18:休息
「クソ、また引っかかった」
ヘルマンが頭を茹でダコのように真っ赤に染め上げながら怒鳴った。
後方を歩いていたポーターのひとりが壁から出現した槍に串刺しにされて呆気なく息を引き取ったからだった。
先行する勇者レオン一行は仕掛けられていたトラップに嵌り、停滞を余儀なくされていた。
二十人近くいたポーターも次々に倒れて、残りは五人になっていた。
今や戦闘要員であるヘルマンとゴーディーが荷物の一部を背負っている。
行軍は当然ながら遅々として進まず、先頭をゆくレオンの苛立ちも徐々に表情に現れ、ただでさえ良くない雰囲気がさらに悪化した。
「ブレイグからの報告はまだか」
「いや、まだなんもねェ」
レオンの問いにゴーディーが汗ばんだ顔で答えた。
「そうか」
ほとんど戦闘を仲間に任せているせいかレオンに疲労の色はないが、その代わり、いつもは余裕を浮かばせている口辺に苦さが見えた。
「ねえ、さっきからなにを話しているの。私にも教えてよ」
暇をしていたのかコンスタンツが寄ってきた。
「いや、たいした話じゃない。この先のルートをどうしようかと話し合っていたところだ」
レオンはゴーディーの肩を軽く押しやると、ここは任せておけと目で合図をした。
「そう? でも、困ったわね。ポーターたちが次々に脱落しちゃって」
「気にするな。食料も武器も余裕はまだある。それよりも先に進んで早くえびるを見つけよう。僕たちはクロノスに負けられないからな」
「ん。でも、ブレイグはどうしたのかしら。それにパッドウェイの姿もさっきから見かけないけど」
「コンスタンツ、彼らには先行して罠がないか探ってもらっているんだ。僕らがこれ以上傷つかないようにね」
「レオン……」
コンスタンツはレオンの首に腕を伸ばすと周りの目をまったく気にせず、自分の顔を埋めた。
だが、レオンの形相は追い詰められた獣のように今にも牙を剥きそうなほど禍々しいものに変貌していた。
「このあたりで少し休もうか」
「はい」
ダンジョン攻略開始から一週間。
クロノスのレオン追尾作戦はいまのところ破綻なく成功していた。
広い道をさけて、あえて四つん這いになってようやくくぐれる場所に六畳くらいのスペースを見つけ陣取った。
天然に生まれた岩の穴倉である。
ダンジョン内は外はまるで違って、場所によっては蒸し風呂のように湿度と温度が高い場所もあれば、いま、クロノスたちが歩いている地点のような氷室を思わせる肌寒い場所もある。
そのため環境に適応できるよう、この地の冒険者たちは何種類かの最低限必要な装備を持ち歩くため、資金に余裕のある者はポーターを雇い、そうでない者は自力で荷を担ぎ上げて冒険をするのが常識だった。
クロノスは数人が余裕で寝起きできるテントを素早く張ると、空気穴を開いて入口に煮炊きできるスペースを設けた。
ダンジョン内にも多いとはいえないが、固有の植物が生えており、それらを取って薪にすれば暖を取ったり食物を料理することは難しくない。
「あの、クロノスさま。お料理ならわたしに任せていただけないでしょうか?」
「へ? いや、別に俺は慣れてるからさ、いいよ」
ソフィアの申し出にクロノスは反射的に答える。だが、ソフィアはもじもじしながらどこか居心地の悪そうに視線をさ迷わせていた。
「ばかね。ソフィアさまはあんたばっかり使うの悪いって思ってそう言ってんのよ。あんぽんたんクロノス」
「トルテ!」
「あんぽんたんってなぁ。ま、そういうことなら食事の用意は任せるよ。食材はこの中にあるから」
「あ、はい! わたし、がんばりますからねっ」
ソフィアは急に表情を明るくすると、すでにメニューの腹案があったのだろうか、手際よくお湯を沸かしたり食材を刻んだりして料理を始めた。
その甲斐甲斐しい後ろ姿を見ながらクロノスは過去の思い出に耽っていた。
なぜなら、かつての『暁の星』で戦闘にほとんど貢献できなかったクロノスは雑用が主な仕事であり、休憩時に野営の支度はすべてひとりで行っており、誰かが手伝うということは一度もなかったからだった。
当時は恋人の関係であったコンスタンツも料理は大の苦手であり、クロノスを応援することはあっても、仲間と談笑して酒を呑むだけで自ら動くという素振りすらなかった。
だが、目の前のソフィアは自ら動かないことに罪悪感を覚えて、炊事を嬉々として行う、ぶっちゃけていえば男尊女卑でしかないがクロノスの理想像の完成形であった。
(あれ? とするとコンスタンツはとんでもない地雷だったのでは?)
「クロノスさま」
「は、はいっ。なんでしょう」
「えと、おかしなクロノスさま。こんな近くで話しているのに、そのような驚きようはないでしょう」
「ご、ごめん」
「言っておくけどソフィアさまに変な気を起こしたら許さないわよ」
「あーはいはい。わかったよスライムちゃん」
「ああ、ばかにしたわねっ。このっこのっ」
「ははは、スライムの攻撃などなんともない」
「ふたりは仲が良くてよろしいですね。わたし、なんだかさびしいです」
「こ、このおっ。へっぽこクロノスのせいでソフィアさまが疎外感を覚えちゃったじゃないの」
「俺のせいか? じゃなくて、ええと、ソフィアは俺になにか聞きたいことがあるんじゃなかったのか」
「あ、いえ、ただ、お夕飯の炒めもの、塩味がカレー味かにょろん味のどれがいいかな、と」
「無難な塩味で。じゃあさ、ひとつ聞いていいか」
「はい、わたしに答えられることなら」
「なぜ、俺を助けてくれるんだ?」
しん、と今までホンワカした空気が漂っていたテント内が静まり返った。
携帯用の小鍋で具材を煮込むぐつぐつという音だけがやけに大きく響く。
「さあ、なんででしょうね。わたしにもわかりません。強いて言うのなら――」
真剣なソフィアの表情にクロノスはごくりと生唾を呑んだ。
「クロノスさまがわたしのタイプだから? みたいな?」
ズコッと昭和後期の効果音を立ててクロノスはずっこける。
トルテもあまりにしょうもないソフィアの返事に腰砕けになり(スライムに腰があるかは謎だが)鍋に落っこちそうになる。
「ま、なんでもいいじゃないですか。わたしってこう見えて面倒見のいい女なんですよ。侠気もありますし。困った人は放ってはおけねぇ! って感じですか。とにかく、クロノスさんを小馬鹿にした悪いやつらは生かしておいてはこの世の罪悪です。さらにいえば、もう一蓮托生ですからね。あんなふうに人を襲う男に目をつけられたら、どのうちただではすみません」
「あっ……それはぜんぶ俺の責任だ。すまない」
「いいんですよ。さ、ご飯にしましょう。神も言っておられます。一食を軽んじるものは一食に滅ぼされると」
「あはは、カタル派の教えかい、それ?」
「偉大なんですよ、ロムレス教カタル派の聖人ボナテ・パロ聖下は」
「はは、知らない」
「もう、ソフィアさま、あまりトルテをびっくりさせないでください。心臓止まっちゃいますよう」
和やかなムードでしばしの休息を楽しむクロノスたちであった。




