幕切れ
アッシュと黄神の戦闘が第二ラウンドを迎えた頃、フェルムの街中ではゼルティウスがメレンディスと相対していた。
「何者ですか、貴方は?」
メレンディスは突如現れた男の気配に圧倒され後ずさりながらも問う。
ゼルティウスの発する気配は種類こそ違うものの神々が身に纏う物と同じ気配だとメレンディスの閉じた目は捉えていた。
得体の知れない存在に警戒を強めるメレンディス。アッシュの事は把握していたが、その仲間まで把握していないメレンディスはゼルティウスのことまで把握していなかった。
「アスラカーズ七十二使徒、序列七位ゼルティウス」
長剣を無造作に持ったゼルティウスは気負う様子も無く自然体でメレンディスの問いに答える。
そして、その答えを聞いたメレンディスはというと──
「使徒……ですか。あぁ、なるほど貴方が……」
使徒という言葉を耳にしメレンディスの過去の記憶が蘇る。
使徒という言葉は白神教会の教義の中には存在せず、その言葉を人から聞いたこともメレンディスは一度しかなかった。そして、そのたった一度を口にしたのは──
『きっとキミは遠い未来に使徒を名乗る者に出会うだろう。覚悟するといい、その時こそキミが全てを懸ける時だ』
それはメレンディスが修行時代の記憶。
手ずから修行をつけてくれた際、白神教会の教皇がメレンディスへと授けた言葉だ。
今になるまで、思い出すことは無かったが、目の前に使徒が現れたことでメレンディスは教皇が伝えた言葉を思い出した。
「ならば、今が正念場ということですか」
メレンディスは神器を起動しながら閉じた目に意識を集中させゼルティウスの気配を読み取ろうとする。
対してゼルティウスはというと剣を無造作に構えたまま、積極的に構えを取ることも無く、顔に何の表情も浮かべずにメレンディスを見ていた。
「では、行きましょう──」
メレンディスが神器を起動──だが、その瞬間メレンディスの右腕が斬り飛ばされていた。
反応をすることも何も出来ず、何が起きたかも分からないままメレンディスは衝撃でその場に転がる。
地面に倒れるメレンディスをゼルティウスは無表情で見下ろしていた。
「その眼は仙理眼だな。誰に習った?」
ゾッとするほど冷たい声音でゼルティウスは問う。
「それは俺達が滅ぼした世界の術だ」
仙理眼──それは万物に宿る力の流れを感じ取ることで視覚を用いずとも、この世の全ての事象を距離も位置も何もかも超越して認識し知覚する技術。ゼルティウスはそう記憶しており、ゼルティウスの記憶通りにメレンディスは目を閉じながらも、その技術によって周囲の全てを知覚していた。
「この世界の人間が独自に辿り着ける境地にある術ではない。もう一度聞く、誰に習った?」
メレンディスの用いる技と術の大半は修業時代に教皇から授かったものだ。
だが、それを素直に伝えるべきかメレンディスは判断がつかない。
白神教会にこそ失望しているものの、メレンディスは教皇の対する敬意は欠片も揺らいではいない。
余計なことを口走り教皇の不利益に繋がることは避けなければならないと本能が訴える。メレンディスは腕を失った痛みに耐え、体を起こすと残った腕をゼルティウスに向けて突き出す。
その動作だけでゼルティウスはメレンディスの攻撃を察することができた。
「『流撃』も使うか」
呟くとゼルティウスは内力を高め、瑜伽法を発動する。
そうして発動するのは瑜伽法の初歩の術法である『根』。
瑜伽法を身に着けるための第一段階のこの術法は、自分と自分が立つ世界の同期を強めるための術であり、根を張るようにして自分を揺るがぬ存在として固定する。
「その技は世界に満ちる力の流れを利用し、相手の存在そのものを揺さぶり衝撃を与える術だ。自分の存在を固定しておけば簡単に無力化できる」
そう言いながらゼルティウスはメレンディスが放った攻撃を何事も無かったように防ぎつつ、近くに倒れているサイスとリィナを見て、二人から感じる気配にゼルティウスは『流撃』を食らって倒されたのだと理解する。
「仙理術士が只の人間相手に技を振るうとは世も末だな。お前の心得が悪いのか、それとも、お前の師が悪いのか」
ゼルティウスは殺意を隠さずメレンディスに近づく。
「どちらにしろ仙理術士は殺すだけだ」
仙理術士──とある世界にて生まれた仙理術と呼ばれる特殊な術法を操る者たちで、アスラカーズが百年以上も昔に総力を挙げて滅ぼした集団。
仙理術士たちはアスラカーズとその使徒たちとは全く相容れぬ性質と思想を持っていたが、それだけならば、とある世界の特殊な一事例として見逃されただろう。
だが、仙理術士たちは神やその使徒でないのにも関わらず独力で異世界を旅する力を身につけ、自分たちの思想と力をあらゆる世界に広めようとし、そしてその結果、アスラカーズの逆鱗に触れたことで、仙理術士たちは滅ぼされることになった。
あのアスラカーズが殺すことを躊躇わず滅ぼすことを許した者たちだ。アスラカーズを少しでも知っている者ならば、それだけで危険性を察することができる。
好戦的ではあるが不寛容ではないのがアスラカーズという神であり、その神が許すことができずに滅ぼすことを決めたのが仙理術と仙理術士たちである。
もっとも、仙理術士たちも滅ぼされることを受け入れることはしなかった。その結果、アスラカーズとその使徒との間で複数の世界を跨る大戦争が勃発し、最終的にアスラカーズ自身とゼルティウスを含めた序列一桁台の使徒の全員を動員したことで仙理術士たちは滅んだはずだった。
「お前たちは生かしておくには危険すぎる」
アスラカーズの使徒として仙理術士達との戦いに参戦したゼルティウスは仙理術と仙理術士達の危険性を理解している。
彼らはアスラカーズの生まれた世界の言葉で言えば仙人に近い存在であり、思想もそれに近いはずだが、決定的に違う点としては仙理術士達は自分達こそが至高の存在であり、世を導くに相応しい存在だと信じていることだ。
「なにを……いっているのか」
メレンディスはゼルティウスの言っていることも何を思っているのかも全く分からない。
それも当然でメレンディスは自分の用いる技について、白神教会の教皇から伝授された以上の事を知らず、当然、自分が用いる術法が仙理術などという名であることなども知らない。
「お前が何も知らなくともそんなことは関係ない。少なくとも、この世界には仙理術を人に伝授できる『導位』の位階に達した術士がいて、お前はそいつから術を教わり仙理術士となった。それだけで、|使徒(俺)がお前を殺すには十分すぎる理由だ」
仙理術を会得したものは生かしておくわけにはいかなというのはアスラカーズの使徒の共通認識だ。
もっとも、アスラカーズがあの性格なので滅ぼしたといっても力の弱い術士は見逃しているし、他の使徒も自分の都合で仙理術士を保護しているかもしれない。
だが、それでも人に仙理術を教えられるような力のある術士は野放しにはしておかないし、只の人間相手に平気で術を行使する仙理術士などは尚更、放ってはおかない。
「最後に聞く。誰に習った? 答えれば苦痛も感じることもなく殺してやる」
殺すことは確定だ。仙理術士とアスラカーズは相容れないし、その使徒とも相容れない。
メレンディスはゼルティウスの言葉が脅しでもなんでもないと感じ取り、息を呑む。切り落とされた腕は魔術で出血を止めているが、それでも失った血は多くマトモな戦闘が不可能であると自分の状態を理解していた。
「残念ながら、今の私にも恩を受けた者に報いるだけの人間らしい心は残っているのです」
それでもメレンディスは自分の心の内にある、在りし日の教皇の姿を思い出し、その名を告げることを避けた。
「そうか。仙理術士は相変わらずで、本当に救いがたいな」
ゼルティウスが憐れむような笑みをメレンディスに向けた瞬間、メレンディスは神器を発動し、自分の目の前に砂の壁を生み出す。対して、ゼルティウスは自分と敵の間に現れた砂の壁など気にも留めず、前へと足を踏み出す。
「だが、俺としては助かったこともある。仙理術士がこの世界にいたことで、誰が俺達をこの世界に閉じ込めたか犯人が絞り込めるからな」
自分達が滅ぼした仙理術士の生き残りが復讐のために、アスラカーズとその使徒をこの世界に閉じ込めた。
ゼルティウスはそう推理する。仙理術士ならば世界を操り、自分達をこの世界から脱出できなくすることも不可能ではない。
なにせ、最上位の仙理術士はアスラカーズが手加減無しの正真正銘の全力で戦わなければ倒せないほどの相手だ。流石にそこまでの術士は生き残ってはいないだろうが、世界を操る程度のことが出来る術士は生き残っていてもおかしくないし、それが出来る位階に達する者が現れても不思議ではない。
「復讐ならば受けて立つだけだ」
ゼルティウスは砂の壁に向かって、無造作に構えた剣を振り抜く。
「バルグリード流、爆刀術──轟」
ゼルティウスの振るった剣が砂の壁に触れた瞬間、刃に触れた砂の壁が爆発して吹き飛び、その衝撃によって、砂の壁の後ろにいたメレンディスも吹き飛び、転がるが、神器によって生み出した砂がメレンディスの体を受け止めて立たせる。
「その技は──」
問いながらもメレンディスは神器を操り、大量の石弾をゼルティウスに向けた発射する。
「魔鏖剣、六の型──堅盾六花」
対してゼルティウスは手の中で長剣の柄をくるりと回す。すると、長剣は柄を中心に回転し、高速回転する剣が円を描き、ゼルティウスを守る盾となり、石弾を全て弾き飛ばす。
「ならば、これならば」
メレンディスは更に仕掛ける。
ゼルティウスを取り囲むように石の壁が現れると、石の壁は立方体の石室を形作りその中にゼルティウスを閉じ込める。そして、メレンディスは閉じ込めた石室内に泥を流し込む。
「爆刀術──轟」
ゼルティウスは焦らず、剣を振るい砂の壁を吹き飛ばしたのと同じ技を用いて石の壁も爆破して吹き飛ばす。
だが、石の壁を壊したせいか、それとも技によって引き起こされる爆発のせいかゼルティウスの剣が半ばから砕け散る。
「魔鏖剣、一の型──剣星一迅」
剣を失ったのを隙と見たメレンディスが仕掛けるより早く、ゼルティウスは折れた剣を投擲する。
膨大な内力を帯びた剣は空間との反発を利用して加速し、超音速に達した刃がメレンディスに迫る。折れた剣とは言え、その刃に宿した内力が直撃すればメレンディスは即死だ。
それを直感的に理解したメレンディスは自身の前に石、砂、泥の三つの神器を用いて三層の分厚い防壁を築く。
だが、それをしても防ぎ切れず神器によって生み出された壁は容易く粉砕され、その衝撃でメレンディスは吹き飛び、転がって地面を舐める。
「老人虐待だと言ってくれるなよ。俺はお前より長く生きているだろうからな」
丸腰でゼルティウスはメレンディスに向かって駆け出す。
内臓を痛めたのか、メレンディスは血を吐くが、敵が迫っていることに気づき、枯れ木のような老体に喝を入れて立ち上がるとゼルティウスの行く手を阻むように石の壁を生み出す。
「究竟──剣霊具現、一刃創成」
唱えると同時にゼルティウスの手に巨大な直刀が現れる。
分厚い刃に、幅広く長い刀身の武骨な剣だった。それを握りしめ、ゼルティウスは躊躇なく石の壁に向けて振るう。
「轟け──爆刀バルグリード」
振るわれた刃が石の壁に触れると、それまでと同じように爆発が生じ、石の壁が吹き飛ぶ。
だが、今度はその爆発に剣が負けることはなかった。それも当然で、ゼルティウスが手にする剣はその技を操るのに最適化された剣だからだ。
爆刀バルグリード──ゼルティウスが訪れた世界の一つで学んだ魔力によって爆発を起こし、それを剣術に応用するというバルグリード爆刀術。それを振るうのに最も適した形状としてゼルティウスが生み出した剣であり、瑜伽法によって作られたゼルティウスの内的世界に使い手の記憶と共に蓄え、そしてゼルティウスの瑜伽法は自分の内的世界から剣を抜き放ち、顕現させる。
「言い忘れたが仙理術は瑜伽法に弱い。仙理術は『世界と己を一体化させる』のに対し、瑜伽法は『世界を切り取る』。切り取られ独立した世界に仙理術は干渉できない」
逆に業術に対して仙理術は優位に立てるが、そんなことをわざわざ教える必要もない。
ゼルティウスは壁を砕かれ、無防備になってメレンディスに向けて、剣を振り抜いた状態から連撃を仕掛ける。
「バルグリード流、爆刀術──重」
振り抜いた直刀の切っ先が爆発し、その推進力をもって斬り返しを行う。
だが、メレンディスは刃の届く範囲内にはいない。しかし、そんなことは承知の上で、自身の刃を届かせる術をゼルティウスは持っている。
「魔鏖剣、二の型──幻刃双破」
振り抜いた刃の軌跡を描き、剣が生み出す斬撃という現象だけがメレンディスを斬り裂く。
斬撃を飛ばすというよりは斬撃の効果自体を敵に与える遠隔斬撃ともいえる技だ。最初にメレンディスの腕を斬り飛ばしたのもこの技であり、メレンディスは今に至ってもなお、どうやって自分が斬られたのか全く分からなかった。
「もう一つ言い忘れたが、使徒は相手が仙理術士の場合、呪いによる戦闘能力の制限が弱まる。例え、それがどれほど弱い相手でもな。まぁ、何を言っているか分からないだろうが、一応言っておくのが筋というものだ」
メレンディスは自分の胸元から流れる夥しい血を残った腕で拭い、血に染まった手をボンヤリと眺める。
なるほど、自分は死ぬのだろうとメレンディスは他人事のように冷静な気持ちで自身の状態を分析していた。
不意に力が抜け、メレンディスは膝をつく。出血が多すぎるのだとメレンディスは気付く。
黄神は何をしているのだろうか、忠実な信徒が死に瀕しているというのに何の奇跡も起こしてくれないのか? そんな思いを抱きそうになり、メレンディスはすぐに神に期待するなど無駄だと、この期に及んで情けない思考になる己を自重する。
「死なばもろとも」
メレンディスは神器の力を暴走させ、ゼルティウスも巻き添えに自爆しようとするが──
「魔鏖剣、九の型──破魔九浄」
ゼルティウスが直刀で空を切ると、神器の宿る魔力が散らされ霧消していく。
物体ではなく、魔力や闘気──内力を斬り払い散らす技だ。それによってメレンディスの自爆という最終手段は簡単に打ち砕かれた。何か狙いがあるわけでもない、無様に失血死するより華々しく自爆を遂げて有終の美を飾ろうとしていただけだが、そんな望みが叶うことすらゼルティウスは許さない。
「弾けて死ぬのがお好みならば、俺がやってやろう」
膝をつくメレンディスの胸元にゼルティウスの直刀が吸い込まれるように突き立てられる。
もはや熱も痛み感じず、己の胸に刃が入り込むのを見下ろすメレンディスの脳裏に去来するのは、修業に明けくれた若かりし頃の思い出。まだ何も知らずに神を信じ、神に仕える道を歩むことに迷いなく、そして人々を救うことを己の使命としていた時代の記憶だった。その中でも取り分け鮮明に思い出せるのは教皇の姿と言葉で──
『──まぁ、キミは使徒には勝てないだろう。無様に殺されるだけだ。だが、そもそもキミは大役を任せられる器ではないのだから、それで充分だ──それがキミの役割だ』
記憶の中に記憶にない言葉があった。
メレンディスの記憶の中の教皇は穏やかな笑みを浮かべて、そんなことを言っていた、それを聞いた記憶がメレンディスの中には無い。
『余計なことを喋られると困るから、キミには私への敬意と忠誠を植え付けよう。私に対して不利益となる行動を取らないようにね。そして、真実を知らずに死ぬのも哀れであるし、ねぎらいの言葉がないというのも可哀想であるので、このことは死ぬ寸前に思い出すようにしておこう』
記憶の中にある教皇が理解できないことを言っている。
こんなことを言う人ではなかったはずだとメレンディスは自分の記憶を否定しようとするが、記憶の中の教皇は尚も言葉を続ける。
『──さて、死の間際のメレンディス君。ありがとう、キミはよく頑張った。未来のことは分からないが、この記憶が蘇っているということは、きっとキミはキミの夢を叶え、そして殺されている頃だろう。殺したのは誰だ? 使徒かアスラカーズか? まぁ、どちらでも構わないが、キミは私の思い通りに動いてくれたんだろう』
記憶の中の教皇が語り掛けてくる。
耳を塞ごうとしても、それは記憶として残っているのだからメレンディスはその声を遮ることが出来なかった。
『キミは信仰に絶望し凶行に走る堕ちた聖職者になってくれたはずだ。そうなるようにしたのだから、そうなっていて当然だが、それでもまぁ素晴らしいよ。白神に対する憎悪はあるだろうが、白神教会の教皇としてキミの働きを讃えよう。だから私の賛辞を慰めに、安らかに死ぬといい。もっとも、この世界には死後の世界など無いから死した魂が安息に過ごせる場所などは無いがね』
理解できない言葉がメレンディスの精神を苛む。
記憶の中の教皇の言葉がメレンディスには全く理解できない、いや理解してはいけないということをメレンディスは直感的に理解していた。理解してしまえば正気を保てないという本能的な確信があった。
信じていた物が崩れそうになる予感に震え、メレンディスの精神が悲鳴を上げる。
だが、そんな状態のメレンディスにとって唯一の救いだったのは、そうして精神を苛まれる時間が僅かで済んだこと。
死がメレンディスを苦しみから解放する。
解放したのはゼルティウス。メレンディスの胸元に突き刺さった直刀をゼルティウスは僅かに捻ると、それだけでメレンディスの体が塵も残さず弾け飛んだ。
これが多くの人々の運命を狂わせ、フェルムを混沌に陥れたメレンディスという人物の幕切れだった。