金が無い
「痒い、痒い、痒い! どうなってんだここは! クソ溜めじゃねぇか!」
リィナちゃんが出ていくのと入れ違いに起きてきたマー君が声を上げながら酒場のホールへとやってくる。
随分と早起きだね。もうすぐ昼になるってのにね。
「汚ぇし、不潔で不衛生! ダニにネズミがウヨウヨしてるじゃねぇか! 病気になるだろうが!」
上半身は素っ裸で下半身はパンツ一枚のマー君は体をボリボリと掻きながら喚く。裸になると分かるが、マー君の刺青は右腕と左腕だけじゃなく全身に彫りこまれている。そんな格好の奴が体を掻きむしりながら喚いているのは、なかなか滑稽だ。
それで何で騒いでるんだって? 部屋が汚いのが気に食わない?
そりゃあ、キミの寝てる部屋は掃除してないしね。俺とゼティの寝床は綺麗にしてるし、というかそもそも最初から比較的マトモな部屋を選んでるんでね、ダニに悩まされたことは無いぜ?
「ゴキブリが出なくて良かったね」
汚いと言われてもゴキブリが出たことは無いから、そういう所を褒めて欲しいもんだ。
まぁ、いない理由はネズミが餌にしてるからなんだけどね。
「そういう問題じゃねぇだろうがよぉ、テメェの脳味噌はクソなのか?」
「じゃあ、どういう問題なんですかね」
「掃除をしろって言ってんだよ、掃除をさぁ! クソ溜めを便所くらいにするくらいはしろよ!」
なんで俺がそんなことをしなきゃならねぇんだよ。
俺はどんな不潔で不衛生な環境でも平気なんで、掃除の必要性を感じねぇし、必要性を感じてない奴が掃除をするってのは変だろ?
「マー君がやればいいじゃないか」
俺がそう言うとマー君は俺を睨みつけてくるが、それも一瞬ですぐに諦めたかのように自分で掃除を始め、魔術で風を起こして室内の埃を集めだす。
俺の扱いが上手くて助かるね。ここで掃除しろって俺に強要すると俺と喧嘩になるって分かってるからマー君は引いてくれたようだ。
「……ゼティはどうした?」
「仕事に行った」
掃除をしながらマー君が俺にゼティの行方を聞いてきたので俺は意地悪せずに素直に答える。
「テメェと二人きりとか死にたくなるほど嫌なんだが」
素直に答えたら悪態をつかれたんだが。
俺にも問題あるかもしれねぇけどマー君も大概だよなぁ。
この世界を無事に脱出できたらマー君はとびきりハードな世界に送ってやろう。
「なんか企んでるだろ」
当り前じゃないかマー君。
でも、それを俺は肯定せずに何も言わずに笑ってごまかすことにした。
俺の事なんて気にせずに掃除でもしててくださいよ。そう思って眺めていると集めた埃を魔術で生み出したブラックホールらしき空間に捨て、そうした後にホールに水を撒き始める。
俺が積み上げた椅子や机が吹っ飛ばされるが、それは宙を舞って床の上にそっと落ちる。マー君が魔術でやったんだろう。
そんな風に段々と酒場の中が綺麗になってさまを見守りながら俺はマー君に話しかける。
「なぁ、金貸してくれない?」
「なんで今そんな話をしてくる!?」
唐突だし急すぎるって?
しょうがないじゃない。金を貸してくれってどういう状況で言えば良いか分からねぇしな。
金に困るとか生まれて初めてのことなんだよ。
人間時代はそこら辺の悪そうな奴を殴れば金が手に入ったし、反社会的勢力の所に押し込み強盗をして金を手に入れるってこともやってたからな。邪神になってからは金が必要なくなったから、金に困る以前の問題だし、今みたいに生活費がどうこうって考えるのとか俺は生まれて初めてなんだぜ?
「いやぁ、生活費がなくてなぁ。俺を支援してくれる奴もいたんだが、一方的な理由で資金援助を切られちまったのさ」
俺が悪いってことは分かってんだけど、馬鹿正直にそのことを皆に話す必要はねぇよ。
とりあえずラスティーナの一方的な判断で俺への資金援助が打ち切られたってことにしておこう。その方が同情を得られて金を借りやすくなるかもしれないしな。
「どうせ、テメェが機嫌を損ねるようなことをしただけだろ」
ご名答。さすがマー君。俺の事を良く分かってるね。
「分かってるんだったら金を貸してくれよ。このままだと今日のメシも食えねぇんだよ」
「自分で働いて金を稼げ」
そんなことを言われてもなぁ。
俺は人間時代からマトモに働いて稼いだことは無いってマー君だって知ってるだろ?
「俺ってキミらと違って誰かの下につくとか無理だぜ。生まれてこの方、誰の風下にも立ったことないしな」
マー君やゼティは宮仕えもしてたことがあるし、今現在においても俺に使徒として仕えているわけだから、誰かの下につくってことに抵抗のない精神の持ち主なんだろうけど、俺は違うんだよね。
「人間社会で生きていくの向いてねぇよ、テメェ」
その通りとしか言いようがないね。
集団の一員として生きていくのが難しい俺は、多種多様な集団によって構成される人間社会で生きていくのが難しいわけよ。
「というわけで働くのも難しいんで、金を貸してくれねぇかな?」
社会不適合者を支援するってことも大事だと思いませんかね、マー君?
まぁ、貸してくれないっていうなら、それも仕方ないけどね。でも、その場合、こんな社会不適合が生きる糧を求めて野に放たれるわけだが、それを危険だと思うなら素直に金を貸してくれた方が良いと思うぜ?
分かるだろ? テメェが金を貸してくれれば俺はその金を使って大人しく暮らしてやるんだからさ、そっちの方が良いってことくらい分かるよなぁ?
「おまえ、俺を脅すようなことを考えてないか?」
「別に? ただキミが金を貸してくれないとなるとマトモに働く能力のない俺はマトモな仕事じゃない方法で生活の糧を得なきゃいけなくなるなぁって思っただけだよ」
俺が思っていたことを伝えるとマー君は舌打ちをする。
おっ、金を貸してくれるか? そう思って俺は期待するが、そんな俺に対してのマー君の言葉は──
「実は俺も金が無い」
はぁ? なに言ってんの、コイツ。
さっきまで金のある雰囲気を出してたじゃねぇか。
「実を言うと見栄を張っていただけで、俺はお前かゼティに金を借りるつもりだった」
「いやいや、何で金が無いの?」
「魔導院の学費やら何やらが嵩んでるんだよ。この世界にきて稼いだ金は全部、それに消えた」
全財産をはたいてまで、学生生活を送りたかったとか、コイツは頭がおかしいんじゃないだろうか?
まだ俺みたいに博打やら酒やらで金を使った方が理解できるよな。
「実際いくらある?」
俺が訊ねるとマー君は一旦部屋に戻り、ズボンだけ履き、そこに入っていた数枚の貨幣を俺に見せてきた。
「これが全財産だ」
この世界の物価というか、ソーサリアの物価だと一日の食費程度しかマー君は持ち合わせていなかった。
ちなみに俺は現金の持ち合わせは無い。すべて支払いラスティーナのツケ払いというキャッシュレス生活だ。
「戦って稼ぐか?」
他の街だったら、そこら辺で賭け試合をやったりして稼いでたが。
「無理だろ。テメェがいつもやってるような賭け試合に乗ってくるような奴はこの街にはいねぇ」
まぁ、魔術師の街みたいだし、お上品な奴が多いから野蛮な殴り合いは好かないのかもね。だったら──
「魔物を狩ったりダンジョンに潜ったりとかも無理だからな? ソーサリアにも冒険者はいるが、魔導院の学生は冒険者として仕事することは禁止されている。バレたら面倒なことになるから俺はパスだ」
俺の金稼ぎのパターンが潰されてしまった気がするんだが、否定っばかりしてるマー君は何か考えはねぇのか?
「地道に市内で出来そうなバイトでも見つけるしかないだろ。俺はそうするぜ」
そりゃあ人間時代から組織に属したり、人に仕えることになれたりしてるマー君はそういうの平気かもしれないけれど俺は無理だぜ? 絶対に揉めるって。
「そういうわけで俺は早速仕事を探しに出かけてくる。テメェと話してる間に仕事が無くなったら困るからな」」
そう言うとマー君は上着を羽織り、酒場から出ていこうとする。
そんなこと言うくらいな、もっと朝早くから仕事を探しに出てりゃいいじゃねぇかと思う。
おそらくマー君も俺の事をなんだかんだと言っていたが、結局は俺達にタカるつもりだったんだろう。
それが思いもがけず俺にも金が無くて、あてがはずれたマー君は慌てて仕事探しに出たってわけだ。
「どうすっかなぁ」
俺はどうしようか。
面倒くさくなったしマー君やゼティに養ってもらうって選択肢も無くはないよな。
俺は邪神でアイツらは使徒なわけだし、俺を養えって命令するとか──
「すいませーん! ピュレー商会の者ですが!」
どうやって養ってもらうかってことを考えようとした矢先、不意に店の前から声が聞こえてきた。
ピュレー商会っていうと……何者だろうか?
「商品代金のお支払いに関して、お客様の請求先として教えていただいた方と連絡が取れたのですが、支払いはお客様の負担となりましたので御連絡にあがりました。少々よろしいでしょうか」
ラスティーナが、俺の遊興費の支払いを拒みやがったってことだろう。
まずいね、集金人って奴か? 殴り合って負けることは無いだろうけど、暴力的な手段で踏み倒すのは良心が咎めるね。
俺の線引きだと、ラスティーナの金を無駄遣いするのは良心が痛まないけど、仕事でやってきた集金人を痛めつけるのは心が痛むぜ。ついでに代金を踏み倒すのもなぁ。彼らは俺が代金を払わないと困ることになるわけだし、無関係の人間を無闇に困らせるのは何か違うんだよね。少しでも知ってる人間だったり、俺の方に相手を困らせたいって意図があるなら別なんだけどなぁ。
「お返事がいただけないようでしたら、失礼とは存じますが踏み入らせていただき、直接に顔を合わせてお話をさせていただきたいと思いますが、ご了承いただけますか」
別に踏み入られて困るようなことはないんだけどね。
でもまぁ、見ず知らずの連中に家の中へ上がられるのは面白くない気分もあるんで、自分から顔を出そう。
そう思って、酒場の外に出るとそこで俺を待っていたのは──
「え、アッシュ君?」
武装した数人の集金人と、そいつらに守られるようにして所在なさげに立つ一人の少年。
その少年こそ俺の魔導院におけるただ一人の友人であるジュリアン・ピュレー君その人であり、これはもしや友達の誼で何とかなるのでは? そんな希望が俺の中に芽生えた瞬間であった。