最終局面へ
「顕現せよ──我が業」
その言葉を唱えた瞬間、サイスは自分の中から何かが奪われていく感覚を抱いた。
それは魔力や闘気だけではなく生命力やもっと何か大事な、それこそ魂と言っても良いような何かが自分の中から失われていくのをサイスは感じた。
しかし、アスラカーズの加護によって加速する闘争本能がサイスの危機感を塗り潰し、自分の身の危険を無視させ、メレンディスへの殺意だけを強める。
己の身すら顧みずに構築され完成するサイスの業術。
荒れ狂う魔力が術者の求める形を作り上げる。それはアスラカーズの加護による補助により、本来の業術の習得手順を無視したものであり、本来であれば自身と向き合い最適な形を定めるという過程を飛ばし、加護が最適な形を無理矢理選び取らせる。だが、その負担は極めて大きく、サイスの全身が悲鳴を上げる。しかし、アスラカーズの加護はその痛みも闘争の喜びとサイスの脳を騙し、サイスの足を止めることをさせない。
そうして、完成した形は輪。
サイスの腕の太さよりも二回り以上に大きな輪の中にサイスは右腕を通して、腕輪のように身に着ける。
その輪の中には腕こそ通されているものの、サイスの腕に触れることは無く、腕を中心にして浮かんでいた。
どういうわけか使い方は分かった。
アスラカーズの加護がサイスの脳内に知識を流し込んできたせいだ。
業術によって作られた物は自分の一部であるので、基本的な使い方は最初から想像がつく。
もっとも、人間というのは自分で思っているほど自分の事を知らない生き物であり、自分の体ですら完全に思い通りにできない生き物であるのだから、体の一部だからといって使いこなせるとは限らないともサイスの頭の中に叩き込まれた知識が言っていた。
それでも現時点では充分であるとサイスは思い、輪の中に通した腕をメレンディスに向ける。
その瞬間、腕を通した輪が左回りに回転を始め、サイスの周囲を空気が魔力に変換され、サイスの体に取り込まれ始め、体内に取り込まれた魔力がサイスの体に力を与え、自然治癒能力を強化する。
そして、サイスの傷が癒えると同時にサイスの腕の輪が右回りに回転を始める。逆の回転を始めると同時に空気が魔力に変換されるのは停止され、そして今度は逆の事が起こる。サイスが体から発する魔力が空気に変換され始めたのだ。
元々は魔力だったためか変換された風は魔力の要素も残しており、サイスの体から発せられたサイスの魔力としてサイスの自由に操れた。
サイスは右回転をする輪の動作を確認しながら、自分の周囲にそよ風を起こす。
そうした瞬間、ふとアッシュの言葉が頭をよぎった。それは、この戦いが始まる前の事だ。
『風っていうのは自由の象徴みたいに言われるけど、実際はそうでもないと俺は思うんだよね』
『自由気ままに風の吹くまま気の向くままだって? ねぇよ。俺の世界だと天気ってのは計算できるもんだからね。自然現象の風に関しては何処にどんな風が吹くかだって、ある程度予想できる。風の吹くままってことなら天気予報を見れば自分の行き先だって分かるし、他の奴にだって分かる』
『強い風なら読めない? 逆だよ、強い風の方が行き先が分かるし法則に則って動く。多少は外れるかもしれないが、極端に大きくズレることは無い。だからまぁ、俺が見る限りでは風ってのはルールに縛られている物だと思うんだよ。
そもそも自然現象の風だって気圧差から生じるもので、気圧の不均一を解消しする動きだって聞いたことあるしな。だからまぁ、風にロマンを感じる人には悪いが、元からルールに則って吹くもので、自由とは程遠い環境のバランスを取ろうとする作用とも言えると俺は思うんだよね』
『だからまぁ、風を簡単に自由の象徴だと思うのはちょっと違う気がするんだよね。むしろ、星という環境に縛られて動くだけの抑圧の象徴だとも考えられなくはないだろうか?』
アッシュの言っていることはその時は欠片も分かず、今も理解できるわけではない。だが、感じ取ることはできる。世界は全てこの手の中にあると。
サイスが向けた右腕から風を束ねた衝撃波が放たれる。
魔術とは違う過程を経て放たれたそれはリィナの攻撃をしのいでいる最中のメレンディスへと向かう。
横合いから放たれたその攻撃は並の相手ならば意識の範囲外であり、直撃は確実。しかし、メレンディスは神器によって生み出した砂の防壁で防いでみせた。
事ここに至ってリィナもサイスもメレンディスを盲目の老人だなどとは侮っていない。何か自分たちとは異なる感覚器を有しており、それが自分の周囲の全てを把握できるものだと見当をつけている。
だから、サイスもリィナも防がれたことに関しては驚きは見せず、メレンディスの守りの隙を見つけることに意識を集中させる。
このままでは駄目だ。
攻撃を続けながらメレンディスの隙を探る中でリィナの辿り着いた結論は不意を打つのは無理だということ、現時点でメレンディスの状況が防戦に傾いてるのはリィナがひたすらに攻めているからであり、それはアワーとスピードに頼った正面から小細工なしの攻めによるものだ。
そのことに気付いたリィナは純粋な力と速度の正攻法がメレンディスを破る方法だと判断する。そして、その判断に従いアスラカーズの加護がリィナの身体能力をさらに向上させる。
この方法では駄目だな。
ゴリ押しとも言うべきリィナの攻略法に対してサイスはというと、やはり不意を打つのは不可能だという結論に達する。だが、その後の考えはリィナとは異なっていた。
サイスが考えるメレンディスの攻略方法はパワーとスピードによる圧倒ではなく、メレンディスの防御を工夫で破ること。不意を打った攻撃も頑丈な守りで防がれるのだから、その頑丈な守りを貫く工夫がいる。
そしてそれは自分が得た新たな力ならできるという確信がサイスにはあった。
サイスは左腕に残っている魔具を起動して不可視の風の刃を作り出すと、それをメレンディスに向けて投げつける。
アスラカーズの加護を受けて更に加速するリィナの攻めを受けているメレンディスに向けて、肉眼では捕捉が困難な風の刃が迫る。しかし、不意打ちは効かないとサイス自身が結論を出したように、メレンディスはサイスの方を見ることも無く、砂の壁を作り出して防御し、風の刃は砂の壁に突き刺さってメレンディスまで届かなかった。
だが、それでいいとサイスは自分の狙い通りの展開に成功を確信する。
サイスの業術は風と魔力を変換を行う力を有する。サイスの腕の輪が左回転を始めると同時に神器によって生み出された砂の壁に突き刺さった風の刃が魔力に変換され、そして変換したと同時にサイスの腕の輪が右回転を始める。
それは魔力を風に変換する際の動作だ。風の刃は魔力に変わり、魔力が再び風へと変わる。そして魔力が風へと変わる際に生まれる風の量は膨大であり、変換されると同時に風が炸裂する。
その一連の流れは砂の壁に突き刺さったのと同時に行われ、傍目から出は風の刃が炸裂したようにしか見えず、そしてそれによって砂の壁が吹き飛んだことしか分からない。
「くっ……」
足を止めることなくひたすらに接近戦を挑んでくるリィナへの対応に苦慮しながらもメレンディスは自分の防御を破ったサイスに向けて、神器の泥球から泥で出来た腕を伸ばして攻撃をしかける。
その攻撃に対し、サイスは左腕の魔具で生み出した風の刃を投げつけ、業術で生み出した右腕の輪の力で風の刃を炸裂させ弾き飛ばす。
そうしてサイスの方へと一瞬だが意識を向けたメレンディスに向かって聖剣を手にしアスラカーズの加護を受けたリィナが斬りかかる。
その攻撃をメレンディスは辛うじて石の壁で受け止めるとリィナから距離を取ろうと老いた体を大きく後ろに跳躍させる。
「迂闊な動きだな」
その瞬間サイスがメレンディスへと追撃を仕掛けようとする。だが、そう思って足を踏み出そうとした瞬間、サイスの体はサイスの意志に反して膝をつく。それは魔力の枯渇が原因の肉体の限界。
それも当然で業術とは本来、サイス達が知っている魔力だけで扱う物ではない。
アスラカーズの使徒として様々な世界を渡り歩き、それぞれの世界の特殊な力や、その引き出し方を学び、魔力以外にもリソースとして使える物を身に着け、使えるリソースの総量を増やしてこそ使うことが出来る。
例えば魔力以外に闘気、霊気、妖力、神気といったようにアスラカーズとその使徒は様々な力を総じて内力と呼んで、全てひっくるめて同じものとして扱い、業術などの発動のリソースとしている。
サイスのように魔力だけで業術を使用するのは最初から無理があり、その負担は極めて大きくサイスの体を蝕んでいた。
だが、それでもサイスは心を奮い起こして立ち上がった。
メレンディスを倒すためにサイスは体に鞭打って踏み出し、メレンディスとの距離を詰める。
サイスの接近に気付いたメレンディスは石の壁をサイスとの間に生み出すが、その壁に対してサイスは左腕の魔具で作り出した風の槍を突き立てると業術で、風の槍を魔力に変換、そして魔力から風に変換させ炸裂させる。
業術によって生み出された突風が石の壁を風の刃が突き刺さった箇所から崩す。
「終わりだ!」
壁を崩し、メレンディスへと肉薄するサイス。
逆の方向からは砂と泥の攻撃を全て掻い潜って突進するリィナの姿があった。
メレンディスの攻撃と防御は神器に依存している。ならば、神器を突破した以上、メレンディスは迎撃の手段も無ければ、身を守る手段も無い。
サイスとリィナは勝利を確信し、手に持つ武器を振るう。だが、その瞬間メレンディスは片足を大きく上げ、強く地面を踏みつける。サイスとリィナの武器が触れようとした最中のことだった。
アッシュが見れば、メレンディスのそれは自分も用いる震脚の動きだと気付いただろう。
だが、サイスとリィナはそんなことを知る由も無く、メレンディスが地面を踏みつけた瞬間、サイスとリィナは強烈な衝撃を受けて吹き飛び、その一撃で二人は何も分からないまま意識を失った。
「これを使わされるとは……」
息を整えたメレンディスがサイスとリィナを実力を認めて言葉を漏らす。
メレンディスが使った技は過去にクルセリアで修業をしていた際に白神教会の教皇から伝授された技であり、神器の力などに頼らずメレンディス自身の力によって放つ技だった。
それは殴らずとも地面を踏みつけ、その力を大気を伝えることで周囲に衝撃を増幅拡散させるという技であった。
教皇からは名を教えるほどの価値も無い凡庸な技であるとメレンディスは言われたが、その威力は必殺と言っても差し支えなく、サイスとリィナはその一発だけで意識を奪われていた。
「随分と時間を取られましたね」
メレンディスは予想外に手こずらされたと自分の未熟を恥じる思いだった。
そして自分の未熟により、己が仕える神が何処かに囚われたままであることを恥じてもいた。
メレンディスは自分が仕える黄神のために自分が出来ることを見つけるようとし、そして──
「……なるほど、市内に何かが──」
意識を集中しフェルムの市内に満ちる力の流れを読み取る。すると、メレンディスは市内のあちこちにアッシュから感じた力と同じ力を感じる装置の存在を察知した。
装置の詳細までは把握できないが、その装置によって己の力を増幅しアッシュは黄神を封じているのだとメレンディスは推測する。
「ならば、これを破壊すれば──」
メレンディスは推測に推測を重ね、自分の取るべき行動を決定し動き出そうとした。だが、そこに──
「闘獄陣を敷いてもなお、俺をこの場に残す。それはつまり──」
圧倒的な気配を感じ、メレンディスは後ずさる。
「この場における全てを俺に任せたということだ」
アスラカーズの使徒であるゼルティウスがメレンディスの前に立ちはだかっていた。
──一方その頃。
黄神ティエラフラウスは何処とも知れぬ荒野の真ん中に立っていた。
長きに渡る封印で正気を失っていたティエラフラウスは自分が置かれている状況など全く分からない。思考の大半を占めるのは人間への殺意だけであり、論理的な思考などは期待できない。
だが、そんなティエラフラウスでもその荒野に存在する強大な気配には気付く。
本能的に警戒の姿勢を取るティエラフラウスが気配の方を見ると、そこには荒野に真ん中に座り込む一つの人影があった。
片膝を立て地面に腰を下ろしていたその人影こそアッシュ・カラーズもとい邪神アスラカーズ。
アッシュは黄神ティエラフラウスの警戒が自分に向いていることを確認すると、ゆっくりと立ち上がり、そして言う。
「ようこそ、我が領域へ」
歓迎の気持ちを示しながらも、アッシュは不適な笑みを浮かべていた。
「さぁ、楽しく戦ろうぜ。どっちかが滅びるまでな」
全てに決着をつけるためのフェルムでの最後の戦いが始まろうとしていた。
魔力や闘気といちいち表記するのが面倒だったしカッコ悪い気がしたというのもあり、内力という設定に
内力って言葉があるのを思いだし、やべぇとなったけど気にしないことにした