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忘却姉さん  作者: 白沼俊
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第一章「少女との出会い」2話

 月日は経ち。


 高校生活の二年目も終盤にさしかかった、冬の朝。


 おれは、すやすやと幸せそうに寝息を立てるにいなを見下ろしていた。


 ジリジリと目覚ましが発狂する。にいなが目を覚ます気配はない。


「おい、にいな」


「……なあに~?」


 寝言で答えるな!


「ったく、心配で来てみりゃやっぱりこれだ。おい、『朝ごはん』だぞ」


 瞬間、にいながむくりと起き上がる。とろんとした寝ぼけまなこが、ゆっくりとおれを捉える。


「……あれ~? 秀一?」


 毎度思うけど、わざとやってんじゃないだろうな。




「おかしいな~、めざましかけたはずなのに」


「ああ。ガンガン鳴ってたな」


「またそんなこと言って~」


 さすがにため息が漏れた。


 夢路家の四人テーブルで食事をするのは久しぶりだ。おれの席が調味料置き場と化していなかったのがちょっと嬉しい。


「えへへ、秀一のごはんひさしぶりだ~」


 いつも以上にぽわぽわとした空気である。にいなは朝にも夜にも弱い。昼寝もする。


 今朝はおばさんたちが仕事でいないと聞いたから、もしかしたらと思って来てみたのだった。そうしたら案の定あの様だ。


 ごはんに関してはいつも美味しそうに食べてくれるから作りがいがあるわけだけど。


 そう、いつも美味しそうに――。


「おい」


「ん~……」


「メシを食いながら寝るな」


 もはや返事すら返ってこなくなった。


 それでもごはんを頬張った口がもぐもぐと動いているのは、さすがとしか言いようがない。




 真冬の自転車通学はつらい。とてもじゃないが、学校の制服とコートだけでは身がもたない。


 もこもことした素材で揃えたマフラー、手袋、耳当て帽子。そしてコートと制服の内側にはセーター……という、にいなのぬいぐるみ風フル装備も、登校時ばかりは見習わざるを得ない。


 おれたちはぽつぽつと話しながら自転車を走らせていたが、冷たい風が吹くたびにそろって押し黙る。


 さっきから見渡すかぎり、山、田んぼ、家しかない。冬の寒さで色あせた、とくに面白みのない風景。これで話も弾まないというのだから地獄のようだった。


 と、そこに。


「うおおおおい!」


 背後から大声をあげて迫ってくる影が。


「西村くん、おはよ~」


「ういーっす! 夢路ちゃん!」


 横に叫ばれると耳が痛い。


「朝から元気だな」


「んなこと言ってっから元気でないんだぜ。たまには北村もでっかい声出してみろって。オッハー、ってよォ!」


 おれはふんと鼻を鳴らした。


 無駄にテンションの高いこの男は西村という。同じ高校に通うクラスメイトだ。


 おれと同じ中肉中背で、おれと同じ黒髪短髪で、おれと同じレベルの成績を保持する男。が、おれのほうがハンサムなので、西村はおれの下位互換といったところだ。


 一部からは悪意をこめて、北村と西村でムラムラコンビと呼ばれている。おれはそれを認めていない。一人でだってムラムラくらいできる。


 それからしばらく、他愛もない話をつづけながら道をすすんだ。やがて自動車の行き交う大通りに出る。


 だんだんと道沿いにコンビニやら飲食店やらがあらわれて、町らしい気配が出てきた。そこからはもう五分もかからない。


 高校にたどり着き、駐輪場に自転車を停める。すっかり目に馴染んだ校舎は、赤っぽい屋根と木枠の窓が特徴的な、格式高そうな建物だった。


 なんでも大正時代に建てられたらしく、いかにも当時の面影を残していますという風情。その重々しい雰囲気のせいでゆうれいが出ると噂されることもしばしばだ。


「お。あれは」


 つぶやいた西村の視線を追うと、校舎を出ていく大男の姿が見えた。学ランのよく似合う、筋骨隆々とした巨体。見覚えのある背中からは竹刀袋が飛びだしていた。


「荒川先輩か」


「ひ~っ、あいかわらず怖いよなあ」


 彫りの深いハーフのような顔立ちのその男は、荒川剛といった。鋭い目つきと固い表情のために校内では恐れられている。


「だあれ?」


「だれって、夢路ちゃん知らないのかよ! 荒川剛だよ、荒川剛! 高校剣道の全国大会で優勝した先輩!」


「優勝っ? すごいね~」


 わりと大きな噂になっていたはずだけど。


「いわゆる剣道エリートでよ、警察官のオヤジが剣道大会の優勝候補の常連ってことで、幼い頃から剣をとって修練に励んでたって話だぜ」


 その強さもあいまって、余計に恐れられているというわけだ。


 荒川先輩の去った剣道場があるほうを睨み、おれは唇をとがらせる。


 悪い人じゃないんだけどな、べつに。


 まあ、わざわざ誤解を解いて回ってやる義理もない。




 昼休み。待ちに待った昼食タイムがやってきた。


 三十人いるクラスメイトは食堂などへまばらに出払い、半分ほどに減っている。


 机をくっつけてイスを引くと、木の床がかたい音をたてた。


 昼はいつも、にいな、西村と三人で集まる。


「ごめんね~、お弁当まで作ってもらっちゃって」


 のんびりした口調で言って、にいなはにこにこと笑う。


「べつに。朝ごはんのついでだし」


「なんだか中学のころを思い出すよ~」


「そういやあ、北村が毎日作ってたんだっけなあ。クラス中から愛妻弁当とか言われてよ」


「……」


 変なことを思い出させてくれるな。


 ため息をついて弁当箱を開ける。


「――愛妻弁当、かあ。懐かしいなあ」


 にいなまで……。


 ちらと顔をあげると、にいなは手元の弁当箱を見下ろして口ごもるようにしていた。


 気のせいか、わずかに顔が赤い。


「ねえ、秀一」


 まるで何か照れているみたいにほほえんで、にいなはいった。


「わたしが作ってみてもいいよ。お弁当」


「え」


「夢路ちゃんっ?」


「ち、違う違うっ、愛妻弁当とか、そういうことじゃなくて。普通に! 普通のお弁当を! ほら、今までは作ってもらってばっかりだったし、今度はわたしが~、なんて」


「なんだよなんだよ! うらやましいなあオイ!」


 どうして西村が興奮するんだ。だいたい、そんなにはしゃがれたら。


「……いいよ。おれは」


 どうにも断りづらいじゃないか。


「おれは世話になってる側だから当然だったけど、おまえはさ」


「秀一……」


 おれのために手間なんてかけさせたくなかった。甘えることに慣れすぎて、母を死なせた親父のようになってしまわないように。


「なんなら、またおれが作ってくるか?」


「ううん。なんていうか、ごめんね。……あ、そうだ! えっと、わたし、今日は友達と食べる約束してたんだ。ごめん、それじゃあね」


「ああ……珍しいな」


 席を立ち早足ぎみに廊下へ出ていくにいなを見送る。西村はため息をつき、


「北村って、水くさいよな」


 これまた珍しく、真面目くさった低い声でつぶやいた。


「ま、いいや。食べちまおうぜ」




 弁当箱を布でつつみ、短く息をつく。


「ふ~っ、食った食った~!」


 西村が腹をぽんぽんと叩く。机を元に戻そうかと考えたところで、おれは動きをとめた。


「本当だって。ウチも見たんだよ、廊下で」


 教室の後ろのほうが騒がしい。食事中の女子たちがなにやら話している。


「窓の隙間にしゅるしゅるって入っていったんだ~。ありゃ虫とかじゃないよ」


「でもさー、さすがに皆して見すぎじゃない? ゆうれいってそんな見られちゃっていいもんなの?」


「そんなこと言われたって。見たものは見たんだし」


 怪談か。つい聞き耳を立ててしまった。


「なあ西村。ゆうれいって」


「なんだよ、知らないのか? ずいぶん前からの噂だぜ」


「へえ。どんな」


尋ねると西村はにやりと笑った。


「学校に出るっていうおばけの話だ。――ここ最近、学校のあちこちで奇妙な白い影を見たって証言が出てんのさ」


「白い影……」


 出だしからありがちな感じだが、こちらから聞いた手前だまっておく。


「そいつは人の形をしていたり、馬の形をしていたり、蛙の形をしていたり……形こそ定まってないそうだが、とにかく白い影なんだってよ。その影が目撃されると、決まって近くで奇妙な現象が起こるらしい。閉めきっていたはずの部屋に落ち葉が舞い込んだり、誰もいない校舎の明かりがついたり、まあ、そんなささいなことさ。


 よくあるような話なんだけどよ、目撃証言がやたらと多いってのが気になるところだな。普段そういう話を好まないようなやつも話に加わったりしてて、ぼくもちょっと調べてみようって気になってきたとこなんだ。ちょうどいい、おまえもどうだ、北村?」


「アホか」


「なんだよ連れねえなあ! ゆうれいとか見てみたくないのか!」


「いるわけないだろ、そんなもん」


「か~っ! これだから北村はよォ!」


 おれはため息をつき、弁当箱をつつんだ布をもつ。


 まったくくだらない。


 そんなおれを見て、西村は訳知り顔でうなずいた。


「けどまあ確かに、あの事件に比べりゃ地味ではあるかもな」


「事件って。なんのことだよ」


「おいおい北村、ホラー系の話であの事件っつったらあれしかないだろうよ」


「……なんかあったか?」


「ずいぶん前に面白いはなしがあっただろ? 中学でよ」


「そんな昔の話覚えてない」


「か~っ! これだから北村は!」


「その口ぐせやめろ」


「けどな、お前だって聞けばすぐ思い出すはずだぜ。それなりにインパクトはあったからな。しかもこっちはただの噂話なんかじゃない。


 あれは、そう。ぼくたちが中学二年生のころ。刻々とせまるクリスマスに怯えていた、冬の日のことだ――同じ中学のとある教室で、そいつは起こったという」


「そいつ……?」


 人差し指をぴんと立て、西村はにやりと笑った。


「神隠しさ!」




 なるほど。


 思い出した。


 神隠し――確かに中学のとき、そんなさわぎがあった。


 ひとりの少女がすがたを消した。それだけなら、こういってはなんだが、ごくごくふつうの失踪事件だ。


 校内中で大さわぎになったその事件には、もちろんもっとなぞめいた問題がある。


 完全なる忘却。事件が神隠しと呼ばれたゆえんは、それに尽きる。


 その中学に通っていた誰一人として、消えた少女の顔も名前も覚えていなかったのだ。




        *




 最初の異変は、騒ぎが始まるより少し早い段階から起きていた。


「三年の先輩に、アホみたいにモテモテの女子がいるんだってよ!」


 記憶が正しければ、大体こんな感じのセリフを西村から聞いた。中学二年の十一月か十二月、冬の初め頃だった。


「……で。それが」


「見にいくに決まってんだろが!」


 結局おれはその場に留まったが、足を運んだ西村によれば、さらさらとした黒髪が似合う、直視できないほどまぶしい美少女だったそうだ。


 西村が言うと何やら重みに欠けるけれど、野次馬をしてきた他の男どもも口をそろえて美人だと騒いでいたから、事実きれいなのだろう。ちなみに皆が皆、一目惚れして戻ってきた。


 それだけ好かれると離れたところにも影響が出る。当時の同級生に、校内中で噂になるほどのイチャイチャカップルがいた。いつもいつも目に毒だなと思っていたところで、突然の破局。何かと思えばモテモテ美人の先輩に惚れてしまったということらしかった。


 彼女のほうが。


 けれど特にそのカップルの仲が悪くなった様子はなく。聞くと、そのあと彼氏のほうも同じ先輩に惚れたらしい。


 ここまでくると怪奇現象だ。下手な怪談よりぞっとする。


「なんか最近急にって感じだよね~。下の学年まで話が流れてくるようなこと、今までなかったのに」


 にいなはちょっとした世間話のように笑っていたけれど、おれとしてはいつ変な話に巻き込まれるか気が気じゃなかった。


 そんなときだ。神隠しが起きたのは。


 初めに気づいたのはそのクラスの担任だった。出席確認をしているとき、名簿に知らない名前を見つけたそうだ。一応呼んでみても応える者はおらず、生徒たちも首をかしげるばかり。名簿のほうが書き換えられたのではと疑われたが――。


 席がひとつ、空いていた。教卓のそば、一番前の席が。


 職員室に戻った担任が調べたところ、知らないはずの生徒に関する記録が次々と出てきた。


 生徒はほとんど毎日学校にきて、授業もさぼらず受け、委員会にすら参加していた。確たる証拠として、クラスの集合写真や修学旅行のアルバムにその生徒の姿が写っていたという。抜け落ちていたのは皆の記憶だけ。


 いなくなったのは、透きとおるような赤い瞳をした黒髪の少女だった。失踪事件として警察に通報されたそうだけれど、まともな目撃証言は集まらなかったという。


 事件について聞いたときは、馬鹿馬鹿しい作り話だろうと思った。けれど時おり教師たちまで真面目な顔つきで話し合っていて、すぐ後には信じざるを得なくなっていた。


 そして。


 神隠し騒動から少しして、おれはあることに気づく。


 モテモテ美人の先輩に関する怪奇現象について、めっきり噂を聞かなくなっていた。


「なあ、西村。最近例の先輩はどうなんだ? 周りのやつら、ずいぶん落ち着いてるみたいだけど」


 昼休みか何かのとき、教室で騒いでいた西村をつかまえて尋ねてみた。


「例の先輩? ああ、神隠しの話か?」


「じゃなくて……アホみたいにモテモテの女子がいるとか言ってただろ」


 すると西村は、妙に間の抜けた顔でおれを見返して、いった。


「――なんの話してんだ?」




        *




 こんな強烈な出来事を今の今まで忘れていたのは、そうなるよう努めてきたからだろう。


 ゆうれいや妖怪なんておれは信じていない。理由はふたつ。ひとつは、存在するという根拠がないから。


 もう一つは、存在されると色々面倒そうだからだ。


 にもかかわらず、神隠しという事件は、おれにそういうものの存在を信じさせようとする。


「そういや、いなくなった先輩の名前はなんつったかなあ」


 机を元の位置へ戻しながら、西村がつぶやく。


「……おお、そうだ思いだした」


 おれが答えずにいたら、勝手にひとりで解決した。


「マナちゃん、とか呼ばれてたっけか」


 名前なんて聞きたくもなかった。


 ずいぶん時間が経ったとはいえ、そんな奇妙な事件とは関わり合いになりたくない。面倒ごとはごめんだ。


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