喫茶店通り
「……いい絵だったな」
美術館を出た俺は、喫茶店通りを歩きながら呟いた。
たった一枚の絵で、あれほどの感動を受けたのは初めてだった。
先程の一枚の絵が綺麗過ぎて脳裏から離れない。
喪失感にも似たような形容しがたい不思議な気持ちが広がっていた。
「少し早いけど喫茶店で昼食でも済ませようかな」
先程の絵の余韻のせいか、積極的に動き回る気がしなかった。
とりあえずの行動指針を立てると、俺は近くにある喫茶店に足を向ける。
「げっ」
オシャレな木造式の喫茶店。ガラス越しに見える店内の客は女性やカップルばかり。ならばとテラス席に視線を向けると、そちらも同じような客層だった。
微かに座席こそ空いているものの、俺のような年ごろの男性が一人で入れば間違いなく浮いてしまうだろう。それ以上に俺自身がその空気に耐えられない。
「違うところにしよう」
即座に判断して次に見えてきた喫茶店を覗く。
しかし、そちらも同じような客層ばかりで俺のような男の一人客は皆無。
ならばと斜め向かい側にある喫茶店に向かってみると、そちらはカップルこそいないものの大半が女性客で占められていた。
やはり雰囲気がいいだけあって女性に人気の場所なのだろう。
エルザは一人で入っても絵になるし違和感があるが、俺にはレベルの高い場所だった。
「ここは戦力的撤退をしよう」
エルザにオススメされて期待していた喫茶店通りだが、俺が一人で入るにはレベルの高い場所だった。
泣く泣く喫茶店通りから歩き続けると、落ち着いた街並みになって人の流れも少なくなってきた。
その中に見えたレンガ造りのこじんまりとした喫茶店。
『黒猫喫茶』と書かれており、扉には黒い黒猫を模した小さな看板がぶら下がっている。
「ここはどうだ?」
窓からおそるおそる様子を眺めてみると、アンティーク調な家具で統一されている店内が見えた。
先程のような客層に偏りはない。あまり混雑しておらず、適度な快適さがある。
そのことがすぐにわかった俺は、即座に入ることを決断した。
喫茶店を探すのに歩き回ったせいか足に疲労も感じていたしな。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ」
中に入ると、俺より少し年下ぐらいの女性がそう言ったので、空いている端っこのイス席に腰をかける。
座り心地のいいイスに手触りのいい木製のテーブル。
壁の色合いは落ち着いており、照明の魔法具もちょうどいい明るさだ。
奥の厨房ではダンディな顔つきのマスターが、コップを磨いている。
「うん、いい雰囲気だ」
エルザのオススメしてくれた誰もが知っているような喫茶店ではないだろうが、これはこれでいい場所だ。
名店を巡ることもいいかもしれないが、知る人ぞ知る落ち着いた店っていうのも悪くないと思う。
「ご注文はどうなさいますか?」
「じゃあ、サンドイッチのランチ。飲み物はアイスフルーツティーで」
「かしこまりました!」
喫茶店の定番ともいえる料理を頼むと、給仕の女性は可愛らしい笑みを浮かべて下がった。
すぐにアイスフルーツティーがやってきたのでチビチビと飲みながら購入した本をパラパラと眺める。
そんな風にまったりと過ごしていると、給仕がサンドイッチを持ってきてくれた。
「お待たせしました、ランチのサンドイッチです」
「おおー……って、デカっ!」
皿の上に乗っているのは二つのサンドイッチ。
具材はあり触れたものであるが、サイズがかなり大きかった。
包装紙に包まれており、それがなければ具材を挟めないほどだ。
「うちの父さんが、小さいサンドイッチはサンドイッチじゃないっていうので」
「落ち着いた見た目なのに豪快なんですね」
落ち着いた表情でコップを拭いているダンディなおじさんが、そんな豪快なことを言うとは驚きだ。
「ちなみに具材はいつも変わります」
「そういうところは店名になぞって気まぐれなんですね」
「そうなんです」
給仕の女性はクスリと笑い、「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていった。
サンドイッチに挟まれているのはウインナーに玉子焼き、ベーコン、トマトにレタスとどれもが分厚い。
しっかりと手で支えながらかぶり付く。香ばしい小麦の味に塩気と旨みの利いたウインナーの味。そこから玉子の味や酸味のあるトマト、瑞々しさのあるレタスとそれぞれの味が連鎖していく。
「……美味しい」
豪快な見た目とは裏腹に味の方は繊細だった。
●
ボリューミーなサンドイッチを食べてお腹を膨らませた俺は、アイスフルーツティーを飲みながら本を読む。
王都の喧騒から隔絶された静かな空間だ。
今日はこのままここで読書をし、また店を巡ったら、適当なレストランにでも入って酒を呑もう。
それから少しのつまみと酒を手に鐘楼に転移し、夜景を見ながら一杯というのもいいな。
「やあ、クレト」
そんな理想的なスケジュールを立てていると、目の前にエミリオが立っていた。
爽やかな笑みを浮かべているエミリオを見て、自分の立てた計画が儚く砕け散るような幻聴を聞いた。
「なにしにきた?」
「ちょっとクレトに用があってね。ああ、僕はアイスミルクティーで頼むよ」
エミリオは当然のように目の前の席に座ると、給仕の女性に注文をした。
「どうして俺のいる場所がわかったんだ?」
「エルザに教えてもらったよ」
「でも、エルザに教えてもらった喫茶店通りから離れてるぞ?」
もしかして、俺の位置がわかるような魔法具とか、監視人がついているんじゃないだろうか。
「クレトがあんなオシャレな店に入れるわけがない。尻込みして静かなカフェを探すのは容易に想像できたからね。この辺りの喫茶店だと思ったよ」
くっ、完全に俺の思考が見透かされている。悔しいけど事実なので何も言い返すことができなかった。
「……で、俺に用っていうのは?」
ミルクティーが差し出されて、給仕が去ったところで尋ねる。
エミリオ自身が俺を探しにくるということは、よっぽど急いでいるか重大な案件かのどちらかだろう。
休日がなくなったことを察した俺は、読んでいた本を亜空間に放り込んだ。
「実はとある人物から君に繋いでほしいとの依頼があってね」
「それは俺が商会で活動していることを知っているってことか?」
エミリオを仲介してということは、俺が商会に所属して転移での商売をやっていると知っていることになる。
「そういうことになるね。冒険者ギルドに現れた転送屋と僕の商会急成長を調べれば、クレトと僕が協力関係だろうと察する人もいるだろうしね」
「まあ、そこまで秘密にするものでもないしな」
今のところ空間魔法を持っているのは俺だけみたいだいし、知られようがおいそれと真似できるものでもない。言う事を聞かせようと攫おうとしても、俺が転移で逃げる方が圧倒的に早い。
「にしても、エミリオがそういう依頼を持ってくるとは珍しいな」
やろうと思えば高貴な方を転移で連れて行くこともできる。しかし、そういった商売は商会の方ではまったくやっていない。
何故ならば、そんなことをするよりも物資を売買する方が遥かに儲かり、商会としての力もつくからだ。
「まあ、依頼人は昔からの知り合いだからね」
「ふーん、どんな奴なんだ?」
単純にエミリオの昔からの知り合いというのは気になる。
コミュニケーション力が高いエミリオであるが、そういったプライベートの知人は見たことがなかった。
「興味があるなら話が早い。実は外で待ってもらっているから入れてもいいかな?」
「外にいるのかよ。まあ、いいぞ」
屋根の下は日陰になっているとはいえ、この暑い季節にずっと外で待ってもらうのも申し訳ない。緊張感よりも心配の方が勝った俺は、すぐに頷いた。
エミリオが扉を開けて声をかけると、外から一人の女性が入ってきた。
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