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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第二章「トラとの出会い」3話

「先生たち、本当に大丈夫なのか? 後遺症とかそういうの」


 三人で校門まで出てきたところで、おれはつぶやいた。


「問題ない」


 荒川が断言する。


「やっぱり先輩、あの影のこと」


「ああ、知っている」


「じゃあ、話を…」


「そんな義理はない」


 静かに言い放ち、荒川は歩を早める。逆におれは足を止め、彼を見送る形になった。


「嫌われてるみたいね、北村くん」


 おれはふんと鼻を鳴らす。


「ささ、わたしたちも行きましょう」


「あんたはこっちでいいのか?」


 自転車を押しながら、となりに並ぶマナさんに尋ねる。


「わたし? ん~、いいんじゃない?」


 なんで疑問系なんだ。


「そんなことより、色々と聞きたいんでしょう?」


「聞かせてくれるのか」


「もちろんよ。なんでも聞いて」


 真っ白なコートに身を包むマナさんは、踊るような足どりで鼻歌を歌う。ショートパンツから伸びる脚も白くまぶしいものだから、髪を除けば大体白い。


 白い影のうわさが出ていたときに、紛らわしいったらありゃしない。


「自転車、乗ったら?」


「いや、そしたらあんたが」


「平気平気。後ろに乗るから」


「……まあ、いいけど」


 二人順番に、サドルと荷台にそれぞれ跨る。腰をがっつりとつかまれてびくりとした。


 寂しげな夜道を発進。出だしは思ったより足の力が必要だった。


「それで、何から聞きたい?」


「そうだな……あの影、白い影のことから」


「影ね? えっと、そうねえ。あれは、意思をもった現象みたいなものと思ってもらえればいいわ」


 一定の間隔で立った街灯をちらちらと見あげる。学校が遠ざかっていく。


「よくわからないんだけど」


「端的に言えば、普通の動物や植物とは異なる、生きているのか死んでいるのかも曖昧な存在。らしいです」


 ……らしい?


「ああいう現象は、この世界のありとあらゆる場所で起きているの。もちろんひっそりとね。白い影は、数多くある現象の一つに過ぎないわ」


「ありとあらゆる場所って。おれ、あんなの今まで見たことないけど」


「ひっそりと、って言ったでしょ。普段はそこにいても見ることも触れることもできないのよ、お互いに。


 白い影みたいに、噂になるくらい人に見られることなんて滅多にないわ。それに普通はあんなふうに人に危害を加えたりはしないんだけど……。数え切れないほどたくさんいれば、中にはタチの悪いものも出てくるのよ。


 心の隙間に入りこんでくる、人間嫌いの怪異がね」


 正面から、冬の夜風が吹きつける。おれはかるく身震いした。


 怪異――いわゆるお化けやゆうれいのこと、でいいんだったか?


「でも、あれがどういう理由で起こる現象なのか、本質的なところはわからない。白い影のことも、正直何も知らないようなものだし。


 実際、人を操る力があるなんて思ってなかったのよ。噂を聞いて学校に駆けつけようと思ったのだって、ある専門家から色々教えてもらったからで」


「専門家?」


「怪異に詳しい人がいてね。スーパーボールだって、その人からもらったのよ」


 ……もし本当にそんなのがいるなら、関わり合いにはなりたくない。


「白い影については、こんなところね」


 つまり――。


 詳しいところは何もわからないということか。


 何も知らずに、けどとりあえず学校が危なそうだから解決に来たと。


 現象の専門家。気にはなるけれど、深く突っ込むのはよそう。


 今確かなのは、人智を超えた化け物は本当に存在していて、それを封じ込めてしまえるような得体の知れない球を作った誰かがいるということ。


 要するに、ゆうれいやお化けなんているわけがない、という平穏な世界観が、ものの見事にひっくり返されてしまったということだけだ。


「つぎの質問は?」


 歩道が一度途切れ、ガタンと自転車が揺れる。


 他には――。


「そういや一つ、聞きそびれたことがあったな」


「わたしが何者か――だったかしら」


 腰をつかんでいた手がおれの肩にのせられる。背後でマナさんが身をのりだす。


「おい、あんまり……」


 そして、おれの耳に温かな息を吹きかけた。


 急ブレーキをかける。


「いっ、いきなり何すんだっ」


「自転車止めて欲しかったから」


「普通に言えよっ」


 耳に残る熱に心臓がばくばくと高鳴っている。不意打ちは卑怯だ。


 マナさんはひょいと自転車から降りる。


「わたしが何者か――そうね、それで多分あなたの抱える残りの疑問は大体解決すると思うわ。ただちょっと、話すのに時間がかかるのよね。ってことで……」


 にこりと笑って、手を差しだした。


「あったかい飲みもの、おごって!」




 マンションの傍の狭い公園。そのベンチに二人で腰かける。


 おれはコーンポタージュ、マナさんはおしるこの缶を開ける。


 これじゃまるでデートの帰りだ、などと恥ずかしいことを思いつつ、ポタージュの温かさを存分に味わう。芯から体が温まった。


 幸せそうにおしるこを啜るマナさんをぼんやりと見つめていると、ふいに目があい、慌ててそっぽを向いた。


「なあに?」


「べつに」


 顔が熱い。理由はわかっている。


「そろそろ話してくれよ。あんたの…」


「あ!」


 マナさんはいきなり腰をあげると、おしるこをベンチに置いた。


 背もたれの後ろへと回りこんで、何故か足踏みをはじめる。


 ザクザクとかろやかな音がきこえた。


「何してんの」


「霜ばしら踏んでるの」


「なんで」


「いや、見かけたら踏むでしょ普通」


 子どもか。


「どう? 北村くんも」


「いい」


「もったいない。こんなにサックサクなのに」


 霜柱を無邪気な笑顔で踏みならすマナさんは、おれの目に、まぶしいほど純粋に映った。霜柱しか見えてないみたいに、とにかく一心不乱に足を動かす。


 本当に子どもみたいだ。


 でも。


「マナさん」


 彼女はきっと、それだけじゃない。


 真昼の日差しのように明るい彼女は、時として夜の幻のように儚げで、大人びて見える。


 現実離れした少女の雰囲気には、きっと理由がある。


 それを知るのは少し不安だった。


「話を聞くまえに、言っときたいことがある」


 マナさんは足を止め、おれに顔を向ける。


 何か察したように目を見張り、それから、目を伏せてほほえんだ。


 ベンチの前へ歩みでて、後ろ歩きで公園の中央へ。


 冷たい夜風に長い髪がなびいた。


「いいわ。聞かせて」


 ごくりとつばを飲む。


 缶を片手ににぎりしめ、おれは立ち上がった。


「――好きだ」


 言ってしまった。


 ついさっき、出会ったばかりの子に。


「マナさんが好きだ」


 何度も目をそらしそうになりながら、なんとかまっすぐに見つめる。


 透きとおるような少女の薄い唇から、微かに白い吐息が漏れた。


「ありがとう。でも、ごめんなさい」




 ……ああ。


 別に期待はしていなかったけれど、いざ振られるとやっぱり凹む。


「まあまあ。元気だしなって」


 ぽんぽんと肩をたたかれる。振られた相手に。


「さて。それじゃあさっきの話に戻るとしましょうか」


「あの、マナさん。一分だけ待ってくれないか」


「はいはい、一分ね。了解したわ」


 あんた、なんでそんなに普通なんだよ。いや、そのほうがありがたいけど。


 一分後。


「もう平気?」


「なんとか」


 ダメージは残っているけれど、とりあえず話に耳を傾けられるくらいの冷静さは戻ってきた。


 おれたちは再びベンチに座る。


 もうマナさんに連れ回されるわけではないのだから、彼女の正体を知る必要はないのかもしれない。けれど今さら話を聞かないなんて選択肢はなかった。


 それにおれには、気にする理由がちゃんとある。


 今朝クラスメイトに見せられた動画だ。その中でおれはマナさんに自転車を奪われていた。おれにその記憶はない。これはあまりに奇妙な事態。今後のことを考えるなら、事情ははっきりさせておきたい。


 というのも今やもう建前で、純粋にマナさんのことを知りたいわけなのだけど。


「わたしが何者か――だったわね」


 足をぶらぶらさせて、マナさんは空を見あげる。


 そしてようやく、答えを口にした。


「わたし自身は、なんの変哲もないただの人よ。ただちょっと、厄介な呪いにかかってるの。忘却の呪い――人に忘れられてしまう呪いに」


 おれはどんな顔をしていただろうか。


 多分、ぽかんとしていた。


「わたしから離れるとね、皆忘れちゃうの。わたしのことも、わたしと話をしたことも、全部」


 マナさんはひょいとベンチから立ち上がり、華奢な背中を向けたままくすりと笑う。


「意味わかんないでしょ」


「いや……」


「順を追って話すわ。どうしてわたしにそんな呪いがかけられてるのか。


 あれは――もう三年前になるのね、わたしが中学三年生だったときのことよ。もしかしたら聞いたことあるんじゃないかしら。神隠しの噂」


 目を見張る。


 そばにある電灯がチカチカと明滅した。


「知ってたみたいね。そうよ。ある中学校で一人の女子生徒が消えたっていう、あの事件」


 わずかに振り返った彼女の横顔で、赤い瞳がきらめいた。


「あのとき消えたのは、わたしよ」


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