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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第一章「少女との出会い」3話

 放課後。特に部活も委員会もやっていないおれは、気まぐれでも働かせないかぎりはまっすぐ家に帰ることになる。


「あざっした~」


 その気まぐれを、たった今発揮していたところだ。


 手にさげたビニールを鞄にしまう。中には古本が一冊。レンタルビデオ屋に来たのだけれど、やっぱり気分が乗らないからと本だけ買って帰ることにしたのだ。


 店を出るとキンキンに冷えた空気に迎えられた。寒さの次に甘い香りを感じ、ちらと目をあげる。広めの駐車場にクレープ屋のピンクの車が一台。小学校低学年くらいの少年が二人、赤と黄色のクレープをそれぞれ買っている。その歳で買い食いとはなんと贅沢な。


 じゃれあいながら去る子どもたちを見送りながら、自転車のカゴに黒い肩かけ鞄を入れる。


 と、彼らの正面から見覚えのある大男がやってきた。彫りの深い顔を俯かせたその人は、今朝学校で見かけた荒川剛だった。


 物思いにふけった様子の先輩からは、いつもどおり異様な迫力がにじんでいる。まとう空気が重いというか、隙がないというか。特に睨みを利かせているわけでもないのに。


 いやな予感はした。じゃれあう子どもにうつむく大男。子どもの手にはクレープ。


 けれどまさか、互いに真正面から来る相手に気づかないなんてことはないだろうと油断した。実際荒川先輩のほうは子どもたちに気づいていた。


「うっせえ!」


 じゃれあっていた子どもの一人が、突然もう一方を強く押した。それでバランスを崩した相手は、そのまま先輩のほうへ――。


 白い生クリームが、黒い学ランにべったりとはりつく。


 空気がこおりつくのが離れていてもわかった。


 先輩は少年たちを無表情に見おろす。二メートル近い体格に気おされた子どもたちは、すっかり固まってしまって逃げることもできない。


 けれど、あの目つきのわるい先輩は。


「もったいないことをしたな。あのクレープ屋か。――来い、買ってやる」


 あの先輩は、少年がころびかけたとき、自分の学ランが汚れることもかえりみずにその手をのばしたのだった。


 ほら見ろ。やっぱり悪い人じゃない。




 クレープを手にした子どもたちが、元気に手を振り去っていく。


 それを見送る荒川先輩の背中に声をかけた。


「ハンカチ、使いますか」


「いらん」


 今の今まで存在感を消していたつもりだったけれど、とっくに気づかれていたようだ。こちらを振り向きもしない。


 先輩はエナメルの大きなバッグから細長いタオルを引きだし、学ランについたクリームを拭きとる。


 じつは先輩とはちょっとした顔見知りだ。


 おれが以前働いていたファミレスに、何度かお客さんとしてやってくることがあったのだ。それでほんの少しだけ言葉を交わすタイミングがあり――そのきっかけも、新人のバイトがこぼした飲みものが先輩の学ランにかかったからだった。


 途中の道までをいっしょに帰る流れになり、おれは自転車をひいて先輩と並ぶ。


 オフィスビルやら小規模な商店やらが立ちならぶ駅前の道を行きながら、冬のこざっぱりとした空を見あげる。豆つぶのような飛行機が飛んでいた。


「ところで部活はどうしたんすか。剣道部なんすよね」


「私は引退した身だ」


「けど」


 と視線をおくる。先輩の肩には竹刀袋がかけられている。


「道場に寄っていくんだ。幼いころから世話になっているところでな」


 幼いころから……そういえば先輩は剣道エリートなどと呼ばれていた。


 話が弾まない。おれも先輩もそうそう盛り上がるタイプじゃない。互いにローテンションのままぽつぽつとつぶやきあう。


 だからその話題を持ち出したのも、他に話すことが思い浮かばないというだけのことだった。


「先輩、白い影って聞いたことありますか。うちの高校にでるっていうゆうれいのことなんすけど」


 先輩の歩調がわずかに遅くなる。おやと思い顔をあげて、おれはすぐに目をそらした。


 ほんの一瞬で、心臓がどくどくと音を立てる。汗が噴き出すような錯覚にとらわれた。


「くだらないうわさ話だ」


 声のなかに、かすかな苛立ちが混じる。


 見間違いでなければ、先輩の目は殺気に見開かれていた。皮膚があわだつほどにまがまがしく。


 何か知ってるんですか?


 ……なんてことは聞かない。面倒ごとはごめんだ。




 T字路を曲がろうとしたところで荒川が歩を緩める。分かれ道らしい。


「それじゃあ、おれはここで」


「ああ」


 さっきの反応はなんだったのか。ゆうれいなんて信じる人にはとても見えないが。


 先輩の大きすぎる背中から目を逸らし、ペダルに足をかける。


 そして、今まさに漕ぎ出そうとした瞬間。


「そこの自転車!」


「なっ……」


 白い影が、目の前に現れた。


 自転車のカゴをつかみ、揺らし、しまいには飛びかかってくる。たまらず転倒するおれにつかみかかって、その少女(、、)は言い放った。


「ちょっと貸して!」


 そう、少女(、、)。毛皮つきのフードがついた、真っ白なコートに身をつつんだ黒髪の少女が――見知らぬおれを地面にたたきつけ、自転車を奪い取ろうとしている。


 とっさにハンドルをつかむと、きつく睨まれた。


「貸して!」


 瞳は鮮やかな赤色をしていた。その明るさに驚いて、おれは一瞬動けなくなる。


 少女はその隙にミニスカートをはためかせ、自転車に飛び乗った。


「ま、まて!」


「きゃっ」


 ほとんど反射的に荷台をつかみ、アスファルトを踏みしめる。


 鮮血色の瞳がまたおれを睨んだ。


「いきなりつかんだらあぶな……あっ」


「あ」


 少女がハンドルをにぎる力をゆるめたせいだろう。


 おれが引いていた方向に自転車が倒れ、少女が体勢を崩し、そしてそのままおれも巻き込まれ、二人して転倒した。


 おれが押し倒されたみたいな格好で。


 きめの細かい黒髪がおれの耳もとにこぼれおちる。道のど真ん中で、おれは顔面蒼白になる。


 透きとおるような白い肌がすぐそばにある。その熱を感じるほど、すぐ近くに。


 あどけなさののこる奥ぶたえの目が、おれをじっと見つめる。


 手が触れ合い、鼻先がかすり、息が混じり合う。


 あまりのことに体が動かない。指先までがかちこちに凍りついてしまったようだった。


「びっくりしたあ……」


 少女がほっと息をつくと、その熱が顔にもろにかかった。


「ねえ。手、はなしてくれる?」


「は? ……うおあっ」


 服の袖を固く握りしめていた。


 少女は何事もなかったかのように立ち上がると、自転車を起こし、またがる。


「じゃ。そういうことで」


「いや行かせるか」


「もおお! なんなのよ!」


「こっちのセリフだっ」


「あっ! 行っちゃったじゃない!」


「は?」


「ナンパ! 柄の悪そうな連中が女の子をナンパしてたの! 四対一で! なんかあったらどうしてくれんのよ!」


「な、ナンパ……?」


「そうよ! だからこの自転車で突っ込もうと」


 確かに四対一とは穏やかな雰囲気じゃないが……。


「わかったなら貸して。いまなら間に合うわ」


 しかし、こんな知りもしない不審者の言葉を信じてもいいのか?


「早く!」


「……」


「もう! いいかげんに…」


 そのとき。


 風を切って、大男が道にとびだした。


 二メートル弱の体格に、うちの学ラン――見まがいようもない。


「荒川先輩……」


 どう見ても、話をきいてチンピラ(と思われる連中)を片付けに向かった風情だった。


「隙あり!」


「あっ」


 少女はおれを突き飛ばして走りだす。もちろんおれの自転車で。


 これはもう、追うしかないだろうな。


 これでナンパがデマカセだったらただじゃおかないぞ。




 ビルのすきま。日の当たらない狭い空間。


 そこにたどりついたとき、すでに勝敗は決していた。


「――北村か」


 金髪、リーゼント、スキンヘッド、ボサボサ頭という昭和くさいステレオタイプのチンピラが四人。それぞれが顔をあざだらけにして、荒川先輩の足元に横たわっていた。


 足がすくんだ。


 壁にいくつもの血痕がついている。さながら地獄絵図だ。


 自転車の少女でさえ、隣で半口をあけて固まっていた。


 ビルの隙間から、丸みを帯びたショートカットの女の子が抜け出してくる。どうやら本当にナンパが、というよりもっとタチの悪いことが起きていたらしい。


 小学生みたいに小さな――おれと同じ高校の制服を着たその子は、小動物のように警戒心を剥き出しにして、おれたちにも近寄ろうとせずにその場から逃げ出した。


「これ、先輩が……?」


「ああ。安心しろ、もう動けはしないだろう」


 おかしい。そんなことはありえない。


 荒川先輩のうでっぷしが強いことは見ればわかる。問題はそこじゃない。


 先輩がこの場に入り込むところを、おれは確かに見ていた。それからおれが追いつくまでほんの十数秒。状況を確認する時間を差し引いたら十秒もないはず。


 その一瞬に、四人を同時にやったというのか?


 ……まあいい。これで一件落着であろう。さっさと帰らせてもらって――。


 などと考えるのは甘かった。


 にぶく低い音があたりに響く。一回、二回、五回、九回……。


「ちょ、ちょっと」


 となりで少女が声をあげる。


 先輩が――地に伏した男たちを無言で蹴りつけていた。腹を、顔を、四肢を踏みつけ、強くにじる。


 彼らが蹴られるたび、うめき声と共に鉄くさい臭いが鼻をついた。


「先輩」


「……下がっていろ」


「やりすぎですよ」


 ようやく、蹴りが止まる。


 ぎらぎらと光る大きな目が、ぎろりとおれを捉えた。


「何を言っている」


「何って。これ以上痛めつける必要はないでしょう」


「簡単に逃がしてまた暴れられでもしたらどうする。数週間は動けないようにしておいたほうがいい。それに、間違った行いをしたらどうなるか、思い知らせておくべきだろう」


 淡々と言って、ふたたびチンピラたちを見おろす。


「それが、人間としての責務だ」


 足を上げ、男の顔の真上で止める。


 そしてそのまま――。


「やめろ!」


 おれは先輩の腕につかみかかっていた。


 力で抑えようにもびくともしない。けれど、一応は暴行を止められた。


「なんのつもりだ」


 低く抑えた声が問う。


 おれは唾をのみ、後ずさりそうになるのをぐっと堪え、何とか言い返した。


「弱い者いじめは、間違った行いじゃないんすか」


 その瞬間。


 先輩の体が大きく膨れ上がった。


 胸ぐらをつかまれたのだと気づくまで何秒かかっただろう。その間ずっと、ひどく冷たい目で見下ろされていた。


 殺される。本気でそう思った。それくらい冷え切った目をしていた。


 謝ったほうがいい。


 こんなところで意地を張って怪我なんてしたらシャレにならない。入院なんてしようものなら、確実に夢路おばさんたちの迷惑になる。


 そんなことはわかっている。わかりきっているのに。


 おれが唇を噛みしめたとき、ようやく先輩は口をひらいた。


「――私が間違っていると思うのなら、お前が考え方を改めろ」


 彼はおれをあっさりと突き飛ばして、三度男たちに蹴りを加えると、ビルの隙間を逆方向に抜けていった。


 一瞬皆助かったのかとも思ったけれど、地に伏した四人とも、明らかに入院はまぬがれない。おれが止めたというより、最後の蹴りで彼の気が済んだだけだったわけだ。


「あなたって、意外に度胸あるのね」


 自転車の少女が、背後でつぶやく。


「意外は余計だ」


「ひざはがくがくだけど」


「うるさい。自転車返せ」


「はいはい。それじゃ、後はよろしくね!」


 自転車をおいて、黒髪の少女は走り去る。手を振ってから視界から消えるまでたったの二秒。ふわりと甘い香りがしたけれど、血の臭いですぐにかき消えた。


「よろしくって、なにを……あっ!」


 そういえば、このチンピラたちはどうしたら。


 面倒ごとはごめんだといっているのに……。


 ため息をつき、狭い空を見上げる。


 考え方を改めろ、か。


 確かにおれは間違っていたらしい。彼を恐れる皆のほうが、ずっと正しかった。


 荒川剛――あんなやつと二度と関わるものか。


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