、彼女の胸に押し当てられていて。
「涙、みたいだよね」
彼女は笑んだままでそう言った。桃色の天井を見上げると、本当にそれが彼女の零した涙のように思えて俺は一瞬、眼を細める。
「そうだな。泣いてるみたいだ」
ピンク色の天井に彼女を重ね合わせ、俺は妙に優しい気分になっているのに気付いていた。それは桜の花のせいじゃないことも。彼女を、いとおしく思っているんだということも。
理屈じゃなかった。ただ彼女の傍にいたいと思うことに、他に何が必要なのだろう?
何故か、困ったように眼を伏せた彼女に視線を戻す。恋愛感情と名前を付けるのさえもはばかられるような淡い淡い、柔らかい思い。
物思いに耽るように眼を伏せている彼女を見つめて、そこへまだ零れ落ちるピンク色の涙さえをもいとおしく感じながら、そっと、言った。
「あんたも、泣いてる。桜と同じように……泣いてる」
彼女に笑って欲しかった。哀しげに桜を見上げるのではなくて。もし俺に何が出来ることがあるのならば。彼女のために出来ることがあるのならば。
「なんで? なんで、泣く?」
彼女の視線が俺を捉える。まだ涙を湛えて揺れる瞳に、桃色が映る。胸に押し当てられた手がゆっくりと解け、まるで心の涙のように花びらがはらりと舞った。