11:逆転の構図
「テメェが差したってのは先刻承知の上なんだぜ! いい加減観念したらどうなんだ!」
ソフィアの読みどおり、クロノスが冒険者ギルドの入り口に踏み込んだと同時にヘルマンの恫喝する声が聞こえてきた。
被害者は受付嬢のセリアである。
大男であるヘルマンが顔を真っ赤にして受付の机を叩き割らんばかりに詰め寄っているのを敢えて止めようとする冒険者はひとりもいなかった。
本来であるならば仲間であるヘルマンの暴挙を止める勇者のレオンは腕組みをしながら、その行動を見つめている。
コンスタンツをはじめとしたパーティーの一員たちも楽しむ素振りはみえなかったが、セリアを睨みつけながら敵意を発していることは遠目でもすぐわかった。
「やめるのはおまえだ、ヘルマン」
「その声は――!」
クロノスの声に気づいたヘルマンが顔を上げる。てっきり有無を言わせず襲いかかってくると思っていたが、むしろその逆でヘルマンは怯えの色を表情へと濃厚に浮かばせた。
「クロノスさんっ」
騎兵隊のいざ到着とばかりにセリアは脱兎の如く受付から離れるとクロノスの背に隠れた。
(この場にいる冒険者たちは全部で十五人か)
むろんレオンたちのパーティーメンバーを含まない数である。
日の高いもはや正午まですぐのこの時間に、稼ぎに出ずギルドに冒険者たちが居残っているのが不自然だった。
(ここにいる人間すべてがレオンを合力するために残っていると考えたほうが自然だな)
サーサラ国の冒険者ギルドは大国に比べればずっとこじんまりしている。登録している会員は二百に満たぬ数であるし、そのうち正規メンバー以外の数十人を意のままに扱えるレオンたちの糾合力は中々のものである。
(俺も以前はその余禄を知らぬふりをして受けていたんだ)
クロノスの口元に軽い自嘲が浮かぶ。それを見て勘違いしたのか魔術師のゴーディーが顔を紅潮させて叫んだ。
「クロノス。よくも罪のない奴隷を殺害しておいて、ノコノコとギルドに顔を出せたな」
ゴーディーが言っているのは私刑を受けていたクロノスをセリアの指示により救ってくれた勇敢なギルド所属の奴隷カプルのことであろう。
「ゴーディー。無駄だと思うが一応言っておく。こちらこそそのセリフをそっくりそのまま返すぜ。カプルを虫けらみたいに殺して。良心はないのか?」
「ねえ、クロノス。もうやめてよそのくらいで。あなたは、いつから変わってしまったの?」
「コンスタンツ……」
追放の時から完全に無視を貫いていたコンスタンツが絡んできたことで虚を突かれてクロノスはわずかに動揺した。
「レオンが言ってたのよ。あなた、もう一度パーティーに戻ってほしいって伝えに行ったヘルマンにいきなり斬りかかったそうじゃないの」
「コンスタンツ……?」
「そ、そうだぜ。じゃなきゃこのおれがスキルもねぇ時計野郎に後れを取るはずがねぇ」
「謝りなさいよ。まずはヘルマンに謝ってよクロノス。それから、セリアをこっちに引き渡してよ。その人、あなたといっしょにヘルマンを手伝っていたカプルを殺して、あまつさえ私たちに奴隷殺しの罪を着せるためギルドマスターに密告したらしいじゃないの」
コンスタンツの目にはクロノスがよく知る正義に燃えた炎が強く燃え盛っているのが見えた。
――ああ、良くも悪くも彼女は単純極まりない。
クロノスがすべて悪人であるとレオンに吹き込まれているのだろう。
真実は、弱者であるクロノスが一方的に嬲られていたなどと言う現実は、今の彼女にはそぐわないためにすべて上書きされているのだろう。
誤解を解いている暇はなし、むしろ自分を裏切ったコンスタンツ自身がクロノスからすれば膺懲の対象なのだ。
「やい! ここには明白な証人がそろっているんだぜ!」
「ギルドマスターのお手をわずらわせるな!」
「クロノス! テメェの首は役人に斬られて河原に晒されんだ!」
「奴隷殺しに元仲間に逆恨みの襲撃。さすがにこの暴挙はありえねぇぜ!」
「セリアも訴状を引っ込めな! S級であるレオンたちが嘘を言うわけねぇからよう!」
男たちが口々にそう罵った。
「それともセリアとはできてんのかよ時計野郎! ま、汚らしいツラの女にゃ能無し時計がお似合いだぜ!」
クロノスの傍らにいたセリアの身体が激しく震えた。彼女は、三カ月ほど前、酔った冒険者同士の諍いを収めようと持ち前の正義感で割って入り、挙句、キレた錬金術士の特殊な薬剤で顔半分に重度の火傷を負ってしまったのだ。
「おい、いま、セリアに向かってなんて言った?」
「そりゃ――」
クロノスの表情が変わっった時に、その冒険者の男は勘所を働かせて詫びるべきだった。
――刻止め。
男がなにかを言う前にクロノスは時間操作のスキルを発動させた。
ギルドの広大な空間に時計が現れて刻を刻み始める。
レオンをはじめとした全員がクロノスただひとりを除いて凍りつく。
「口は災いのもとってな」
クロノスはセリアに暴言を吐いた男の腰からナイフを引き抜くと、舌の中央部にザックリと刺した。
時間が停止しているせいもあってか男の舌からは血が流れない。
五秒もあれば無礼者に罰を与えるのは充分だ。
刻が動き出す――。
「いぎっ、いぎっ、いぎあーっ!?」
クロノスは最初と変わらぬ位置で立っている。だが、十五メートルほど離れた場所にいた男は自分の舌を貫くようにナイフが刺さっているのに気づき、痛みと驚きで悶絶した。
「な――?」
あれほど冷静で眉も動かさなかったレオンの表情に驚愕が走った。
(間違いない。俺の時間停止能力は誰ひとり気づくことができないものだ)
コンスタンツも訳がわからないといった表情でレオンとクロノスの顔を交互にみて口元に手を当てている。




