登校初日
「では、好きな席に座ってくれ」
教師はアッシュが自分の名を名乗るのを聞き届けると、それだけ言って座るようにアッシュに促した。
しかし、アッシュはその対応に不満を隠さない。
「いやいや、まだ自己紹介もしてないんだぜ? もう少し話をさせてくれよ」
そう言ってアッシュは教壇から降りようともしなかった。
「せっかく、夜も寝ずに最高に受ける自己紹介を考えてきたってのに、つれないこと言うなよ、センセイ」
馴れ馴れし気にアッシュは教師の肩を叩く。
その態度に教師の方は嫌悪感を露わにしていた。
少なくとも魔導院の教師になってから、このように無礼な態度を取られたことが無い教師にとってアッシュの馴れ馴れしい態度は許しがたい物であり、この時点でアッシュに対する人物的な評価は最低にまで落ち込んでいた。
「聞きたい? 一週間、夜も寝ずに徹夜で考えた俺の最高の自己紹介」
嘘である。
実際にはアッシュは一秒たりとも自己紹介など考えてはいなかった。
ただ、教師が自分に対しておざなりな対応をしていたので、ちょっとした反抗心が芽生えて口から出まかせを言ってしまっただけだった。
「結構だ。すでに授業を行う時間になっている。キミのくだらない話で他の学生の学ぶ時間を奪うわけにはいかない」
至極真っ当な意見であった。
魔導院というのは魔術を学ぶ学校であり、それが最優先事項である。学生同士の交流などは二の次であり、重視などはしていない。学生は自分のことだけ気にして魔術について研鑽を積むことが求められており、学生同士の交友を重視していないのだから、自己紹介などをして学生の人となりを知る必要もない。
「つまんねぇなぁ、じゃあいいよ。最高に面白い話があったんだけどなぁ。聞きたくねぇか、そうか残念だなぁ」
アッシュは「勿体ない、勿体ない」と呟きながら、教壇を降りていく。
ちなみに、そんなことを言いながらアッシュは助かったと思っていた。なにせ、本当は何も考えていなかったのだから、むしろ許可を出されていた方が困ったことになったからだ。
後先考えず、適当なことをその場で思いついて口にするから厄介なことになるのだと、いつまで経っても学ばない男である。
「で、俺はどこに座ればいいわけ?」
「……その前に、教師に対して、そのような言葉遣いは如何なものかと思うのだが」
教師と言っても魔術を教えるだけであり、生活態度について指導した経験がない教師は教壇の上から言葉を選んでアッシュに注意する。
これまでの学生は出自は様々で教養も様々であるが最低限の言葉遣いは出来ていたし教師としても我慢することは出来たが、アッシュの無礼で目上の者を敬う気配の無い言動について我慢することは難しかった。
「さーせん、これから気をつけまーす」
対してアッシュはというと人間時代から、こんな調子であるので注意されたとしても口だけで、改めようという気配は全くなかった。
だが、一応の謝罪は聞くことができ、態度も改めるという言葉も聞くことが出来たので教師は良しとすることにした。
これが多少なりとも学生の生活態度について指導した経験のある教師ならば、アッシュの言葉に反省の色が無いことを見抜くことは出来たのだろうが、魔術をおしえることしか関心のない教師にそういった学生の本心を見抜くということは困難であった。
「……好きな席に座れ」
そう言われてアッシュは好きな席に座ることにした。
教室の座席は教壇が中心に扇形になるように長い机が縦横に列を作って並べられている。
アッシュはその中で一番後ろの席に座ることにした。
「どうも、どうも」
机と机の間を歩いて最後列に向かうアッシュに学生たちの奇異な物を見る視線が突き刺さる。
だが、アッシュはそんな視線を気にすることも無くヘラヘラと笑いながら、席に座っている学生たちに声をかける。
──その様を見ながら最後列に座るジュリアンは今後のアッシュの学生生活が暗い物になるであろうと予測していた。
出る杭は打たれる。
ジュリアンの経験上、調子に乗っている新入生というのは、他の学生に身の程というものを体に刻み込まれる。ジュリアン自身は調子に乗っていなかったが、単純に他の学生との実力差で身の程を知ることになったし、学生の中には魔術で痛めつけられ、自分の実力を思い知らされ、その後も暗い学生生活を送ることになったという例はいくらでもあった。
アッシュもそれの例と同様、思いあがった振る舞いのツケを自身の体で支払うことになるとジュリアンは予測していた。
教室の一番後ろからだと、誰が何をしようとしているのか良く分かる。
教室の一番後ろへ向かって歩いてくるアッシュに対して、何か仕掛けようとする者がいるのもジュリアンの席からは良く見えた。
何か仕掛けようとしているのは、ドニとデノスの二人だ。その二人は先程ジュリアンに対して暴力を振るった二人であり、その二人が調子に乗った振る舞いを見せる転入生のアッシュに魔導院の洗礼を浴びせようとしていた。
ドニとデノスの二人は静かに魔力を集め、魔術の発動の準備をしている。
二人が使おうとしている魔術はジュリアンに対して使ったものと同じ、風を起こしてぶつける魔術である。
ダメージを与える魔術ではなく、当たりどころが悪ければ転倒する程度の威力しかない。
しかし、ドニとデノスの目にはアッシュは隙だらけであり当たれば転倒させられるという確信があった。
調子乗った転入生を人前で派手に転ばせて恥をかかせてやる。ドニとデノスは自分たちの横をアッシュが通り過ぎようとした、その瞬間を見計らって魔術を放とうとし、そして次の瞬間──
アッシュは拳を叩き込んだ。
二人が魔術を発動するより早く、アッシュの拳がドニの顔面を捉えていた。
周囲からは通り過ぎる直前に、アッシュが急に立ち止まりドニの顔面を殴ったようにしか見えない。
「喧嘩上等かい、この学校は?」
鼻がへし折れて血が噴き出す、前歯が砕けて零れ落ちる。
ドニは悲鳴を上げながら顔を手で押さえているが、押さえた手の隙間から帯びた正しい量の血が流れ落ちている。
「お、おま!?」
仲間が血を流して悲鳴を上げるのを見てデノスは狼狽えて硬直する。魔術など発動できるような精神状態ではない。しかし、アッシュはそんな相手で手心を加えることは無く、デノスの髪を掴んで顔面を机に叩きつける。
デノスの顔もドニと同じく鼻と歯が折れ血が噴き出し、それを見ながらアッシュは不敵な笑みを浮かべ言うのだった。
「喧嘩を売るなら相手を見て売るんだな。遊びのつもりでちょっかいかけたらダメな相手もいるって勉強になったかい?」
アッシュの言葉に返事もできずドニとデノスの二人は呻き声をあげるだけだった。
突然のアッシュの凶行に他のクラスメイトも騒然とする。悲鳴をあげる者もいれば、大量に流れ出る血を見て卒倒する女子学生もいた。
「何をしている!?」
唯一、教師だけがアッシュの行動を問いただすことが出来たが、その教師にしても突然の出来事に顔を青ざめさせていた。
「なんか文句あるのかい? このアホどもは俺に魔術を撃とうとしてきたんだぜ? そんな熱い歓迎に俺は拳でもって応えたんだ、それに何か文句でもあるのかい?」
平然と答えるアッシュに教師は顔を青ざめさせたまま言う。
「詳しい話は教務室で聞かせてもらう!」
そう言われてもアッシュは平然とした表情を崩さない。
人間だった時、学校に通っていたころは呼び出しをくらわなかった日が無い男なので慣れきっており、今更どうも思わない。それが例え異世界の学校の登校初日であってもだ。
「別に構わねぇぜ。ただし、俺はアウルム王国のラスティーナ王女の推薦で入学してるんだ。そのことをしっかり頭に入れてから俺の処分を決めるんだな」
登校してから一時間も経たないうちに暴力事件を起こし、その上で権力者とのコネを叫ぶ。
それがアッシュ・カラーズの魔導院登校初日であり、アッシュ・カラーズという男によって引き起こされる魔導院の魔導院の混乱の日々の始まり。そして、ジュリアン・ピュレーという少年の運命が変わった日であった──