ずっと気にくわなかった
悠然と両手を広げ、近づいてくるアッシュを見据えて、サイスは思う。
負けるわけにはいかない。そして、サイスは心を奮い立たせて立ち上がる。
右腕を使っていないことは知っていた。しかし、それは使えないのであって使わなかったのだとはサイス達は思っていなかった。
まさか、自分たち五人を相手にして手加減をする余裕がある存在がいるとは思わなかったからだ。
「とんでもねぇ、バケモノじゃねぇか」
サイスの隣に立つライドリックの呟き、しかし、その言葉に戦意の衰えは感じられない。
それがサイスの心を軽くする。
「ま、手強い相手ほど、やりがいがあるってもんさね」
スカーレッドがサイスの肩を叩き、サイスより一歩前に出る。
スカーレッドの言葉が強がりであることはサイスも分かっている。魔具と連携でなんとか戦えているだけで、個人の技量ではアッシュが片腕であっても自分たちは及ばないとサイス達は理解していた。
それでも強がりを口にするのは、一度でも弱音を吐いたら立つことができなくなる気がしたからだ。
「ほら、みんな頑張って」
セレインが魔術で前衛に立つメンバーの傷を治し、強化魔術で身体能力を上げる。
強化魔術は反動が大きいが、そんなことを言っていられる相手でないことは全員が承知している。
また、回復に攻撃そして強化の魔術を使い続けているセレインの限界が近いこともメンバーの全員が理解している。
「すまない。奴の戦力を見誤った」
顔色を悪くし、僅かに呼吸が荒いゲオルクがサイスに後ろから声をかける。
ゲオルクが魔力の枯渇と肉体的な限界を迎えていることは明らかだった。
ゲオルクの魔具自体が普通に使用しても魔力の消耗の激しいもののせいもあるが、本来の使用法ではない自分以外の味方同士の入れ替えと、個人を対象にした転移はゲオルクの魔力を著しく奪っていた。
そのうえアッシュの打撃を盾を使いながらも最も受け止めていたことも体力の消耗に繋がっており、大きな負傷こそ無いもののゲオルクの消耗はサイス達の中で最も激しい。しかし、それはゲオルクだけでなく、ゲオルク以外のメンバーもそれぞれが消耗しており、万全の状態には程遠かった。
それに対してアッシュはというと顔に不敵な笑みを浮かべ、余裕の態度を崩さない。
先程サイス達が負わせた傷も何時の間にか癒えており、万全の状態でサイス達を出迎えるように両腕を広げて悠然とサイス達に近づいてくる。
そんなサイスの表情は戦いに至った経緯など微塵も覚えていないようで、口元に浮かんだ笑みは純粋に闘争を楽しんでいるように見え、それがサイスを苛立たせる。
こんな奴に負けるわけにはいかない。
こんな奴に自分たちが守ってきた全てを壊されるわけにはいかない。
そんな想いがサイスの心を占め、戦いに臨む原動力を生み出す。
「あぁ、そうだ、忘れてた」
サイスの見てる前でアッシュはわざとらしく思い出した振りをすると、その場に立ち止まり指を鳴らす。
その瞬間、周囲が結界に覆われ、結界の中にサイス達はアッシュと一緒に閉じ込められる。
「これで、ちょっとマジに戦っても外には影響が無いぜ。それと決着がつくまで、結界の外には出られない。周囲を気にしなくても済むし、お互いに逃げられる心配もねぇから、安心だろ?」
不敵な笑みを浮かべてサイス達を見るアッシュ。
即座にセレインが魔力を走らせ結界を走査するが、アッシュの作った結界はセレインの知る魔術によるものとは全く別系統の術式であり、そのことにセレインは困惑する。
それもそのはずでアッシュが用いた結界は瑜伽法の基本術式によるものであり、業術と並んで瑜伽法はアスラカーズに関わりのある者しか用いないのだから、セレインが知る由もないのは当然のことだった。
業術は『世界を侵食し、世界を自分の物とする』という方向性を持つのに対し、瑜伽法は『世界を切り取り、自分の物とする』という方向性を持つ。
その方向性の違いから、瑜伽法は業術に比べると攻撃性は低くなるが、その分だけ小回りが利く。そのため、業術のように大雑把な段階に分けてしか術式を習得できないのに対し、瑜伽法は術式などを細かく習得できる。そのため、結界を作るといった術式をアッシュも使用することが出来た。
アッシュ・カラーズもといアスラカーズの本来の強さは殴り合いのだけの強さではなく、そういった様々な術式を使用する所にもある。
そして、そういった様々な術式の使用は相対する者に様々な感情を起こさせる。
──舐めている。
サイスからすれば、結界などを一瞬で張れるほどの技量となれば、戦闘で魔術を使えてもおかしくないというのに、ここまで魔術を使わずにいたのは自分たちを舐めているとしか思えなかった。
「舐めやがって」
思わず言葉を漏らすサイス。
その言葉をアッシュはニヤニヤと笑みを浮かべて聞いていた。
そして、その表情のままアッシュは指で「かかってこい」とサイス達に合図を出す。
もう準備は充分だ。
サイス達はアッシュの合図を引き金に一斉に動き出す──
──気に食わない。
初めて会った瞬間から、何故か気に食わなかったとサイスはアッシュとの出会いを思い返す。
ガウロンから紹介でギルドにやってきたアッシュの第一印象は最悪であり、原因は分からないが、サイスはどういうわけかアッシュが気に食わなかった。
先陣を切り雷の速度でアッシュに突っ込んだライドリックが、その動きを完全に見切られ、頭に蹴りを受けて地面に転がる。
即座にゲオルクがライドリックと自分の位置を入れ替えて、アッシュからライドリックを遠ざけ、自分はアッシュに近づく。
盾を構えて接近するゲオルクに対してアッシュは左の拳をゲオルクの盾に叩き込むと即座に右の拳の裏拳を背後に放ち、背中からの奇襲を狙っていたスカーレッドを迎撃する。
──何がこんなに気に食わないのかサイスは分からない。
アッシュを見ているとイライラして仕方がない。それはアッシュが好き勝手しているから気に食わないのかとも思ったが、それならば初対面の時から気に食わなかったことの理由が分からない。
アッシュの裏拳を受けたスカーレッドの体が炎になって散るが、アッシュはそれを気にせず盾で自分の左拳を防いだゲオルクの方に向き直り、引き戻した右拳を盾の上に叩き込む。その衝撃で盾を跳ね上がり無防備になったゲオルクの胴体にアッシュの前蹴りが叩き込まれる。衝撃に後ずさるゲオルクの援護に入るためにサイスがアッシュに襲い掛かる。
それを不敵な笑みを浮かべたままのアッシュが迎え撃つ。
──何がそんなにおかしい。必死で戦っている俺達が、そんなに滑稽か?
確かに俺はお前のように強くはない。お前のように好き勝手に振る舞うこともできない。だが、だからといってそれをお前に嗤わせるわけにはいかない。自分たちは必死で生きて、最善を求めて生きてきた、その生き方を嗤われてたまるか。
沸き上がる怒りがサイスの動きを加速させる。
サイスが風の刃を双剣として振るう。しかし、その刃をアッシュは容易く防ぐ。
サイスの振るった右手の刃をアッシュは左腕で受け止めると同時に右の拳でサイスの腹部を突いていた。
衝撃に顔を歪めながらサイスは左手の刃を振るおうとするが、届く前にアッシュの右手に叩き落とされる。そして、叩き落とされたと同時に左の拳がサイスの顔面を捉えていた。
片手で防御されたと思った時には、もう片方の手で反撃されている。両腕が使えるようになっただけで、純粋な近接戦でサイスの勝ち目は殆どなくなっていた。
──負けたくない。こいつにだけは負けたくない。こんな奴に負けるのだけは嫌だ。
急にやってきて、何も知らないくせに、何も分からないくせに、自分たちが必死に守ってきた全てを台無しにする。
余所者なんだから大人しくしてろ。何も知らないんだから黙ってろ。何も分からないんだから何もするな。自分たちが必死になってしてきたことを否定するな。お前にそんな権利があるのか!?
戦いながらサイスは刃に怒りを乗せる。しかし、その刃はアッシュに触れることなく、逆にアッシュの拳を叩き込まれる。怒りと憎しみを募らせる。
「サイス!」
スカーレッドがサイスの援護に入ろうとするが、その瞬間アッシュが誰もいない場所に足を振り上げた。
すると次の瞬間、振り上げた足が、実体を出現させたスカーレッドに直撃しスカーレッドが吹っ飛ぶ。
何が起きたか考えるまでもなく、アッシュがスカーレッドの動きを読み切った結果だとサイスは直感で理解できた。
完全に動きも狙いも読めている。だから、アッシュはスカーレッドの現れる位置も予測し、足を振り上げたのだとサイスは察し、そこからサイスは自分たちとアッシュの実力差を理解する。
だが、それでもサイスの心は折れない。
不敵に笑うアッシュの顔が見える限り、サイスの心の渦巻く怒りがサイスの心を奮い立たせ、一歩を踏み出させる。
「うぉぉぉぉ!」
叫んで突進するサイス。アッシュは柔らかい構えでサイスの持つ風の刃を防ぐ構えを取るが、サイスが取った行動は魔具による攻撃では無かった。
「おぉぁぁぁっ!」
武器での攻撃ではなく捨て身のタックル。意表を突かれたアッシュはそれをマトモに食らったふりをする。
組み付いたサイスは、アッシュを掴んだまま突進し、近くにあった民家の壁を突き破ってアッシュと一緒に家の中に突っ込んだ。