誰かに見られている
ここで戦ろうぜ?
そんな俺の提案に対して先輩は何を言ってるんだコイツはって感じの目で俺を見てきた。
情けねぇ野郎だぜ。公衆の面前で殴り合いをするのが怖いのかい?
そんなことしたら問題になって立場が悪くなるから嫌? それとも俺にボコされる所を人に見られるのが嫌なのかい?
笑えるぜ、ツラを貸せなんて言って人気の無いところで下級生を痛めつけようっていう奴に恥を感じる心があるなんてな。
「ビビってるのかい? ぶちのめされるなら、せめて人気の無いところでお願いしますってことなら応じないでもないけどさ」
ほら、そっちの顔を立ててやろうってんだから、お願いの言葉を俺に聞かせてくれよ。
「『自分は喧嘩をする際、そのことが問題になったり、自分が負けたりする所を見られるのが怖いので人前では喧嘩ができません。どうか人目につかない所で喧嘩をしてくれませんか』ってな感じの言葉を俺に聞かせてくれ、そうすりゃついていってやるからさ」
俺の挑発的な物言いに反応して先輩の顔が険しい物に変わる。
イラついてんだろ? さっさと戦ろうぜ?
「が、学内での私闘は禁止されているぞ!」
先輩の陰に隠れている教師が叫ぶが俺は無視して、先輩に「かかってこい」と手招きする。
その様子と先輩が発する怒りの気配を感じた教師が慌てて教室から出て行こうとする。
「わ、私は知らんぞ! 何も見て無かった」
自分の監督不行き届きが問題にならないように教師は逃げ出したようだ。
良いねぇ、お誂え向き状況になって来たねぇ。
「ほら、騒ぎ立てる奴も消えたぜ? それでも戦らねぇってことは本当に俺にビビってるのかい?」
「今まで生きてきて私にそんな口を聞いたのはお前が初めてだ」
「そいつは浅い人生経験なことで。俺からすると、キミ程度の奴が今まで誰にも舐められてなかったってことの方が不思議なんだけどね」
その言葉を切っ掛けに、カッと目が見開き先輩が俺に向けて手をかざす。
その瞬間、蹴りを放って俺は自分に向けてかざされた手を払いのけた。
払いのけた手から魔術が放たれ教室の机に直撃し、遠巻きに眺めていた学生たちが悲鳴をあげて逃げ惑う。
「貴様ぁ!」
「キミの名前は?」
先輩は俺から距離を取るために飛び退く。
判断は悪くないね。同じ距離のままだったら、顔面殴っておしまいにしてたからさ。
「サリードだ! エルシアン王国の伯爵家の生まれである私を此処まで侮辱してタダで済むと思うな!」
「俺はアッシュだ。再戦の申し込みなら何時でも受け付けるぜ」
「もう勝ったつもりか! 舐めるな!」
サリードという名前の先輩が再び俺に向けて手をかざす。
舐めるなって言われても、その程度でじゃあなぁ。
俺はサリードの手に魔力が集まると同時に横に素早く跳ぶ。その俺の動きに合わせて手の向きを変えるが追い切れていない。
「そこだ!」
狙いが正確ではない状態で放たれるサリードの魔術。当然、それは俺から外れて教室の窓をぶち抜く。
サリードはこれまで一度も詠唱していないことから無詠唱で魔術を唱えられるってことは間違いないだろう。それはきっと、魔術師として有能であることの証明なんだろう。だが──
「戦いは下手だな」
俺は教室の机の上に飛び乗り、机の上を飛び移って移動することで狙いを定めさせない。
サリードは俺の動きに合わせて手を動かし、照準を俺に合わせようとするが、それでも狙いが定まらない。
そうしてサリードが手をこまねいている一瞬の隙を突き、俺は机の上からサリードの元へと跳躍する。
「遅いぜ」
サリードが咄嗟に俺にその手を向けるが、俺はその手を手刀で叩き落とす。
手をかざしてそこから魔術を放つってのは狙いも付けやすく見えるしオーソドックスで良いけど、こんな風に掌の向きを変えることで簡単に防げる。
「一応言っとくと、手かざし式の魔術発動って速く動く奴には向かないぜ。それとな──」
高速で動く奴相手には手の動きが間に合わないからな。まぁ、それ以外にも問題はあるんだけどね。
それを口には出さず、俺は続けざまにサリードの腹に拳を叩き込む。
無詠唱で魔術を放ち、迎撃しようとしたようだが間に合わず、俺の拳の直撃を受けてサリードは膝から崩れ落ちる。
「俺みたいなガチガチの近接戦闘者相手だと無詠唱とかの魔術でもまだまだ遅いぜ」
人間だった時に接近戦だと銃よりナイフの方が早いって話を聞いたことがある。
その理由は銃は『抜く、狙う、撃つ』の3アクションに対してナイフは『抜く、斬る』の2アクションだからって理由だ。
それと似た理由が無詠唱の魔術にも言える。
無詠唱は一般的には詠唱する魔術より早いみたいだが『使う魔術をイメージする、魔力を練る、狙う、放つ』って感じの手続きが一般的には生じる。
まぁ、その手続きも他人や魔術の種類によって変わるが、概ねこんな感じで、この手続きがある程度腕の立つ近接戦闘者と対峙した際には致命的な遅れになる。
特にイメージするってのが致命的だ。高速で状況が変わる近接戦闘の際にイメージに思考のリソースを割くってのは自殺行為。イメージをするってことで意識の一部をそちらに向けてると反応や反射が遅れて死ぬことに繋がる。
だからまぁ、魔術師が一対一で戦闘する際に魔術を使うなら無詠唱でも遅すぎるくらいだ。
もっとも、魔術師がタイマンで戦う方法はいくらでもあるんだけどね。
「ま、経験の差ってのもあるしな。それを踏まえると、そこまで悪いわけじゃないかな」
俺は言いながら膝を突くサリードの頭に蹴りを入れて意識を刈り取る。
強い先輩っていうからどんなもんかと思ったけど、この程度か。使徒かと思ってた俺が馬鹿みたいだぜ。
──笑ってくれても良いんだぜ、みなさん? 辺りを見回せば何時の間にか野次馬が大勢いらっしゃるぜ。
「みなさんお集まりのようで何か御用ですかってね」
俺が肩を竦めながら野次馬に呼びかけると、野次馬の中から数名の学生が人混みをかき分けて俺の前に現れる。
「我々は風紀委員会の者だ。学内の秩序を乱す貴様の行いを正しにきた」
まぁ、そうだよね。周りを見れば分かるけど大騒ぎ。
学内の秩序を乱してると言われれば言い訳のしようもねぇなぁ。
「それで? 不良学生を皆さんで私刑にかけようってことですかねぇ?」
次から次へと俺を退屈させてくれなくて素晴らしいぜ。
キミらも俺と戦りたいんだろ? 全くモテる男ってのはツラいねぇ。
「言葉に気をつけろ。我々の行為は学内の秩序を守るため治安維持活動だ」
「さいですか。どっちにしろ俺をぶちのめしたいってことだろ? なら、戦ろうぜ?」
俺がビビる様子も無く平然としていることで逆に風紀員会とか言う連中の方がたじろぐ。
「……ここでは、他の学生に迷惑がかかる。場所を変えるぞ」
「どいつもこいつもそればっかりだなぁ。キミらの正義ってのは時と場所を考えないと振るえないもんなんですかねぇ。TPOを弁える正義って何? 都合が悪い時は悪を見逃すのかい? 本当に正義を為したいって言うなら、この場で俺を何とかする方が良いんじゃないですかねぇ?」
野次馬がいるとマズいってことってあるのかい?
「あぁ、そうか。自分たちが負けるところを他の学生に見せたくないのかい。情けないねぇ、自分の保身を考える正義とか怖くも何ともねぇよ。風紀を守るとかいって本当に守りたいのは自分の立場ですってか? ご立派だねぇ。拍手したくなるぜ」
「貴様!」
ガキは煽ると簡単に乗ってくれるから楽しいぜ。
もっと楽しくしようぜ? さぁ、喧嘩の時間だ──
──とまぁ、そんな感じで意気込んだのは良いけど、結果はそれほど楽しくなかった。
サリードとタイマンしてる方がマシでしたってね。
風紀委員の連中は結果的に10人くらいいたけど、数の有利を生かせずに全員が俺にボコられて教室や廊下に転がっている。数分で全滅とか、戦闘経験無いにしても何とかなんねぇんだろうか?
「次はいねぇの?」
俺は野次馬に呼びかける。その野次馬たちも最初は歓声とも悲鳴ともつかない声を上げていたが、いまでは顔を青くしてドン引きしているだけで俺の声に反応が無い。
まぁ、学院にいるのは坊ちゃん嬢ちゃんだから、荒事なんか目にしたことも無いだろうし、目の前で凄惨な暴力の現場を目の当たりにすれば声を失っても仕方ないだろう。
もっとも、そういう学生ばかりではないけどさ──
「つまんねぇなぁ。俺を見てる連中も今日は戦らないのかい?」
俺が戦っている最中そして今も感じる俺を値踏みするような視線。
しかし、俺が呼びかけると次の瞬間にはその気配もフッと消える。
「ま、収穫はあったから充分だけどさ」
俺に向けられていた視線の一つには使徒の物があった。
ただ、その視線に込められた想いは殺意だったけどね。どうやら俺のやってることが逆鱗に触れたようだ。
結果的には使徒を誘き出すことには成功したが、怒りも買ったようだ。
「さて、これからどうなることやら」
まぁ、怒りを買ったならそれはそれで良いけどな。
使徒と喧嘩することになるとか俺にとってはワクワクする状況以外の何物でもねぇからな。