平和主義の敵対者
まったく困ったものだ。
ラ゠ギィは自分の言うことも聞かずにアッシュに攻撃を仕掛けたゴ゠ゥラに心底呆れ、ゴ゠ゥラのせいで自分も面倒なことになったと、マークの魔術を防ぎながら思う。
「平和的にいきませんか? 私の方は争うつもりは無いんです」
ラ゠ギィは両手を挙げ、降参のポーズを見せる。
ここで争うのは得策ではないという判断ゆえの降参だったが、対してゼルティウスとマークはと言うと──
「俺達が仙理術士を見逃すと思ってるのか?」
長剣を構えるゼルティウスとその後ろで支援の準備を整えるマーク。
二人にはアッシュのように楽しむつもりも無ければ、油断も無い。
「先祖と私では方針が違います。争う理由は無いかと」
アスラカーズとその使徒と争っていた仙理術士達は色々と大層な理想を掲げていたが結局の所、世界の支配を望んでいたとラ゠ギィは思っている。そしてそんな誇大妄想家達と自分は違うとも。
「私は理想ではなく現実に生きているので先祖たちと違い交渉の余地はありますよ?」
「……話を聞くと思っているのか?」
問答無用でゼティが動く、動き出しを全く察知させない静かな踏み込み、だが放たれる斬撃は激烈でラ゠ギィに向けて振るわれた剣から生み出された剣風が衝撃波となって、斬撃の軌道の先にあるものを薙ぎ倒す。だが──
「──一考の余地はあるかと」
しかしゼルティウスの刃はラ゠ギィに触れることは無かった。剣を振り下ろした瞬間、ラ゠ギィはその場から掻き消えてゼルティウスの剣から逃れたからだ。
そして、ゼルティウスの剣を回避したラ゠ギィは何時の間にか、酒場の天井に逆さまに立って、ゼルティウスとマークを見下ろしていた。
「そもそも所詮、私は誰かの手足ですよ? 現実的に生きていくことを決めた以上、私は大層な理想を抱かず誰かの庇護に縋って生きていくことを選んだ人間です。そんな輩を貴方がたのような使徒が問答無用で始末する必要はないと思いませんか?」
「思わないな!」
マークが天井に立つラ゠ギィに向けて魔弾を放つ。
次の瞬間、ラ゠ギィの姿は掻き消え、放たれた魔弾は天井を貫いて酒場の屋根に穴を開けるだけに終わる。
「『転動』を使えるぞ!」
ゼルティウスが声を上げたのと同じことをマークもゼルティウスに言おうとした。
『転動』とは仙理術士が使う戦闘用の移動術。『縮地』とは違い純粋な高速移動で、『縮地』のように世界の在り方に手を加えるのではなく、自分という存在に手を加えて自分の状態を速く動ける存在に書き換える。
仙理術士には自分から動くというのは優雅さに欠けるという風潮があり、使うものは少なかったが、ゼルティウスとマークの知る限り、『転動』を使う仙理術士は間違いなく戦闘に特化した術士であり、敵に回すと最も厄介な手合いだった。
「やはりご存知ですか。手の内が知られているというのは本当に厄介だ」
マークの攻撃を回避したラ゠ギィが立っているのは酒場の片隅、壁に寄りかかったラ゠ギィは溜息を吐く。
「全く、どうすればこちらに争う意思はないと分かってもらえるのか」
「大人しく首を差し出せば理解してやらないでもないぞ」
ゼルティウスは剣を握った腕をダラリと垂らし、脱力した様子で壁際のラ゠ギィへと近づいていく。
力の抜けた動きに対して言葉は攻撃的であり、ラ゠ギィに向けられる視線は言葉よりなお攻撃的だった。
「それは流石に難しいかと」
「それくらいやらねぇと、俺らに誠意を示したことにはならねぇよ。仙理術士はな」
ゼルティウスの後ろに立つマークの言葉を合図にラ゠ギィとゼルティウスが動く。
『転動』による高速移動、それに対応するためにゼルティウスは全身の力を抜き、最も自然で最も速い反応を取れる構えを取っていた。その結果は──
「──くっ」
ゼルティウスの刃が脇腹を掠め、ラ゠ギィは僅かに血を流す。
傷と言えるほどのものではないが、これで追いつけない相手ではないことは分かった。
「これで弱体化してるとは……」
「そちらもだろう?」
アスラカーズの使徒が全力を出すのに制限があるように仙理術士も能力に制限がかかっている。
仙理術には世界との合一を目指すという思想があるため、世界を壊しかねないほどの力は発揮できないという制限だ。その制限のせいであるレベル以上の仙理術士は異世界では全力を出せない。出したら世界が簡単に崩壊してしまうからだ。
「いえ、私はそこまでの力はありませんよ」
ラ゠ギィの脇腹に負った傷は会話の間に癒えて無くなる。
だが、ラ゠ギィの戦意も無くなったようで──
「先ほどの首を差し出すという件ですが、先輩──先程、貴方がたの神に攻撃を仕掛けた仙理術士の首ではダメですか?」
「話にならねぇよ、あんなザコ」
「一般的な視点ではザコと言うほど弱くは無いんですがね」
ラ゠ギィは肩を竦めると交渉決裂と悟ったのか、改めてゼルティウスとマークを見据える。
「俺が援護に回る」
ラ゠ギィの視線に戦意を感じ取ったマークはゼルティウスに作戦を提案する。
マークは先程のゼルティウスとラ゠ギィの動きが全く見えなかったことから、魔術によってラ゠ギィを直接攻撃することは断念し、相手の動きについていけるゼルティウスの援護をすることにした。
二人がかりで確実に仕留める考えだ。ラ゠ギィに関してはこの場で確実に仕留めておきたいというゼルティウスとマークの考えは一致している。
「任せておけ」
ゼルティウスは長剣を構える。先程のような脱力した構えではなく、しっかりとした正眼の構え。
ラ゠ギィの眼差しから逃げる相手ではなく向かってくる相手だと判断したうえでの迎撃を重視した構えだった。だが、その構えを見たラ゠ギィは──
「申し訳ないですが、戦うのは私ではありません。私は貴方がたとは争いたくないので──」
ラ゠ギィが指を鳴らす。すると、酒場の外に急に眩い灯りが生じる。
「この場は彼らに戦ってもらいましょう」
次の瞬間、壁を突き破って何かが酒場の中へと飛び込んでくる。
ゼルティウスとマークは咄嗟にその場から飛び退き、酒場に突入してきた存在を確かめようとする。すると、そこにいたのは──
「白神に仕える天使たち。貴方がたの相手はこの者達にしてもらって、私はお暇しますよ」
純白に輝く翼を持った天使が宙に浮きゼルティウスとマークを見下ろす。
天使たちと言ったラ゠ギィの言葉は真実で、酒場の中にいる一体の他にも酒場の外にも複数体の天使の気配をゼルティウス達は感じ取っており、その総数は十数体にものぼる。
「どうする?」
現れた天使の背後でラ゠ギィが背を向けて逃げ去っていくのが見えたが、天使が邪魔で追うのは難しい。
ゼルティウスはマークに対して言葉通り、どうするべきかと訪ね、そしてマークが返した答えはというと──
「別に殺して良いだろ。邪神に殺すなとは言われてないんだ。殺さないように手加減するなんて面倒なことをしてられないだろ?」
言葉よりも早く放たれた魔弾が目の前の天使の頭部に直撃し、その頭を吹き飛ばす。
アッシュに命令されなければ敵を生かしておく理由などない。アッシュがこの場にいたら天使も殺すなと言ったかもしれないが、そのアッシュはこの場にはいない。
「それもそうだな」
仲間が倒されたのを察知した外の天使が酒場の中に突入してくる。
ゼルティウスは突入してきた直後の天使の位置を見極め、一体の天使の胴を斬り払う。
だが、酒場の中に突入してくる天使はその一体だけではない。ゼルティウスとマークは何体もの天使に取り囲まれることになる。
「まったく、舐められたもんだ」
マークは懐に手を入れ、そして取り出すのは煙草の箱。
箱から一本取り出し、口に咥え、指先に灯した魔術の火で煙草に火を点ける。
ゆっくりと味わうように煙を吸い、名残惜し気に口から煙を吐く。
「俺のそばで吸うな」
「固いこと言うなよ。久しぶりの煙草なんだ」
システラに頼んで取り出してもらった煙草だ。システラがアッシュの話を聞かざるを得ない状況に追い込んだことで、マークもシステラと話す機会を得たことで手に入れることができた。
久しぶりの煙草はマークの体に染み渡り、靄がかかっていたような頭の中がスッキリと冴え渡る。
そうして冴え渡った思考が牙を剥くのは──
「お前らもついてないな。今の俺は絶好調だ」
マークは煙草を口に咥え、天使たちに向けて一歩踏み出した。