海水浴
『転生したら宿屋の息子でした』コミック発売中。
男の水着なんて選ぶのにそう時間はかからない。
しかし、女性はそうはいかないのが定番というもので、俺は軒下で海を眺めながらアルテを待っていた。
男に必要なのはズボンだけなので、自分の好みの色のものをパッと手に取って履くだけだ。
さすがに上半身ずっと裸というのは冷えるので亜空間から上着を取り出して羽織っている。
綺麗な肉体美があれば、こんなものを羽織ることなく堂々と見せつけられたのかもしれないな。
「ま、待たせたな」
ぼんやりと水平線を眺めることしばらく。ようやくアルテが店から出てきたようだ。
振り返ると、そこには藤色の髪を結い上げられたアルテがいた。
太陽の光を反射するような白いうなじが惜しげもなく晒されており眩しい。
純白な白を基調とした水着であり、ところどころ青いフリルのようなものがあしらわれていた。
髪型と服装を少し変えるだけでここまで印象が変わるのか。
アルテの後ろにはやたらと艶々とした表情をした女性店員がいる。
散々、彼女をいじくり倒したのかとても満足げな表情だ。
「な、なあ、おかしくはないか?」
アルテが、もじもじとしながらこちらを見上げ尋ねてくる。
さすがに活発なアルテでもこれだけ露出が多い水着は恥ずかしいものがあるのだろう。
後ろにいる女性店員がしっかりと褒めろとばかりに圧をかけてくるのが怖い。
「おかしくないぞ、綺麗だ。こうして見ると、どこかの姫様みたいだぞ」
「そ、そそ、そんなはずはないじゃろう! ほれ、海に入るぞ!」
そんな感想を告げると、アルテは照れや焦りのようなものが混ざった複雑な表情をして、走り出した。
「待て待て。水着になったなら他のところも日焼け止めを塗っておかないと!」
「それならさっき店員が塗ってくれたわ!」
などと注意の声を上げて追いかけると、やけくそ気味な返事がくる。
思わず後ろを振り返ると、女性店員が笑顔でサムズアップしていた。
俺には勿論そんなサービスはなかったが、個人的なサービスだろうな。
とりあえず、全身に日焼け止めを塗ってもらっているのであれば安心だ。
女性は過剰に褒めてあげるがちょうどいい。会社の先輩からそんな風に聞いたので、実践してみたのだが良かったのか悪かったのかわからない。
ただ後ろから見える耳が赤くなっているのだけはわかったので、照れくらいはあったのかもしれないな。
ダーッと走り出したアルテを追いかけて海に入る。
足から着水して、そのまま水深の深いところまで。
足から徐々に水がせり上がり、やがて胸元までが海水に覆われた。
「ふあー! やっぱり、全身が水に浸かると気持ちがいいのぉ!」
海に入った感動で先ほどの照れは即座に吹き飛んだのだろう。アルテが気持ち良さそうな声を上げた。
「ああ、こんな暑い日には海が最高だな」
前世ではブラックな会社のせいで、夏季休暇なんてものは存在しなかった。気持ちばかりの短い休暇があったとしても、日ごろの睡眠不足や疲労を脱ぎ去るために惰眠を貪るような儚いものであった。
そんなことの繰り返しで社会人になってからは一度も海に入っていなかった。
忙しいからと興味を向けないようにしていたが、久しぶりに入ってみると本当に気持ちがいい。
お風呂やプールと違って眺めもいいし、広さも桁違い。実際に入ってみてわかる爽快感だ。
「ところで、ふと気になったんじゃが海には魔物はおらぬのか?」
「いや、いるよ」
「なぬっ!? それでは危ないではないか!?」
そのように言うと、アルテがぎょっとした顔をする。
海に入ってからそんな疑問を抱いて慌てふためくとは面白い子だな。
「大丈夫だ。ほら、遠くを見てみると黒い支柱があるだろ? 俺たちのいるエリアは魔物が入ってこないように網目状の檻で囲まれているんだ」
「つまり、わらわたちは籠の中の鳥というわけか……」
どこか物憂げな表情で呟くアルテ。
その横顔がやけに寂しそうだった。
「海は人間だけのものじゃないからな」
どこまでに自由に泳げたら素敵であるが、海は俺たちだけのものじゃない。
魔物のいない比較的平和な前世であっても、サメなどの危険な生き物が生息しているせいで泳げない区域もあるくらいだからな。そこは仕方がない。
「まあ、普通の人があんな遠くまで行くことはないから気にならないだろう。そんなことより、俺たちも泳いでみるか!」
「……なあ、クレト。人はどうやって海で泳ぐのだ?」
唐突なアルテの言葉に俺は困惑した。
「ええ? 泳げるから海に入りたいって言ったんじゃないのか?」
「泳げなくとも入るくらいいいではないか! 泳げない者は海に入ってはならんというのか!? それは横暴というものじゃぞ!」
なんて素朴な問いかけをすると、アルテがぷんすかと怒って海水を叩いた。
彼女の激しい怒りを表すかのように水が飛び散る。
とにかく、アルテが泳げないことにコンプレックスを抱いているのは理解した。
「そうだな。少し言い方が悪かった。ちゃんと泳ぎ方を教えてあげるよ」
俺が苦笑しながら言うと、アルテはこくりと頷いた。
●
「お、おおー! これは気持ちがいいの!」
アルテに泳ぎを教えることしばらく。
彼女はあっという間にバタ足と平泳ぎをマスターし、海を泳いでいた。
「こんな短い時間で覚えるとは思わなかったぞ」
「ふっ、わらわにかかればこんなものよ」
泳ぐのをやめて渾身のどや顔をしてみせるアルテ。
彼女の呑み込みの早さは目を見張るものある。
どうやら単純に泳いだことがないだけであって、運動神経などは卓越しているようだ。
こういう部分を見ると、一応冒険者として活動しているというのも嘘ではないのかもしれないな。商人の娘や貴族の子供が冒険者として活動しているのをたまに見ていたので、それと同じ類な気がする。
しかし、全てが自分の力のように言われるのは腹立たしいな。
俺も甲斐甲斐しく手を引いてやったりと教えてあげたのに。
「最初に泳いだ時は俺が手を離しただけで涙目になっていた癖に」
「あれはクレトが悪いのじゃ! 離すなと言ったのに手を離すからじゃ! 鬼め!」
ボソッと指摘すると、アルテがそう言い返しながら水を飛ばしてきた。
至近距離からの攻撃に対応が遅れ、もろに顔に食らってしまう。
「うわははは、少しばかりイケメンになったのではないか?」
こちらを指さして笑っているアルテに即座に仕返し。
「ぺえー! しょっぱいのじゃ!」
「ははは、はしたく大口開けて笑ってるからだ」
「おのれ、やりおったな! クレト!」
俺が笑い返してやると、アルテがムキになって水をかけてくる。
それを予測していた俺は即座に横に動いて回避、それと同時に海水に手をつけて魔法を発動。
「亜空収納――からの放出」
大量の海水を亜空間に収納し、アルテの頭上でそれを解放。
「な、なんじゃああああああっ!?」
まるで大きなバケツをひっくり返したような水がアルテに降り注いだ。
「なんじゃ今のは!?」
「魔法の応用だよ」
「そのような魔法はズルじゃ! 正々堂々と勝負をせい!」
いきり立ったアルテが激しく手や足を使って海水を飛ばしてくる。
今度はそれを躱すことすらせず、全て亜空間に収納してやる。
「はい、放出」
そして、十分に水量が溜まったところでまた同じようにアルテの頭上に落っことしてやる。そして、最終的にアルテが拗ねた。




