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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第二章「トラとの出会い」2話

 固唾を飲んで、次の言葉を待つ。


 マナさんの正体、その答えを。


 だが、そのとき。


「セエエエエ!」


 地の底から響くような怒号が轟き、直後、どこかでガラスが割れた。


「あらあら。困ったことになったみたいね」


 言いながら、早くもマナさんは走り出していた。


「あ、おい!」


「ごめんなさい、話はあとでね」


 慌ててマナさんにつづく。


「想像したよりまずい状況みたい。おかしいとは思ったの。白い影がものを壊すなんてこと、今まではなかったんだもの」


「何が起きてるんだ。白い影ってなんなんだよ」


「わからない。実際に見てみないことには」


 校舎へ駆け込む。怒号はまだ続いていた。


「ラセエエエエエ!」


「なっ……!」


 あばれていたのは――熊田だった。


 本物の野獣のように息を荒げ、床や壁を手当たり次第に殴りつける。拳から血がでるのにもかまわずに。


「ど、どうなってんだ。どうしちまったんだよ熊田のやつ」


「これはちょっと、シャレにならないわね」


 血走った眼がぎょろぎょろと蠢き、おれたちを捉えた。ゆっくりと、こちらへ向き直る。


「何がどうなってんだよ、これは!」


「操られてるのよ、白い影に」


「まさか、そんなバカな話が」


 ――そのとき。


「ようやく姿を現したか」


 背後から、声がした。


 熊田に負けず劣らぬ低い声。地の底から湧き上がるような、恫喝的な響き。ハーフのように彫りの深い顔だち。


 学ランの肩から竹刀袋を飛び出させたその男は、荒川剛だった。


「先輩、どうして」


「下がっていろ」


 大きく強靭な肉体を誇る荒川――クマのような巨体をした熊田に比べると、体格こそ一回り小さい。


 それでも、内からあふれる強風のようなプレッシャーは、熊田のそれをはるかに凌ぐものだった。


 荒川なら勝てる。人間相手の力比べなら負けるはずがない。


 そう考えたおれは甘かったようだ。


 なぜなら、相手は人間ではなかったのだから。


 巨体をあやつる白い影とやらは、どんな魔術をつかったのだろう?


「んな……バカな」


 さっと血の気が引く。


 目の前で、熊田の姿が薄れ始めた。クマのような体が霧のように散り、瞬きさえ忘れた間に、すっかり消え失せてしまった。




 きっとおれは、ひどく間の抜けた顔をしていただろう。


 あからさまな超常現象を目の当たりにして、無意識に頬なんかつねっていた。


「オオイ!」


 張りつめた空気のなか、何かに呼びかけるような声。廊下の向こうからぞろぞろと足音が集まってきた。


 駆けつけたのは、運動部を精力的にまとめあげているらしい、頼もしい先生たちが三名。うちの一人は、さっきも顔をあわせた若い先生だ。


 しかし、様子がおかしい。不自然だ。


 まず、声の出し方。言葉というより雄叫びだった。そして走り方。不自然なほどに荒っぽくて、野性的な迫力を感じる。


 要は、操られた熊田によく似ていた。


「マナさんはここに」


「って、北村くんっ?」


 おれは荒川の一歩前に飛び出した。カバンを構え武器っぽくしてみる。


「下がっていろといったはずだ」


「状況が変わりました」


「なら改めて言う。下がっていろ」


 首根っこをつかまれて、ぐえ、と変な声がでた。


 そのままうしろへ引かれ、投げ転がされる。


「っつ……! 何を」


 転がったおれが身を起こした次の瞬間。


 荒川が素振りでもするように、迷いなく、まっすぐに拳を突きだした。


 すると。


 何もないところに火がつくように、霧となって消えた熊田が現れた。


 彼はそのまま地面をころがり、半口を開けて動かなくなる。


 それに伴うように他の先生も一斉に崩れ落ちた。


「いま、なにが……」


 倒れた熊田は、血こそ流していないものの白目を剥いて大口を開けている。けれど今はそちらのほうに気が回らなかった。


「先輩、もしかして、熊田が見えてたんですか?」


「いや」


 事もなげに荒川はいった。


「足音が聞こえた。だから殴った。それだけだ」


 それだけで、あんなピンポイントに顎を打ち抜いたというのか。しかも、荒川をも越えるクマのような体格の男をひと殴りで。


「とりあえずこれで終わり……ですよね」


「まだだ」


 荒川は断言する。ここに現れたときも思ったけれど、彼は白い影についていろいろと知っているらしい。


「出るわよ!」


 マナさんが叫ぶ。


 熊田の胸のあたりから、ふわりと白い煙がたった。それはもくもくとひとつの場所へ寄り集まり、雲のような形を作る。


「それよ! そいつが白い影!」


 白い影。これが――。


 噂は本当だった。白いゆうれいは本当にいたのだ。


 しかし雲は目にも留まらぬ速さでその場を行ったり来たりして、いつの間にか消え去っていた。


「どっちだ、どっちへ行った」


 荒川は前後を見回す。小さく舌を鳴らすと、先生たちが来たほうへ走り出した。


「北村くん! わたしたちはこっちに!」


 下駄箱の側から呼ばれる。


 もはや見過ごすわけにはいかない。このままあれを放置して、もしにいなや西村に何かあったら。


 答えるより先に足が駆け出していた。




 ついに、噂の白い影と相見える。


 そいつは思ったよりもずっと近くで立ち往生していた。


「できることなら、真正面からは向かい合いたくないんだけどな」


 げた箱とげた箱のあいだでぐるぐるまわる白い影を呆れた思いで眺める。


「で、こいつはひとりで何してるわけ」


「もしかして、校舎から出られないのかしら」


 白い影は動きを止め、ひらりとこちらへ身を向けた。


 ぴたりとその場に固まったことで、影の姿が初めて鮮明になる。


「……!」


 全身の皮膚が粟立った。


 おれはこの瞬間に至るまで、白い影というのは、人影に近い意味で使われた言葉だと思っていた。


 何かを見はしたが姿をはっきり確認できず、それで仕方なく影と呼んでいるのだと。


 恐れいった。そこにいたのは、まったくもって噂のとおり、まぎれもなく白い影だった。本当に、白い影としか言いようがなかった。


 薄っぺらな張りぼてのように立体感のない、うさぎのようなシルエット。それはたちまち人のように形を変えるが、やはり真っ平らなまま。


 影は地面を這うでもなく、悠然とこちらへ歩みよる。おれは一歩も動けなかった。


「く……くるな」


 真正面から対峙したことで、イヤでも理解する。


 これは、人智を超えた化け物だ。人が関わっていい相手じゃない――得体の知れない確信に全身が凍り付いた。


 ――よこせ。


 頭に、ぐわんぐわんと音が響く。


 それは言葉ではなかった。


「北村くん、だめ!」


 ――その体をよこせ。


 思考を頭に直接流し込まれる。未だかつて経験したことのない気味の悪い感覚。


「相手にしないで!」


 腕をつかまれ、我に返る。


「おれ、今……?」


「あれに耳を傾けちゃだめ。さっきの人たちみたいに意識を乗っ取られるわよ」


「わ、わかった」


 意識を――そんなやつにどう立ち向かえと。


 マナさんは小さなバッグの中身を漁りだす。迫りくる影の気配にも構わずに。


「逃げよう、マナさん」


「イヤよ」


「あんなのとまともにやりあったって」


「大丈夫。これがあるから」


 見せられたのは小さな青い球だった。


「スーパー……ボール? そんなもんがなんだって……」


 言っているうちに影はすぐそばまで迫っていた。お互い飛びかかれば手が届いてしまう距離だ。


 そのとき、白い影が大きく身じろぎした。


 とっさにマナさんの腕をつかむ。


「あっ、ちょっと!」


「逃げるぞ!」


「だいじょうぶだから!」


「信じられるかっ」


「離しなさい!」


 押し問答を繰り広げる間も、もちろん影は動きを止めてくれない。


 それどころか――ついに跳びあがった。


 まずい、と振り向くと同時にマナさんが青いスーパーボールを突き出す。


 影は構わずこちらへ突っ込み、そして、球に触れた。


瞬間、マナさんの手が光輝く。


強烈な光で視界が真っ白になる。


「な……なんだっ、これっ」


 輝きは数秒つづいた。


 やがて光は消え、恐る恐る目を開ける。


「やった! やったわ! つかまえた!」


 マナさんの言うとおりかは定かではないけれど、とりあえず目の前に白い影のすがたはなかった。


 球を見る。さっきまで真っ青だったそれは、気づくと白く変色していた。影とまったく同じ明るさの白だった。


「まさか、この中に影が?」


「そうよ。わたしのお手柄!」


 パシパシと薄い胸を叩くマナさん。その手のボールに目を落とす。


「こんな小さな球が、あの化け物を――」


 けれど今は、どんなとんでもないことを言われても信じられる気がする。人を操る影がいるなら、摩訶不思議な力をもったスーパーボールがあったっておかしくはない。多分。


「いたか」


 わずかに息を乱して荒川がもどってきた。この短時間で長い校舎を全て見て回ってきたようだ。


「ばっちし! つかまえたわ!」


「そうか、助かった。ところでお前は」


「ああ、気にしないで。それよりこれ。はい!」


「なるほど、その球の中か。確かに確認した」


 頷き合う彼らに、おれは懐疑的な視線を送る。


 一件落着、でいいのか? あまり実感がわかない。


「マナさん、荒川先輩。色々と話を聞かせて欲しいんすけど」


「う~ん、そうねえ。それはここを出てからにしたほうがいいわよ。ちょうど向こうの先生たちも起きたみたいだしね」


「先生? ……あっ」


 倒れた熊田たちを置いてきたことを忘れていた。


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