07:刻を統べる者
単純におのれの能力を向上させたり、あるいは、魔力を増大させたり、不可思議な現象を起こさせるスキルは聞いたことがあったが、刻を操るという能力は想像すらしなかった。
だが、現に、ひと打ちで圧倒的に強大だったヘルマンの右腕を落としたクロノスに恐れをなして、残った男たちは退却を始めていた。
ヘルマンのスキルである剛力は本物だ。現に、クロノスの目の前にある大穴は巨大であり、衝撃と破壊力で廃教会は傾きかけていた。
あと数度ヘルマンが剛力を用いた攻撃を行えば、建屋自体が崩落してもおかしくない。
だが、現実はどうだ。ヘルマンは血の海に悶えながらついに背を見せて逃げ出している。
――このスキルは神が憐れんでクロノスのために授けてくださったのか。
時間を止める。
ほとんど本能的にクロノスはこの時点で神をも凌駕する位置に立ったと確信していた。
あらゆる時間を凍結させることができるのならば、あれほど自分を蔑んでいたパーティーの仲間たちももはや恐れることは微塵もない。
それどころかクロノスは彼らに憐れみすら覚えていた。
復讎は容易に成功するだろう。
「ヘルマン。帰ってレオンに復命しろ。このクロノスが必ず借りを返しにゆくとな」
背を打って斬り殺すのは足下の蟻を捻り潰すほど容易であったが、敢えてそれをしなかった。
今夜、ヘルマンはレオンたちにクロノスの開眼した奇妙なスキルに関して憤り、訝しみ、やがて一片の懼れを抱くであろう。
「話を聞いてもらえるか」
クロノスは荒らされ切った廃教会でソフィアに手当てを受けながら口辺に苦みを残しながら告げた。
「聞いてもらえるかじゃないでしょ。ソフィアさまをこんなことに巻き込んで。あなたには説明する義務ってものがありますからね」
ピーチスライムのトルテがぽよんぽよんと跳ねながら抗議する。クロノスは視線を下げてうつむいた。
「トルテ」
「……はぁい」
ソフィアが静かに嗜めるとトルテは長机の上で静かになる。
クロノスは立ったまま簡潔に自分の生い立ちと今までの状況を説明した。
冒険者であったクロノスがパーティーから追放を受けダンジョンに置き去りにされたことから、今までの経緯を――。
さすがのクロノスも幼馴染みであり恋人のコンスタンツの背信に話が及ぶと表情を曇らせたが、迷惑をかけたソフィアに黙っていることもできなかった。
クロノス――。
闇の中だというのにクロノスは故郷の村で明るく笑いかけるコンスタンツのまぶしい笑顔が思い浮かんだ。
知らず、うつむいていたのだが、しゃくりあげる泣き声に気づき顔を上げた。
「ううっ。そだったの。クロノス、つらかったわねぇ。ひどいよ、ひどいよ、そんなの……」
見れば、トルテが身体を変形させながら泣いていた。
いや、スライムなので涙こそは流さないが、全身をぷるぷる震わせて全力で同情してくれているのだ。
なんだかくすぐったくなってクロノスは自分の右耳を無意識のうちに掻いた。
「いや、コンスタンツが俺を見限ったのは仕方ない。女なら、頼りがいのある男についてゆく。俺にはコンスタンツを惹きつけておくほど力がなかっただけだから」
「それで、本当によろしいのですか」
「え?」
冷え切ったソフィアの声に背筋が震え顔を見た。
そこには先ほどまでクロノスに向けていた慈愛に満ちた表情はなく、ソフィアは憎しみと怒りに満ちた白い顔で眉間を恐ろしいほどまでに歪めていた。
普通の人間よりも容貌の整った美女が感情を露にすると、ここまで見る者に恐怖感を与えるものなのか――。
ソフィアは我がことのように激しく憤りを見せて、薄い唇をブルブル震わせて苦り切っていた。
「クロノスさまはなにひとつ過誤を冒していません。一万歩譲ってパーティーの離脱を進めるにしても、ダンジョンの最下層でそれを告げるだなんて、他人であるわたしが言うべきことでもなければ、本来甚だ筋違いでしょうが、その者たちは万死に値します」
「お、おう」
気圧されながらクロノスは初めて目の前の少女を畏れ、数歩後退した。
「無論、俺もここまでされて黙っているほどお人好しでもない。必ずレオンをはじめとしたやつらにはやり返してやる」
「復讎ですね。及ばずながら、わたしが全力で手伝わせていただきます」
「で、でも関係ないシスターを巻き込むわけには……」
「あの、ヘルマンとかいう男はわたしを見知っています。こちらが動かなくとも必ず報復に来るでしょう。それともなんですか。クロノスさまはか弱いわたしをお見捨てになるというのでしょうか?」
「そ、そんなことはないが。ま、君が力になってくれるというのなら助かるよ。ヒーラーは昨今特に少ないんだ」
「戦闘の治療ならば任せてください。それよりもどのように彼らを覆滅させるか策を練りましょう」
「う、うん」
(なんか俺よりずっと乗り気だなあ)
「……ひとつ確認してもよろしいですかクロノスさま」
「うん、なんだい?」
「先ほどの戦闘中、あの大男がスキルを使用して放った一撃をどうやってかいくぐって反撃したのかが、わたし、どうしてもわからなくて」
「ああ、あれか。なんというか、説明がしにくいんだけど。あれが俺の本当のスキルだったみたいなんだ」
「お話を聞いた限りではクロノスさまのスキルは時計がなくとも時間を正確に言い当てることができるものだとおっしゃられていましたいよね?」
「違う。言葉にすると陳腐なんだが。……どうも俺は時間を止めることができるみたいなんだ」
ソフィアは一瞬だけ真顔になると、次の瞬間、さもおかしそうに「あはは」と笑い声を上げた。
そして真顔に戻る。
「クロノスさま。今はおふざけになられぬように。わたしは真面目な話をしています」
キッと睨むソフィアの顔は怖かった。
「うーん、実際にどうやったら信じてもらえるのかな」
「時間を止めるなんて。そうですね。それが本当なら、わたしの下履きも気づかれずにコッソリ確認できますね」
そういうと、ソフィアは珍しくおどけて、クロノスに尻を向け僧衣の裾の端を軽く持ち上げてみせた。