ソーサリア
魔導国家ソーサリア。
アウルム王国より幾つかの国を挟んで西方に位置し、大陸の中央に存在する国である。それはつまり大陸の東側を勢力圏とする人族国家の最西端に位置する国家ということである。
ソーサリアより西は魔族の勢力圏であり、そのことからソーサリアは東西に大陸を二分する人族と魔族の争いにおいて人族の勢力圏を守るための砦であった。
ソーサリアの西ある荒野、その向こう側が魔族の勢力圏であり、魔族は人族の領域に攻め入るためにその荒野を越えることを宿願としているが、ソーサリアの魔術師たちが作り上げた結界によって魔族は荒野を越えることが出来ないでいた。
そうして人族の領域の守るための防衛線を構築していることからソーサリアの人族国家の中での地位は高い。
もともとソーサリア自体は国ではなくソーサリアと呼ばれる一つの都市であった。
そういった貢献から各国の支援を受け、やがて一つの都市を中心に自治独立を果たす国家が形成されることとなり、ソーサリアは国家を称しているが現在もたった一つの都市で国家を形成する都市国家である。
ソーサリアはただの都市であった頃から、魔術師の育成に力を注いでおり、そのため魔導院と呼ばれる魔術師ための教育機関が存在している。
国家の成立の経緯や、その後の発展への寄与、そして人族の領域を守るという役割から、ソーサリアにおいて魔術師の地位や価値は極めて高く、そういった者たちを育成する役目を与えられている魔導院自体もソーサリアにおいて高い地位と価値を有していた。
だが、だからといって魔導院の入学に関して厳格な審査があるというわけではない。ソーサリアの魔導院はそれが有する社会的な地位や価値に反して広く門戸を開いており、魔術の素養がある者であれば、どのような者でも受け入れていた。
ソーサリア出身の者も他国の生まれ者も、農民も商人も貴族も関係なく、少しでも魔術の才能があれば、どのような者でも入学を認めている。また、成績次第で卒業後の就職も保証されている。
多くの持たざる者にとっては魔導院で良い成績を収めることこそが唯一の立身出世の道であり、栄達を求めて毎年、多くの若者が魔導院の門をくぐる。
だから、どんな人物がやってきても魔導院の生徒たちは驚くことは無い。
様々な境遇の学生が集い、それぞれに何かしらの事情があるだろうということを理解しているからこそ、魔導院の学生はことさらに騒ぐようなことはしない。たとえ、それが時季外れの新入生であったとしても──
その日は良く晴れた初夏のある日の事であった。
魔導院第に所属するジュリアン・ピュレーはその日も憂鬱な表情で自分の席に座っていた。
その理由に複雑なものは無い。ジュリアンという少年が憂鬱な表情を浮かべているのは、単に彼が落ちこぼれだからだ。
座学、実技ともにジュリアン・ピュレーという少年は魔導院において平均以下であり、それ故に他の学生たちからは侮りと蔑みの目で見られ、無能な役立たずという認識で酷い扱いを受けている。
そんな状況であるから、ジュリアンは魔導院に来るのが憂鬱で仕方なく、その表情も自然と暗くなる。ジュリアンは教室の一番後ろの席で俯いて静かに座り、一日が早く終わることを願っていた。
元来ジュリアンという少年はこのような性格ではなかった。
アウルム王国でも名の知れた商家の生まれで地元では魔術の神童と呼ばれていたジュリアンは長男ではないため家を継げないことから、魔術師として身を立てようとソーサリア魔導院の門を叩いた。
入学当初のジュリアンは自信に満ち溢れ、明るい性格であり、自分には輝かしい未来が待っていると信じていた。しかし、その自信はすぐに打ち砕かれる。
ソーサリアの魔導院には人族世界から優秀な者たちが集まる。地元で神童と呼ばれていたジュリアン程度の才能の持ち主はいくらでもいて、そしてジュリアン以上の才能を持つ者も数えきれないほどいた。
そうした者たちに囲まれたジュリアンは自分の才能が取るに足らないものだと思い知らされることになり、今に至る。
自信は失われ、魔導院にやってきた頃の気持ちもなくし、今ではジュリアンは教室の中にいても何事も起こらないで欲しいと思いながら時間が過ぎるのを待つだけとなっていた。
「なぁ、聞いたか? 転入性が来るらしいぞ?」
教室の中で学生達の話す声がジュリアンの耳にも届く。
ジュリアンはそちらの方に視線を向けずに机に突っ伏し、寝たふりをしていたが会話をしている学生の視線をジュリアンは感じていた。
「こんな時期に入ってくるとか、いったいどんな奴だろうな?」
あぁ、またかと思いながらジュリアンは聞こえてくる声に耳を傾けないように意識する。
「どんな奴でもアイツよりはマシだろ?」
「おいおい、そりゃそうだろ。親に金を出してもらって居座ってる奴よりはマシに決まってるって」
ジュリアンは寝たふりをしているが聞こえてくる声は段々と近づいてくる。
「まーた、寝てるぜ。この落ちこぼれ」
「おーい、本当に寝てるのか?」
わざわざジュリアンのそばまで来て声をかけてくるのは同級生の二人組だ。
なにかとジュリアンにちょっかいをかけてくる二人で、ジュリアンは苦手としていた。
二人とも魔術師としてそれなり以上の実力であり、その上二人の実家は貴族に当たる。関わってはいけない相手であり、ジュリアンは二人の興味が別の方に向かってくれるまで寝たふりを決め込もうとしていた。
「寝たふりだってのは分かってんだよ」
片方が机に突っ伏しているジュリアンの頭を手で叩く。
僅かに反応を見せると、もう片方がゼティの体を蹴って、椅子の上から落とす。
「お、やっぱり起きてるじゃないか」
「なに無視してんだよ。俺達が話しかけてやってんのに」
床の上に尻餅をつき二人を見上げるジュリアン。しかし、すぐに視線を逸らす。
何事も無かったように、その場を立ち去ろうとするが──
「おい、なんだ今の目つきは?」
「もしかして俺達を睨んだのか?」
二人組は立ち去ろうとするジュリアンに、そう難癖をつけると、ジュリアンの背に向けて風の魔術を放つ。
それは突風を起こす程度の魔術でダメージ自体は殆ど無いが、背中に強い風を受けたジュリアンはその場に転倒し、それを見て二人は声を上げて、ジュリアンの無様を笑う。
「赤印のくせに」
「お情けで魔導院においてもらってる分際でなんだ、その態度は」
「お前みたいな落ちこぼれに構ってやってるっていう俺達の優しさが分からないのか?」
二人組は指先に魔力を集め、魔術を放つ用意をする。
ジュリアンは落ちこぼれであるが、それでも怪我をさせるのは拙いと、二人組は理解している。だから、使う魔術は小動物も殺せないような威力の魔術だ。だが、その分、傷も残らないしやりすぎることは無い。
教室内には他に学生もいるが、これから行われるであろうことに関して傍観者の立場を取っていた。
その理由は単純で面倒ごとに関わりたくないに尽きた。それが落ちこぼれが関わるとなれば尚更で、落ちこぼれを庇って面倒ごとの渦中に飛び込むなど考えられなかった。
だから、ジュリアンを庇うものなど、この場には誰一人としていないし、誰も手を差し伸べる者はいなかった。だが──
「何をしている。朝会を始めるぞ、席につけ」
時間だけはジュリアンの味方をして、二人組が魔術を放とうとしたその時に教室のドアが開いた。
教師は教室内を見回すと、そのまま真っ直ぐ教壇へと向かい、学生が席に着くのを待つ。
二人組も教師の前でジュリアンに危害を加えるような度胸は無く、速やかに自分の席に座り、ジュリアンも何事も無かったように自分の席に戻る。
「授業を始める前に、今日からこの組に入る転入生を紹介する」
魔導院の教師の大半は事務的な対応に終始している。
そのため、転入生がやって来るという出来事も軽いことのように扱い、そういった扱いであるから学生の方も自然と大したことではないと感じるようになっていた。
「入れ」
教師がそう言って転入生が教室の中に入ってくる。
転入生の存在などはそれほど珍しいことではない。だから、ジュリアンを含め教室の中にいる学生はそれほど騒ぐことでもないと思い、無表情で転入生を迎えようとしたのだが──それも、転入生が教室の中に入って来るまでの事だった。
一人の少年が教室の中に入ってくる。それだけで教室の中にいた学生たちの目が奪われる。
特別に美しい顔立ちをしているわけではない。だが、その身に纏う雰囲気が教室にいた者たちの目を奪い、その意識を奪う。ジュリアンも当然、他の学生と同じように教室の中に入ってきた少年に目を奪われていた。
「どうも」
少年は教壇の上に立って挨拶をする。
そうして挨拶した少年は整ってはいるが絶世の美貌というわけではない。だが、それでも教室の中にいた学生たちは壇上の少年から目を離せない。
美しさではなく強烈な自信、自らが歩んできた生に裏付けされた自信から生じる雰囲気と気配が学生たちを圧倒し、その目を釘付けにしていた。
「アッシュ・カラーズです。みんな仲良くしてね」
壇上の少年はそうして教室の学生たちに笑いかけるのだった。
ちょっと区切りがイマイチだった