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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第二章「トラとの出会い」4話

「その日わたしは、トラに出会った。すごくきれいな毛並みをした、藍色のトラに。


 公園のブランコに揺られていたわたしのまえに、それは突然現れたの。


 前にしてすぐに理解したわ。これは人が関わっていい相手じゃないって。白い影と対峙したあなたならわかるでしょ?


 それにしても、真昼の公園にトラよ。夢でも見てるんじゃないかって、思わず頬をつねっちゃった。結構痛かったなあ。


 わたし、怖くて動けなくなっちゃってね。ひざが震えて立ち上がれなくなりながら、周りに助けを求めようとして。それで、きづいたの。


 わたし以外の誰にも、そのトラが見えてないってことに。


 ボール遊びをする子どもたちとか、それを見守るお母さんとか、結構人が多かったのに、皆トラのほうになんか見向きもしないのよ。ごく普通に休日のお昼を楽しんでる感じ。


 トラはトラでわたしのほうばっかり睨んでるし、逃げようにも足は動かないし、ここでわたし死ぬんだなって本気で思ったわ。


 そうしたら、頭の中に声が響いたの。


 寂しいか――って。


 なんだか周りの音が遠のいていくような気がして、すごく怖かった。でもわたしは、トラの言葉に必死に耳を傾けた。


 だって、寂しかったから。


 トラは続けて言ったわ。力を与えてやる、手を差しだせ。人に愛されたいなら、この力を使えばいい。


 トラがわたしに与えようとしたのは、人を魅了する力だった。人の心を操って、わたしへの愛情を抱かせる。その力さえあれば、誰もがわたしを愛してくれる。そういう力。


 わたしは疑わなかった。このトラはくだらないデタラメを言ったりしない。本当に力を与えようとしてくれてるんだって。そう信じた。


 わたしだってバカじゃない。人の心を操ることがどれだけ罪深いものかは理解していたわ。


 でも、やっぱりバカだったのかもね。誘惑には逆らえなかった。


 わたしは、その力を受け入れることにした。




 昔からずっと、愛されたかった。


 わたし、お母さんが好き。お父さんも大好き。


 だけど二人は違った。


 あんまり詳しくは話したくないんだけど、わたし、親との仲が良くなかったの。朝から晩まで口を利かない日なんて、べつに珍しくもなかった。同じ家に住んでるっていうのにね。


 でもわたしは、仲良くごはんを食べてお喋りしたかったし、頭を撫でてもらいたかった。中三にもなって何言ってんだって話なんだけど。


 だから力を使ったの。嘘でもいいから笑いかけてほしくて。


 びっくりするくらい簡単だった。ただ『わたしを愛して』って祈るだけでよかったんだから。たったそれだけで二人の態度は一変して、小さい子どもを溺愛するみたいにわたしにベッタリになった。ちょっと引くくらい。


 今振り返ってみても幸せだったわ。たまに『幸せすぎて怖い』なんて言う人がいるけれど、今一わからないのよね。幸せなときって、幸せなことしか考えられないじゃない?


 とにかく大成功だったのよ。トラの力は本物だった。二人からの愛情を手に入れて、わたしは大満足だった。


 でもその力は、二人に向けられるだけじゃ済まなかったの。


 力を使って以来、会う人会う人わたしに好意を持つようになっちゃってね。


 道ですれちがった人に見惚れられるくらいなら大したこともなかったんだけど、普通に学校へ行くたびに交際を迫られるようになったのは参ったわ。クラスメイトの視線も妙にキラキラしてて。


 わたしが振り向かせたかった人はたった二人だけで、何も世界中の全ての人から愛されたいなんて思ってなかった。


 そりゃ気分はよかったけど、その時くらいからさすがに罪悪感を無視できなくなってね。


 で、友だちだった女の子がキスを迫ってきたとき、ようやく目が覚めた。


 わたしはこの子たちに……大事な友だちや家族に、何をさせてるんだろうって。




 もう力は使いたくない。使っちゃいけない。


 これ以上人の気持ちをないがしろにしちゃいけない。


 その意思をトラに伝えることはできなかった。


 公園で会って以来、藍色のトラがわたしの前に現れることはなかったから。


 力を受け入れたことを後悔した。後悔して、どうにかして力を捨てる方法がないか考えた。でも普通に頭を捻るだけで答えが出てくるはずもなくて、結局、諦めずにトラを探すことくらいしかできることはなかった。


 でも、そんな必要はなかったみたい。


 わたしにその気がなくても、いずれその力は消えることになっていたの。


 力を失ったことは、その日の朝、すぐに気づいたわ。


 いつもどおりの時間に目を覚まして、いつもどおりにダイニングに行ったら、お母さんとお父さんが朝ごはんを食べはじめてたんだけどね。


 それで、なんだかすごく苦い顔でわたしを睨んで……何も言わずに食事に戻ったの。


 完全に、力を使う前と同じ状態になってた。


 寂しくはあったけど、これで元通りの生活に戻れるんだって安心したわ。今思えば本当に甘かった。


 そのときにはもう、呪いは始まってたっていうのに。


 それがわかったのはもう少し後、朝のホームルームの時よ。わたし、ホームルームの途中でお手洗いに抜け出したんだけどね。それまでは皆、わたしと普通に接してくれてたの。先生も友達も、ごく普通に。


 だけどわたしが教室に戻って席についたら、なんだか変な空気が漂い始めて――先生が一言、『教室まちがえてますよ』って。


 周りを見回すと、皆冷めた顔でわたしに注目してて、まるで、赤の他人を見るような目つきだったわ。そりゃそうよね、あの人たちにとってはもう、わたしは知らない人だったんだから。


 そう、忘却の呪い。人から忘れられてしまう呪いが、皆の記憶を奪ったの。


 今まで親しくしてくれてた人たちが、皆してわたしのことを忘れていく。怖くて怖くてたまらなかった。皆の記憶といっしょに、わたし自身も消えていっちゃうような気がして。


 当然、家でも同じ扱いよ。夕方に帰ってきたお母さんは、部屋に逃げ込んでたわたしを見るなり、どろぼうと勘違いして外に追い出した。二度と来るなってすごい剣幕で怒鳴られちゃったわ。


 不幸中の幸いだったのは、そのときちょうどお財布を持ってたことね。それでまあ、あんまり思い出したくないんだけど、なんとかしばらく冬の夜を凌げたのよ。


 それ以来、わたしはずっと呪われてる。誰と会って、誰と言葉を交わしても、皆、次に会うときには忘れてるの。わたしのことも、わたしと話したことも、全部。


 これは、人の心を踏みにじってまで愛されようとした報いなのよ。


 誰もわたしを覚えられない。だから誰もわたしを愛せない。わたしは呪いによって、愛される術を失った。


 想いを告げてくれたあなただって、わたしからたった十メートル離れるだけで、わたしのことを忘れちゃう。こうしてわたしが話したことすら、あなたの中ではなかったことになっちゃうのよ。


 藍色のトラが、多分呪いの元凶だと思うんだけど、結局あれから一度も出会えてない。でも、それでいいと思ってるわ。


 わたしは間違ったことをした。だから罰として呪われた。だったら、受け入れるのが当然でしょ?


 ――これが、わたしが呪いにかかった経緯よ」




        *




「以上! 話は終わり! 感想は受けつけません!」


 ぱんと手をたたいて、マナさんは締めくくった。


 忘却の呪い――人から忘れられる呪い、か。


 思い当たる節はありすぎた。動画のことも、熊田や西村がマナさんを忘れたことも、時おり見せるマナさんの不可解な言動も、それで全て説明がつく。


 謎は解けた。解けたけれど。


「そんな呪い、いくらなんでもあんまりだろ」


「そこ! 感想は禁止!」


 ビシッと指を差されたが、ここで引くわけにはいかない。


「おれにはあんたのやったことが、いつまでも背負いつづけなきゃならないほどの罪には思えない」


「……そんな言葉を期待して話したわけじゃないわ」


「じゃあなんで話してくれたんだ」


「たまには別れ際も大切にしようと思って」


「……は?」


「でも、がっかりしたでしょ? 残念ながら、わたしはこういう人間なの。なんて、この言い方も卑屈っぽくて腹立つわね」


「……」


「さっきの告白――取り消したって構わないのよ」


「冗談じゃない!」


 おれはベンチから飛び上がり、ずんずんとマナさんに迫った。


「いいか。別れ際とかなんとか言ってたけど、おれは離れる気なんてねえからな!」


「あなた、何を」


「あんたから離れなければ、あんたを忘れることもないんだろ」


「そ、そんなこと言ったって、四六時中一緒にいるわけにもいかないでしょ」


「上等だ」


 真正面から言い放ち、


「よし決めた。あんたにかかった呪い、おれが解いてやるよ」


 怒りと勢いにまかせて誓ってしまった。


「ちょっと、そんな勝手に」


「何が『呪いを受けいれた』だ。本気で言ってんのか。もう三年だぞ、千日以上だ。そんだけの時間呪いに苦しみつづけて、それでもまだ許されないなんてことがあるわけねえだろ。


 そもそもそんな呪い間違ってる。あんたを忘れちまった人たちの中には、自分の意思であんたを忘れたやつなんて一人もいないんだ。トラの都合で無理やり勝手に忘れさせられたんだよ。人の気持ちを踏みにじるなっていうなら、その罰で人の気持ちをないがしろにしてどうするんだって話だろ。


 おれはマナさんを忘れたくない。だから、絶対に忘れてなんかやらない。す……き、だから」


「……え?」


「好きだからっ」


 一気にまくしたてたら息が切れてしまった。ぜぇはぁと荒い呼吸をしながらマナさんを見据える。


 そのとき、マナさんの赤い瞳が、少しだけ潤んだ気がした。


「もういちど言う。あんたにかかった呪いは、おれが解いてやる」


 真冬の寒空の下、冷たい風に吹かれながら。


 おれは改めて、迷うことなく言い放つ。


 少女はそして、こくりと頷いた。


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