勇者
アスラカーズが絶え間なく訪れる客への対応をしていた頃、カイル達は依頼でラザロス近郊にあるベーメン村を訪れていた。
カイル達が受けた依頼は最近になって村の周囲に現れるようになった魔物の退治。どのような魔物なのかは情報が無かったが、カイル達はそれほど警戒はしていない。ラザロスの近郊にはそこまで危険な魔物は生息していないというのが、ラザロスの町で冒険者をしている者たちは常識であり、カイル達もそう思い込んでいた。しかし——
「なんで、あんな魔物がいるんだよ!」
ベーメン村の近くでカイル達が出くわしたのは見上げるほど巨大な蛇——バジリスクと呼ばれる魔物であった。
カイル達も腕に自信が無いわけではないがバジリスクは手に余る。
素早い上に力強く、鎧のような鱗に鋼も貫く牙、そして何より猛毒を有するというバジリスクを相手に安全に勝利する方法をカイル達は思いつかず、逃げ惑うしかなかった。
「クロエ、魔術は!?」
「速すぎて当たらない!」
カイルは振り向き、追いかけてくるバジリスクの姿を確認するが、見上げるほどの大きさであっても、その動きは一般的な蛇と遜色は無いどころか、むしろ速いほどだ。
バジリスクは森の中を這い進む。その大きさゆえに木々が邪魔をするが、そんなものは関係ないと全てなぎ倒しながら、蛇の動きでカイル達を捕食するために追いかける。
「ギド!」
「わかってる!」
カイルとギドは立ち止まり、武器を構える。
自分たちの武器と技量ではバジリスクの鱗を貫くことは不可能であると分かっている。しかし、バジリスクに効きそうな唯一の攻撃手段であるクロエの魔法を当てるためには、自分たちがバジリスクの足止めをするしかないと覚悟を決めたのだった。
「行くぞ!」
「あぁ!」
カイルが剣を、ギドが斧を振りかぶってバジリスクに突進すると同時にコリスが弓を構えて矢を速射する。
コリスの放った矢がバジリスクに当たるが、何の傷も与えられない。しかし、注意を引くことは出来た。バジリスクの眼がコリスを捉えると同時にカイルとギドが斬りかかる。
「全然ダメだ!」
叩きつけた斧が鱗に弾かれ、ギドは叫ぶ。
同じようにカイルの剣も鱗に阻まれ、カイルは悔し気な表情を浮かべる。
だが、傷は負わせられなかったものの、バジリスクは自分にまとわりつくカイルとギドの存在に気づき、そちらに頭を向ける。そして、その瞬間は魔術の発動をクロエにとって絶好のタイミングだった。
「フレイム・ランス!」
クロエにできる最速の詠唱によって魔術が発動。
魔力によって形成された炎の槍が飛翔し、バジリスクに直撃と同時に爆発する。
「逃げるぞ!」
カイルが叫び、バジリスクに背を向けて撤退を宣言する。
誰も反論する者はいない。魔術を放ったクロエ自身も仕留められたとは思えておらず、カイルが叫ぶより先に撤退の構えを取っていた。
「どうすんだよ!?」
このまま逃げ切れるわけがないとギドは走りながらカイルに向けて叫ぶ。
一番身軽なコリスが時たま振り返って矢を射掛けて、バジリスクを牽制しようとするが、バジリスクは矢など気にも留めずにカイル達を追いかける。
「どうしようもないんだよ!」
村の方へ逃げれば、村人を囮にして逃げ切ることもできるかもしれない。そんな考えがカイルの脳裏をよぎるが、そんな考えをカイルは振り払う。
その方法を取らなければ自分たちが全滅することも理解している。だが、それでも、そんなことはしたくないとカイルは思うのだった。
「僕が足止めをする。その間に逃げろ」
倒せはしなくとも囮になってみる。
カイルはそう仲間たちに宣言し、立ち止まる。
「おい!?」
ギドも足を止めるが、その間にカイルはバジリスクに向かって走り出していた。カイルを止めようにもすぐには追いつけない。
そうしているうちにバジリスクとカイルの距離は縮まり、互いの攻撃が届く間合いに入る。もっとも、攻撃が届こうがカイルの方にバジリスクを傷つける術は無く、バジリスクの方はどんな攻撃であろうとカイルを簡単に仕留められる。
最初から勝負にならないことは分かっている。それでもカイルは仲間を守るためにバジリスクに立ち向かったのだ。
「ダメっ!」
クロエが叫ぶが、既にどうしようもない状況だった。
バジリスクは口を開け、カイルを丸呑みにしよう襲い掛かる。
カイルの方も既に生き残ることは諦めている。だが、それでも仲間が逃げるだけの時間は稼ぎたいと考え、剣を構える。そして——
次の瞬間、バジリスクの頭が斬り飛ばされた。
誰もが何が起きたか分からなかった。
ただ、斬り落とされた断面から噴き出た血が雨のように降り注ぎ、カイルの体を真っ赤に染める。
何が起きた?
僅かな間をおいて、カイルと仲間たちがバジリスクの頭を斬り落とされたことを理解すると、残った胴体の横にいつの間にか剣を携えた人が立っていることに気付き、状況からして、その人物がバジリスクを斬ったのだと理解する。
見た目はカイル達とさほど変わらない年頃で、赤いメッシュが入った灰色の髪が特徴の鋭い眼差しを持った青年だった。
青年は剣を鞘に納めるとカイル達に向き直り、訊ねる。
「無事か?」
その問いに対し、窮地を脱したばかりで、気が動転しており冷静になりきれていないカイル達はただ頷くことしか出来なかった。
「俺はゼルティウス。君たちと同じ冒険者だ」
落ち着かせようと思って青年は名を名乗ったのだろうが、逆にその名を聞いたことでカイル達は更に驚くことになった。青年が名乗った、その名は最近イクサス伯爵領で名を上げ、とある称号で呼ばれる男の名だったからだ。
『勇者ゼルティウス』
カイル達を救った青年は勇者と称えられる存在であった。
—―ゼルティウスに連れられベーメン村に戻ったカイル達はバジリスクの討伐を祝って開かれた宴に参加することになった。
主役は勿論、バジリスクを討伐したゼルティウスだ。一応ゼルティウスにも仲間がいたため、その仲間たちも主役の席に座っている。
「流石ですゼルティウス様」
「イクサスの勇者ですもの、当然ですよね」
「ゼルティウス様、お飲み物をどうぞ。あ、何かお食べになられますか?」
ただ、ゼルティウスの仲間は全員が女性の冒険者でゼルティウスにベッタリと寄り添って必要以上に世話を焼き、ゼルティウスの傍の位置をキープしている。
その女性たちが冒険者として優れているならば印象も変わるのだろうが、カイル達から見た限りでは自分たちにも劣る程度の冒険者にしか見えず、ゼルティウスの活躍のおこぼれに預かろうとすり寄っているようにしか見えない。
傍から見ればゼルティウスも自分に劣る者たちを侍らして、その者たちからチヤホヤしてもらい、お山の大将を気取っているようにも見えるが、その実力を知ってしまったカイル達はそんなことをは思えなかった。
カイル達が聞いた噂では、ゼルティウスは一か月ほど前にイクサス伯爵領にふらりと姿を現し、冒険者になると同時に圧倒的な強さでもって達成不可能とされた討伐依頼をいとも簡単に達成し、その活躍から勇者となったと聞いている。
カイル達はそれは噂で実力のほどは眉唾物だと思っていたのだが、バジリスクを苦も無く仕留めた腕前を見た以上、噂は真実であったと認めるしかなかった。
主役のゼルティウスが村人から感謝の言葉を受け取っているのを見ながら、カイル達は宴席の隅で酒と料理を口に運んでいた。ゼルティウスがバジリスクを倒したことは事実なのだから、ゼルティウスに対して嫉妬するような気持ちは無い。
ただ、ゼルティウスの取り巻きも一緒に村人から称賛されているのは面白くないという気持ちはある。だが、面白くないからと言って宴席で文句を言うようなことは避ける程度の分別はあるカイル達は、そちらを見ないようにして、仲間内での話に興じることにした。
「実際、強いと思うぜ?」
カイルと仲間たちが話題にするのはゼルティウスの強さ。
それを話題に出しながらもギドが思い出すのは自分が知るもう一人の強者の存在。
「ただ、アッシュと比べてどうなのかって話さ」
「いや、でもゼルティウスさんの方が上なんじゃないか?」
「でも、アッシュは邪神よ?」
「それ信じてるの?」
カイルはアッシュと戦ったことが無いため、その力量を完全には把握できていないが、それでもバジリスクをいとも簡単に倒したことからゼルティウスの方が上であると判断したのだった。
対してクロエはアッシュが邪神であるからという理由で何かもっと隠された力があって、それで勝てるのでは思い、コリスはアッシュが邪神であることを信じているクロエの方が気になっていたが——
「アイツって素手でしか戦ってないし、剣を持っている相手には不利だと思うからゼルティウスの方が勝つと思う」
どちらが強いかという話題についてもコリスなりの考えはあった。
「いやいや、アイツは素手でも武器持っていた相手に勝ってたぜ?」
「だけど、それは技量の差があったからで、技量が同じか上の相手には通用しないんじゃないか?」
「きっと邪神の力で何とかするはずだからアイツが勝つわよ」
そうして仲間内で強さ談義に盛り上がっていた結果━━
「何の話をしているんだい?」
カイル達はすぐそばに立っていたゼルティウスの存在に気づけなかった。
「邪神がどうとか言っているように聞こえたんだが」
ゼルティウスは問い詰めるという感じではなく、穏やかな表情であったが、カイル達はそれでも自分たちの知っていることをゼルティウスにそのまま語るのは良くない気がして、誤魔化そうとするのだった。
「いや、気のせいですよ」
カイル達は内心、冷や汗をかいていた。
邪神と呼ばれる神はこの世界にはいないはずだが、名前だけ聞くと魔族の崇拝する黒神のイメージに近いため、そんな存在を自称する輩と親しいと知られれば、どんなとばっちりを受けるか知れたものではない。ただでさえ、今は人間と魔族の戦争中なのだから、敵側に通じているとでも誤解されれば、カイル達も命が無い。
「俺達はアンタと同じくらい強い奴がいるっていう話をしていただけだ」
ギドが話を逸らそうとする。もっとも、それは実際に話していたことでもあるので、嘘をついたわけでもないため、何を言われても言い訳はつく。
「へぇ、そんな奴がいるんだ。どんな人なんだい?」
強い奴という言葉に興味を惹かれたのか、ゼルティウスはギドの話に食いつく。
このまま邪神の話は無かったことにしようと、カイル達はゼルティウスの質問に答えることでこの場をやり過ごそうと考えるのだった。
「えーと、なんだか凄く目立つ人でした」
「特別、顔が良いわけでもないのになんだか、存在感がある奴だったな」
「町の外でお金を賭けて喧嘩をして、巻き上げたお金で生活してるみたいだった」
「自分のことを世界最強って言って、看板を立ててた」
カイル達から得られた情報を聞きながら、ゼルティウスは腕を組んで考え込むような姿勢を取る。
「そいつの名前は?」
「アッシュ・カラーズ」
カイル達から名を聞くと、ゼルティウスはアッシュという名を反芻し、深く心に刻みつける。
「ゼルティウス様、こっちにきて一緒にお話ししましょうよ」
「そんな奴ら放っておいて私たちと楽しみましょう」
カイル達と話していたゼルティウスにゼルティウスの取り巻きが近づき体を寄せる。
自分に体を密着させる女たちに仕方ない奴らだと苦笑しながら、ゼルティウスはカイル達に申し訳なさそうに言うのだった。
「悪いね。ちょっと外させてもらうよ」
そう言ってゼルティウスは取り巻きの女性たちと、祝宴の場からコッソリと抜け出していった。
「あれ帰ってこねぇよな」
「朝までコースじゃない?」
ゼルティウスの背中を見送りながらギドとコリスが呟き、カイルとクロエも口には出さないが同じことを思っていた。
主役がいなくなったため、宴はお開きの流れになり、会場からチラホラと人が減っていく。
カイル達も明日も仕事があるため、ほどほどの時間で宴の場から抜け出し、村の宿へと戻っていった。
—―そして、その翌日。
ベーメン村にゼルティウスの姿は無く、取り巻きの女性だけが村に残されていた。
夜中の内に村を抜け出したゼルティウスは何処かへ一人で旅立ったようで、誰もその行方は知らなかった。