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オレンジ色のサンダル

作者: J.E. Moyer

レニーの90才の誕生日に、エンジニアの息子がパーティーを催してくれた。初夏の晴れた日でまだ湿気も低く心地良く感じる日だ。

レニーは50年前に自分の手で建てた小さな家に住んでいる。妻のサリーが亡くなって以来自活をしているが、レニーは器用なので料理も上手く、家の中もきちんと整頓されていた。独りの生活が彼の職業であるかの様に、何時も整理整頓の毎日が続いていたが、それが普通と思えて寂しさも感じる事は無かったし、時々は息子や孫が顔を出してくれる。


最近は車椅子に頼る回数が増えはじめ、トイレにも車椅子と同じ高さの装置を取り付けた。

彼には息子が二人いる。一人は牧師で、ニューハンプシャー州に住んでいる。エンジニアの息子は近くの町に住んでいて子供が一人いるが、子供はもう40男なのに酒ばっかり飲んで、何の仕事をしているのか知らなかった。だが、孫なので可愛い。


パーティーは家族だけの小さな集いだが、その中にオレンジ色のサンダルを履いた若い女性がいる。彼女が長い髪をなびかせて歩く姿が妙に気になるのだ。サンダルを履いた足の爪が空色に塗られていて、真夏の太陽と澄んだ空を思わせて、レニーは彼女のサンダルから目が離せなくなっていた。彼女はレニーの家の中に興味があるのか、本棚や整頓の行き届いた机の辺りをうろうろとしている。


「こんなに綺麗にしてある家に入るのは久しぶりよ」とレニーの方に振り向いたオレンジ色のサンダルの彼女と目が合った。

「本も沢山あるのね。私もいつかは作家になりたいと思っているのよ」と続けたので

「僕も本は2〜3冊書いた日もあったよ。若い時にね」と返事をした。

「ほら、その本棚の一番右の本を取ってごらん」と言いながらレニーは車椅子を彼女の方向に進めていった。

「これなの? レナード•ハリス って貴方なの?」

「そうだよ。知り合いはレニーって呼ぶけどね」

「貴方はレニーって顔はしてないわよ!」と言って笑った顔にレニーは恋をしていたのだ。

「えっ? じゃどんな顔してるのかな?」

「そうね、貴方はレンよ。レンと呼んでもいい?」

「レンか... 僕も好きだね!」

「レン、初めまして。私はサンドラよ」と差し出す手にも空色のマニキュアがぬってある。

「こちらこそ、初めましてサンドラ。君に似合った名前だし、オレンジ色のサンダルも凄く似合ってるよ」と言いながら握手をした。


「この本は、町の歴史の本の様だけど...」と本の目次を目で追いながら尋ねるサンドラに

「僕の生まれ育った町の話でね、町の歴史会員だった頃に書いたんだよ。もうずっと昔の話さ。ほら、僕の若い頃の写真がこれだよ」

「へえ〜! 随分ハンサムだったのね」

「持って帰るかい?」

「そうね、面白そうだし、頂いてもいいの?」

「もちろんさ!」

「サインをしてくれるでしょ? 住所も書いといてね。感想を送るわよ」


90歳になってレンに変名したレニーは、何故か心が浮き浮きする自分の顔を鏡越しに見て、「サンドラ」と声を出して彼女の名を呼んでみた。誰も居ない家の中で人に聞こえないように小声で呟いた事が可笑しく思い、今度は大きな声で「サンドラ!」と呼んでみた。彼女にハンサムだったと言われた面影が残っているだろうかと、今日は何時もより長く鏡に向かっていた。


人に会わない日でもレンは毎日髭を剃り、髪もとく習慣がある。そしてバスルーム用の小さなタオルで洗面台の周りを拭き、トイレの掃除も3日に一度はする。最近はシャワーを浴びなくなり、バスタブを使って入浴するので、シャーワーカーテンも使わなくなった。白色のくたびれたカーテンを見ていると、サンドラの為に明るいバスルームにしておこうと思い、木綿の水色と白のチェッカーのに取り替えた。今は何もかも、サンドラの好みそうな物を選びたくなるのだった。


次はトイレの高さが気になっていた。車椅子用のトイレの装置を外すには、車椅子から解放されないと駄目だ。それには歩く運動が良いと思い、毎日裏庭や表の通りを歩行器を使って歩くようになった。そして、2.5キロのダンベルを二つ買った。朝の散歩のあとは、鏡の前でダンベルを使った運動を始めたが、最初は車椅子に座ったままで数回の腕運動をやるのが精一杯だった。


レンのパーティーから数日後にサンドラからのカードが届いた。ピンクの小さな封筒に入ったカードには 『本の写真は全部見たわよ。面白そうな場面の話も読んだけど、作者から色々とお話を聞いてみたいと思うくらい面白いね。貴方のお母さんとインデアンの女性の生活が特に興味あるわね。私の働いているレストランはパイが美味しいのよ。今度ご馳走するからお話を聞かせてよ』と書いてあった。


サンドラはウエイトレスなのかもしれないなあ... 何処のレストランだろう?彼女はウェディングリングをしていなかったから独身だろうか?それともたまたまあの日にリングを付け忘れたと言う事もある。次に出会った時にそれとなく尋ねる事にした。何よりも早速返事を出すことにした。


サンドラに手紙を出してから数日後に、ニューハンプシャーの息子から電話があり、来週にでも車で迎えに来ると言ってきた。

レンは毎年夏になるとニューハンプシャーの息子の家に二ヶ月間滞在するのだが、今年は少し早く電話があったので、どうしたのかと思うと、息子の妻が膝の手術をするので、それまでに来てほしいそうだ。そう言われるとイヤとも言えずに同意する事になってしまった。旅の用意をしながらレンはサンドラにニューハンプシャーの住所を書いた手紙を出した。


ニューハンプシャーの家はレンとサリーが息子たちを育てた、代々引き継がれた家だった。レンの家族は町のパイオニアで、父親も歴史員長をしていた事があった。

レンの部屋は家の奥にあり、小川と裏庭に面している。散歩道も近いので、毎日歩くことに決めたのは一日も早く車椅子から解放されるためだった。この部屋は昔、レンが息子達と改造した客室だったが、レンとサリーが退職後に息子家族に家を譲ってからは、この部屋がレンとサリーの夏のリトリート用に使われていた。

レンは音楽が好きで、レコードのコレクションも多かったが、妻のサリーと知り合った夜のダンスパーティーで踊ったテネシーワルツが特に好きだった。サリーが数年前に他界して以来は音楽もご無沙汰になっていたが、夏の涼しい夜にはテネシーワルツが聴きたくなった。


目を閉じると、サリーと踊ったあのガゼボの薄灯りの中で踊っている若い姿の自分とサンドラが浮き上がってきた。サンドラを思うレンは自分の年老いた身体が別世界の物体のように感じ、空想の若きレンの世界と現実の世界を行ったり来たりする事に心地よい刺激を覚えていた。

ふと足元を見て、自分の履いている黒い重たそうな革靴に気づいたレンは、白い軽そうなランニングシューズが欲しいと思った。サンドラに会う時は、その白いシューズを履き、車椅子に頼らずに歩くのが目的なのだ。『そうだ、週末に靴屋に連れて行ってもらって靴を探そう。』


レンは杖に頼った毎朝の散歩の後には、バーベルで軽い腕の運動も忘れずに続けていたので、少しずつは車椅子を使う回数が減っていったが、夜は足が冷たく感じる。これは歳をとるほどに感じるのかもしれない。ベッドで靴下を履いていても足が冷たく感じることがある。そんな時にはサンドラの足の温もりで眠ってみたいと思った。彼女の空色に塗られた足の爪が妙に思い出されて、自分の足にサンドラの足が絡み合っているような錯覚に陥るのだった。

若くエネルギーに満ちたレンの体がサンドラの長いブルーネットの髪に触れ、空色のマニキュアの指に自分の指を絡ませてベッドの中で抱きあう、そんな妄想に陥る夜もあった。


ある朝、小鳥のさえずりに目を覚ましたレンは、青空を見上げながら、おやっと思った。ベッドの中で、長い間動いたことの無い物が動いたのだ。少しだけだが、今までは尿を足す時のホースの役目に格下げされていた物に生気がもどったのだ。

若い頃のこんな朝は、サリーとラブメイキングを楽しんだ思い出もあるが、この歳では流石に死を覚悟だろうなぁ、と笑っては見たものの、死がサンドラとの一夜の代金だとしても、悔いは無いと思った。


サンドラとは文通が続いていた。手紙の中ではレンの彼女への想いを伝える勇気は無かったが、彼女の私生活を知ることが何よりも嬉しかった。彼女はレンと知り合った数週間前にウェイトレスとして新しいレストランで仕事を始めていた。新しく改造されたレストランは客も多く、チップも良いので気に入っている様だった。その上、今はボーイフレンドがいないようだ。


秋になると、サンドラがレストランでパイをご馳走してくれるそうなので、秋が待ち遠しい。その上、レンはサンドラを夕食に招く計画を立てているのだ。


2ヶ月が過ぎたある日レンは散歩道でジョージと名乗る93歳の男に出会った。ジョージは毎日5キロの散歩の後でスポーツクラブで筋トレをやっていると言う。この男はどう見ても80歳前後にしか見えないし、バーに行くと若い女性がウインクをして来ると言うのだ。

「バーに行くのか?」と尋ねると

「若い女の子に出会うにはバツグンの場だと思わないか?」と言うので、それもそうだと思った。サンドラも週末にはバーに行ってビリヤードをすると言っていたが、レンはビリヤードの経験は無い。スローダンスは好きだが、これもサリーと昔に踊っただけで、今はリズムが彼の足に残っているかどうかは怪しいものだ。


レンは毎朝1キロの散歩の後、7.5キロのバーベルを持ち上げる運動を一日置きにしていた。そして腹筋も毎朝していたので、車椅子からは解放されていた。この成果には自分でも驚いていたが、息子も目を丸めて感心していた。


8月も中旬になると、レンはそろそろ家に帰りたいと思い始めていたが、息子の妻の手術後の膝の調子が思わしくなくないので、9月までニューハンプシャーに居てはどうかと息子に言われている。

無理に帰りたいとダダをこねる事も出来ないが、レンの心は既にサンドラの待つ町にあった。サンドラからの手紙には年の差を超えた親近感があるのだ。レンはこれまでに一人の女性と心を開いた手紙のやり取りをした覚えが無かったので、全く知らない世界にはまり込んで行く心を止められなくなっていた。


酒飲みの孫が最近仕事をなくして暇にしている、とエンジニアの息子から聞いたレンは、その孫に車で迎えに来て貰えないだろうか、と息子から尋ねて貰う事にした。


三日後に孫と彼のガールフレンドが車で迎えに来てくれた。随分大きな車に乗っているので、レンはバックシートで一人座ることになり、横には白い靴を入れた箱と小さいスーツケースを置いていた。前方のシートは長いベンチ席になっていて、孫と彼女はひっつく様に座って、時々酒を飲んでいる様だった。

最初は笑い転げていた二人だが、つまらない事で喧嘩になった。怒鳴り合いがエスカレートして、叩き合いになり、車が中央線から反対側のレーンにふらつき、前から来たトラックを避けるために Uターンをする様な格好で溝にはまって行った。


レンは頭を強く打ったのか、孫が 「グランパ!」と体を揺すっている。気がつくとレンは白い靴を履き、車の外に立ったままでそのシーンを見ていた。


「あれっ? 僕は死んだのか?」「もうサンドラに会えないのか?」と思った瞬間に、レンはサンドラの働いているレストランの席に座り、コーヒーカップを手に持っていた。


「サンドラ!」と声を掛けると、彼女はこちらを向いたが、レンの姿が見えないようだ。気が付くと、若い男がテーブルの向かい合った席に座っている。

「彼女は貴方が見えませんよ。」と言った男の真っ白い翼が彼の背中と席の背もたれの間でガサガサと音を立てている。


「君は天使か? 僕は死んだのか?」と言い終わらないうちに、レンと男はレストランの上空に居た。 こうしてレンはこの世を去って行った。


「グランパの顔は綺麗な笑顔だったから眠っているのかと思ったんだ。でも死んでたよ。」



ー終ー



【オレンジ色のサンダル】は、1990年代の実話に基づいた短編小説です。人物名は全て匿名を使いました。

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