12:彼女
「どうかしたんですか? 先輩」
午後の休講枠を学食でぼんやり過ごしていた俺の視界に突如、保科の顔が結構な至近距離に現れた。
「なっ、なんだよ、驚かせんな」
くすりと微笑むと、保科は向かいの椅子に腰掛けながら再度同じことを訊ねた。
「目、どうしたんですか? すっごいクマ。人相悪いヒトみたい」
保科の指がスイっと俺の顔に近づく。一瞬どきりとして、身を引いた。
「眠れなかったんですか?」
「ン……ああ、まあな」
「へーえ、先輩でもそんなとき、あるんだ」
「うるさい」
保科は肩を竦めてひとしきり笑うと、ちらっと俺を横目で見る。
「もしかして、カノジョと喧嘩、とか?」
保科の使った『カノジョ』の意味は恐らく違うのだろうけれど。俺が彼女を呼ぶときの代名詞と同じ言葉を聞いて、一瞬、詰まった。
その間を見逃さず、保科が被せるように言う。
「あ、図星でした? へぇ〜、そうなんだ……」
きゃはは、と高い声で笑いながら保科がふっと表情を曇らせたのに――俺は気づかない振りをした。そして何にもなかったように話を続ける。
「馬鹿、そんなんじゃねえよ。ってか、喧嘩する相手がいないからな」
「え〜? なんだか嘘っぽいな〜」
顎に左手を添えるその仕草を俺は何の気なしに見ていて……そして妙に保科の唇に目を奪われる。
どういうつもりだったんだろう、いきなり……あんな。
咄嗟のことに俺が反応に迷っていると、彼女はゆっくり身体を離して、それから俺なんかそこに存在しない人間のようにくるりと背を向けて行ってしまった。雨は霧雨に近く彼女の髪を濡らしていた。
からかわれたのか? どう反応すればよかったんだろう。抱きしめても、良かったんだろうか。
「先輩? 今日はサークル、来ます?」
「え……うん、ああ、多分」
「じゃ、あとで!」
妙に上機嫌に笑いながら、保科が席を立ってバイバイと手を振るのに片手を挙げて応えつつ、俺の思考はまたあの雨の中に戻る。