見上げた空に輝く星を
──簡単な話だ。
こいつは一度だって立ち止まったことがない。一度だって力及ばず挫折したことも、膝を突いて諦めたこともない。立ちふさがる全てを叩き潰し、全てを自分の思い通りにして生きてきた。だから、自分に絶対の自信を持ち、それが態度と言動に表れ、自分の思うままに生きることが出来る。
──そんな奴だから、腹が立つんだ。
自信に満ち溢れた表情が気に食わない。世界が自分の思い通りになると思っている所が許せない。周りを無視して自分の意志を貫き通すところに怒りを覚える。
アッシュを見ていると何も出来ず、変えられず、立ち止まり諦めた自分がみじめに思えてくる。だから、サイスはアッシュの存在が許せない。アッシュがいるだけでサイスは自分が必死に守ってきた全てが否定されるような気がした。だからサイスはアッシュの存在自体が許せない。
「お前は死ね!」
体当たりをした勢いのままアッシュと共に民家の中に突っ込んだサイスは、アッシュに馬乗りになり感情のままに拳を振り下ろす。そうしてアッシュの顔を殴りつけるたびにサイスの胸の内に様々な想いが去来する。
──自分は何をしている?
サイスも本当は分かっている。自分のしていることが問題の先送りに過ぎないことを。
それでもフェルムを守ると恩人と約束した。だから、そのために自分の力を尽くしてきた。
だけど、それが本当に正しかったのか自信は無かった。自分が殴りつけている男は自信に満ち溢れているというのに、サイスは自分の正しさに自信が持てなかった。
もしかすれば、アッシュに任せてしまえば全てが解決するのではないかという予感もある。それならば、こんなことをしている意味も無い。わざわざ戦うことも無いはずだ。だが、それでもサイスは──
「それでも俺はお前に負けたくないんだよ!」
ここでアッシュに譲れば自分の人生は意味がなかったことになる。
フェルムを守るために流してきた血の意味も、自分が手を汚してきた意味も失われる。それがサイスは許せず、それがサイスに残された最後の意地だった。
持っていた勇気も誇りも既に朽ち果て、冒険者としての矜持を失った。それでも、まだフェルムを守るという約束と誓いだけは残り、そのための執念がサイスを動かす。
「……男の子だねぇ」
馬乗りになったサイスの拳を受けているアッシュがポツリと呟き、直後アッシュは下からサイスの顔面を殴りつけサイスを吹っ飛ばす。
「愚かだと言うつもりはねぇさ。必死だったんだろうよ、キミもさ」
全くダメージを受けていない様子でアッシュは平然と立ち上がる。
「人間には出来ることと出来ないことがあるしな。出来ることが少ない中で最善を求めた結果だ。それを俺は頭ごなしに否定するべきではないと思う。けどな──」
吹っ飛ばされたサイスが立ち上がり、両手に風の刃を構える。
それを見てアッシュは不敵に笑いながら、言葉を続ける。
「否定はしねぇけど、俺は他人の事情で自分の行動を変える男じゃねぇんだよ」
だから、自分の意見を通したいなら──
「俺をぶっ殺すしかねぇぜ? さっきからキミがしようとしているようにな。間違いだらけの人生だと自分では思ってるかもしれねぇが、その点においては大正解だぜ」
アッシュは腰を落として、左手を前に、右手を腰だめに構える。
「来いよ。口だけじゃないって所を見せてみろ」
その言葉を引き金にサイスは動き出す。
煽られて動きだしたわけではなく自分の意志で一歩を踏み出し、その動きに合わせて民家の中にスカーレッドが飛び込み、即座にアッシュに襲い掛かり、同時にゲオルクも室内に突入する。
構図としては三対一でサイス達がアッシュを取り囲んでいる状況。
戦いの場は室内であり、一斉に襲いかかられると逃げ場はない。
狙ってこの状況を作ったわけではないが、サイス達にとっては千載一遇の機会でもあった。
ここで仕留める。
言葉を交わさずともサイス達の決断は一致し、それぞれが同時にアッシュに攻撃を仕掛けた。しかし、次の瞬間、床の上にサイス達は倒れていた。
何が起きたかのかは全く分からない。ただ、体が痛みから打撃を受けたことだけは分かった。
サイス達はすぐさま立ち上がり、再度の攻撃を仕掛けようとアイコンタクトで互いの意思を共有し、そして動き出そうとしたが、その瞬間に打撃を受けて三人は吹っ飛ばされる。
「──お前ら、俺の制空権に入ってるぜ?」
アッシュは床を踏みしめ、構えを正す。
その周囲を取り囲んでいたサイス達が体勢を立て直し、反撃の糸口を掴もうとアッシュに近づこうとするが、その瞬間、サイス達の反応速度を超える速度でアッシュの打撃が三人に叩き込まれていた。
思考ではなく直感と反応と本能、そして鍛え上げられた武術の技量が可能とする自動迎撃。室内で取り囲まれている状況はサイス達ではなくアッシュにとって有利に働いていた。
「くそっ」
そのことに気づいたサイスが悪態をつくと同時にアッシュは迎撃ではなく攻撃に出る。
サイスに向かって一気に距離を詰めると、右の拳を真っ直ぐ突き出した。しかし、その拳は空を切り、気付くとサイス達の姿を室内には無い。
アッシュがサイス達の行方を確認しようとするが、その瞬間、アッシュの視界が光に包まれ、炎と爆風を体に感じる。
「──すまない、限界だ」
セレインの魔術が直撃した民家を外でゲオルクを膝をつき、その傍らにはサイスとスカーレッドが立っていた。ゲオルクが自身の魔具で自分とサイスとスカーレッドを家の外に転移させた結果である。そして、サイス達が脱出したのにあわせてセレインが魔術でアッシュを家ごと焼き払う。それがサイス達の作戦であった。
一応は作戦通りにいったが、その結果ゲオルクは完全に魔力が切れ、魔具の使用は不可能になった。そして、肝心のアッシュはというと──
『駆動せよ、我が業。遥かな天に至るため──』
サイス達の耳に届くアッシュの声。
声が聞こえたということはアッシュが生きているのは確実であり、サイスとスカーレッドはすぐさま身構え、アッシュを迎え撃つ態勢を整える。
「詠唱してる! 魔術が来るわ!」
セレインの叫びと同時にアッシュが燃え盛る民家から飛び出し、そのままの勢いでサイス達に襲い掛かる。
『見上げた星の輝きに地上の人は夢を見た。果てなき旅路がいま始まる』
詠唱をさせて魔術を完成させるわけにはいかないとサイス達はアッシュを止めようと動く。
素手だけでも負けている状況でさらに魔術まで使われれば自分たちに勝ち目はない。だから、何としても詠唱を止めようとサイス達も攻撃を仕掛けるのだが──
『恐れを振り切り一歩を踏み出せ。勇気を掲げて走り出せ。共に無限へ駆け出そう。世界はお前を待っている』
サイスとスカーレッドの攻撃を捌きながらも詠唱は止まらない。そのうえ、サイスとスカーレッドの攻撃を躱すとアッシュは反撃をしてサイス達を吹き飛ばす。
その様を見て異常だと感じるのは魔術師であるセレインだった。近接戦闘をしながら魔術の詠唱を途切れさせない魔術師などセレインは見たことが無い。近接戦闘の最中にも魔術を使えるようにするために無詠唱の技術など研究されてきたというのに、アッシュはそれを使う気配が無いのがセレインは異常に見えていた。
仮に無詠唱が使えないような大魔術である場合、そうなれば詠唱に加えて深い集中が必要になる。そうなると尚更、近接戦闘をしながら詠唱して魔術の発動準備をすることは難しいはずなのにアッシュは涼しい顔をして、それをこなしている。
もっとも、それだけならばセレインはアッシュを超人的な魔術師と自分なりに納得することが出来た。しかし、セレインにはもう一つ異常と感じることがあった。
『天に輝く綺羅星が我らの道をその身で照らす。魂さえも燃料に、全てを燃やし、輝く道を駆け抜けろ。我らは流星。地を駆けやがては天へと至る──』
聞いたことの無い詠唱。それだけならば良い。
異常なのは、聞こえてくる詠唱が耳に音として入るのではなく、空間に響き渡り、自分たちの意識に直接響いてくるような錯覚を覚えること。
アッシュの口から発せられる言葉が空間全体に響き渡り、その度に世界が軋んでいくような、そんな感覚を魔術師であるセレインは感じていた。
「止めて!」
仮に自分の感覚が間違い出なかった場合、アッシュの詠唱する魔術はそれこそ世界を揺るがすような大魔術となるとセレインは予測し、それを防がなければいけないと仲間たちに向かって叫び、自身も魔術でアッシュの妨害を図ろうとするが、もう遅い。
セレインが危険に気付いた時には既に、セレインが魔術と誤解するアッシュの業術は完成していた。
『──駆動、星よ耀け、魂に火を点けて!』
発動するアッシュの業術。その瞬間、アッシュの体から無限に魔力と闘気が溢れ出す。
アッシュの業術の駆動段階は感情の昂ぶりにあわせて無限に魔力などのエネルギーを生み出し、そして、無限に生み出される魔力を肉体の強化に用いることで、絶大な攻撃力、防御力、機動力を得る。もっとも、アッシュの業術を目にした相手は絶対的なエネルギー量の差に戦意を失う。
その差は太陽と人間以上に開いており、それだけの差を感じてもなお心折れずに立ち向かう物だけが、アッシュの拳を受けることが出来る。
「──でも、お前はそうなんだろ?」
アッシュの表情が不敵な笑みから、相手を讃える優し気な微笑みに変わる。
その視線の先にはサイスが目に闘志を浮かび上がらせながら立っている。
ただの人間の癖になんてことは言うつもりは無い。業術の駆動態まで見せてもなお心が折れない奴をただの人間だとアッシュは思わない。
「言ったはずだ。お前に負けるわけにはいかない」
「勝つと言えない時点でお前の底は見えてるぜ……けど、底にこそ宝ってのは眠ってるもんだよな」
もう充分、堪能したぜ。満足感と共にアッシュは前へと足を踏み出し、サイスに接近する。
その動きにサイスは何一つ反応できず、アッシュの接近も、そして殴られたことも分からずに吹っ飛び、地面を転がる。サイスが分かったのは気付くと自分が何時の間にか倒れていたことだけだった。
「まだだ!」
力の差は歴然だが、それでも倒れるわけにはいかない。
サイスは全身に感じる痛みに耐え、気力を振り絞り立ち上がる。
約束がある。誓いを立てた。背負うものがある。だから、自分は立ち上がらなければいけない。
こんな奴に負けるわけにはいかない。
強いだけで何も知らず何も分からない奴に自分のこれまでを否定されるわけにはいかない。だから、この男には、この強さに負けるわけにはいかない。だが一方で思うこともある、この強さならば全てを変えられるのではないかとも──
立ち上がったサイスの眼前に突きつけられる拳。
アッシュは撃ち抜かず、拳を寸前で止めていた。
「もう良いだろ?」
そう言いながら術を解いたアッシュは、サイスの額を指で弾いた。
満身創痍だったサイスはそれだけで尻餅をつく。気持ちは折れてなくても、体が限界を迎えていた。
「俺の強さは分かったろ? これでもキミが恐れている奴に勝てないかい?」
穏やか笑みを浮かべてサイスを見下ろすアッシュ。
その表情を見てアッシュの考えを察したサイスは肩を落とし、俯く。
「最初から俺達は眼中になかったってことか」
アッシュはサイス達が隠していることを力ずくで聞き出そうとしていた。ただし、その方法は戦って自分の強さを納得させようというものであった。
結局の所、サイス達が隠している理由は隠さなければいけないが恐ろしいからだとアッシュは考え、自分ならば、そいつを倒せる力があると納得させることで説得しようとしていた。若干、楽しくなりすぎてしまったのでやりすぎてしまってはいたが……
「色々と不安はあるだろうけど、俺に任せておけって。テメェらの抱える全ての厄介を俺がぶっ壊してきてやるからさ」
だから、お前らが隠してる奴のことを教えてくれよ?
そう言って相変わらずの不敵な笑みを浮かべるアッシュ。サイスが見上げたその顔は太陽よりもなお眩しく、その輝きに焼かれたサイスの眼から涙が零れ落ちた──