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夜の病院にて

作者: 佐々木鴻

 夜の病院と聞くと、人々が考えるのは概ねホラー的な超常現象なのであるが、実際のところはそんな稀有な体験をする人は少なく、大体は恐がるその人の気のせいだったり見間違いだったりする。

 そう、病院というところは案外そういうこととは無縁なのだ。


 まぁ考えてみれば当たり前である。常に人がいて忙しく動き回っているところに、ひょっこりと超常現象的な幽霊やらお化けやら物の怪が出たとしてもあっさりと無視され、ちょっとした霊感のあるスタッフがいたとしても、怯えるどころか「邪魔!」と言われて一蹴されるだけだったりする。


 そしてよくある肩に乗っちゃうとかいう出来事に関しては、実際に超常的な何かが乗っちゃった人もいたが、その人は半切れで、


「邪魔なんだけど……!」


 と言って撃退していた。そのときの彼女は、その年イチ怖かった。――そう、超常的なナニカなんぞよりも、遥かに怖かったのである。


 更に、色々テレビやらネットやらでなにかと話題になる怪奇スポットの「廃病院」とかだが、病院で働いている人々にとっては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。失業しちゃうから。


 そんな実際は平和で超常的なアレコレが意外と少ない病院だが、だからといって本当に怖い出来事がないわけではない。そこいらに転がっている「ぎゃ――――――!」的なホラーなんぞ鼻で嗤っちゃいそうな、本気で背筋が凍りそうな、全身が粟立つような、悲鳴すら出ないような出来事があったりする。

 この体験をしてしまったら、日本一怖いと銘打つお化け屋敷がとても平和で微笑ましく感じるほどだ。お仕事頑張ってるんだね――と。

 まぁ、実際問題として判り易く「お化けです」といった容姿をしているお化けなんぞいないのであるが。











 梅雨も終わり、本格的な夏を迎えてはいるのだが、そんな季節のワクワク感なんぞ一切関係なく、今日も今日とて彼は病棟勤務で走り回っていた。


 患者の夕食が終わり、これからナイトケアに入ろうとしたとき、今日入院した下顎骨骨折で顎間固定術(がっかんこていじゅつ)をした患者が気持ち悪いと言い出し、ガーグルベースを片手に駆け付けるといきなり吐血してそれを浴び、白衣が血だらけになってしまった。

 ガーグルベースの役割とは一体。などと心中で愚痴りつつ、取り敢えず離れられないからコールを押して暫し待つ。


 ……が、コールは止まっている筈なのに一向に夜勤の相棒が来ない。しつこいくらいに押しまくってやっと来て、返り血で赤く染まっている彼を見て「ひい!?」と言ってからやっと事態を理解して狼狽えてフリーズし、半切れでドクターコールしてから血圧計とか持ってくるようにと言われてやっと再起動してナースステーションへと駆けて行く相棒を眺めて嘆息する。


 待つこと暫し、耳をすますとなにやら喋っているのが聞こえた。きっと連絡しているのだろう。


 その声が聞こえなくなり、更に待つ。その間に吐血した患者をベッドに寝かし、脈を取ったり吐き気の有無だとかその他の状態を観察していた。


 で、待つ。いつまで経っても相棒が来ない。


 なのでもう一回コールする。今度はすぐに来たのだが、第一声が、


「なにかあったんですか?」


 一気に半眼になり、顔から表情がなくなった。


「……血圧計は?」

「あ」


 こいつどうしてくれよう。ワリと本気でイロイロしてやろうと思ってしまう彼だった。


 余談だが、翌日上司にそれを報告したら「仕方ない」で済まされて、彼は本気で退職したくなったという。


 そんな緊急事態があったがやっと落ち着き、血だらけの白衣を着替えて再手術になった患者を手術室へと運んだ。

 因みにその患者は、出血を口から出さずに飲み込み続け、結果気持ち悪くなったのである。そして吐いたときに固定が外れて大出血を起こし、その後集中治療室(ICU)送りになった。


 その間に、突然大声を出す爺様や、その声があまりに五月蝿くて、リハビリを嫌がってベッドから離れようとしない、歩けないと言い張る兄ちゃんが歩き出して尿器でもって騒ぐ爺様をスッパンスッパン叩いているのを止めたり、オムツ交換の度に「この人に何回もされたの! でも良くなかった!」とか言い出す色ボケ婆さんをあしらったり、暑いからと白衣の前を開いて扇いでいる、ブラを忘れたちっぱいなもう一人の相棒に「御馳走様です」と一礼しつつ言って「お粗末様です」と返されたりしていた。


 そんな慌しい時間が過ぎ、やっと落ち着いたのは深夜2時過ぎであった。

 その時間になると五月蝿い爺様も鎮静し、病棟が静まり返る。

 そうなると、程よく疲れてしまっているこちらとしては眠くなるものだ。寝ないが。

 だが眠くなるのも事実であり、それを覚まそうと病室に目をやり――その視界の隅に、黒い人影が見えたような気がした。


 気のせいか? そう考える。だが気になって病棟を巡視すると、脳機能障害で喋ることの出来ない男性患者の部屋から声が聞こえた。


 それは囁き声と同じく、何を言っているのか判らないほど小さく、そして笑い声でもあった。


 コレは聞こえちゃいけないものなのだろうか? そう考えつつ、だが確認しなければならないと判断して病室に入る。


 そして見た。その患者に覆い被さるようにして抱き付いている、夏なのに黒のマントコートを羽織っている妙齢の女性を。

 その女性は患者に抱き付きつつ頬擦りをしたり、耳元でなにかを囁いたりしていた。


 ……うん、人間だ。


「あの、どちら様ですか?」


 なので迷わず声を掛ける。その女性は驚き、信じられないとばかりに目を見開いてこちらを睨む。


「ご家族の方ですか? 申し訳ありませんが、面会時間は終わっておりますので後日にして頂きたいのですが。あ、もしよろしければ面会があった旨を奥様にお伝えしましょうか」


 そう言うと、


「そこまでしなくちゃいけないの!?」


 その女性はプリプリ怒って帰って行った。

 どうやら、救急外来から侵入して守衛の目を盗んで来たらしい。そしてその患者に事情聴取すると、どうやら小指の彼女だったそうな。


 そんなアホな事件があり、ナースステーションへ戻る途中、廊下に血痕となにかを引き摺ったような跡があった。然も半端な量の血痕じゃない。


 なんだこれは? 全身が粟立った。その明らかな異常事態に戸惑い、だがすぐに思い直して原因が何であるのかを調べなくてはと考えその後を追う。


「――そんなことがあってね、夜中に廊下が血だらけになったことが――」


 そんなことを言っていた同僚がいた。まさか、これがそうなのか? そう考える、だがそれよりなによりこの跡を追わなければ。そうしなければ……。


 頭を振りつつ最悪の可能性を思考から追い出し、立ち込める鉄の匂いに顔を顰めつつ、血だらけの何かを引き摺った跡を追って行く。


 かくして、それは非常階段まで続いており、そして其処には血だらけの足が覗いていた。


 それはゆっくりと動き、徐々にその奥へと進んでいる。


 彼は慌てて駆け寄り、反射的にその足を掴んだ。











「なにすんだー! オレは帰るんだー!」











 ……酷い認知症の患者が、帰りたい一心で点滴の接続を外して血だらけになりつつ脱走するところであった。










「夜分遅く済みません先生。○○号室の××さんなんですけどね、点滴の接続を外して血だらけになりながら脱走しようとしてました」

『え~、なんだそりゃ? やるな~』

「いや、やるな~じゃなくて。マジでビビりましたよ。で、結構な量の出血あったんですよね。殺人現場か! てくらい。朝になったら採血して良いっすか?」

『そうだね~。いや~、前もこの人目を盗んでおんなじことしたんだよな~。じゃあ採血の結果で輸血するか決めようか』

「はい、ではそれでお願いします」










 後日の採血の結果、その患者は輸血をすることになり、家族にこれでもかとばかりに怒られ、サスペンスもかくやと言わんばかりの修羅場になっていた。


 そしてその事故を発見しちゃった彼は、報告書をまとめるために昼過ぎまで残ることとなった。

 勿論、残業代は出なかったのである。


 彼はつくづく思った。


 いるかどうか判らない幽霊なんぞより、生きている人間の方が百倍怖い――と。




 (了)

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